第3話 誰かの手を借りること

 大衆食堂で数々の醜態をさらした男たちは、消え入りそうな声で人々に謝罪をして、逃げるように出ていった。場の空気がわずかにゆるみ、イゼットにも子どもたちを気づかう余裕が戻ってくる。

「怖がらせてごめん」と、泣きだした子たちをなだめながら、イゼットは何度か言った。


「なんでイゼットが謝るの。私のせいなのに」

 それまで黙っていたアイシャが、ぽつりと言う。子どもたちが、困り顔で彼女を見る。


 肌の色や目の色、髪の色が違うこの少女を、子どもたちは「違う」と思って見たことがなかった。今回のような事件に遭遇したこともなく、だからどうしていいのかわからなくなっていた。イゼットは彼らに大丈夫だと告げて、いつものようにアイシャに声をかける。


「アイシャのせいでもないよ。君は何もしてない。そうだろ?」

「でも」

「あの人を止めたのは、俺が好きでやったことだ。それに、大した怪我じゃないから」


 元気元気、と彼がことさらに明るく繰り返すと、ようやくアイシャはうなずいた。納得はしていない。それは表情によく表れている。だが、これ以上にイゼットができることはないように思われた。せいぜい、彼女の両親に事の顛末を話すことくらいか。


 彼が思考にふけっていると、突然頬に濡れた布を当てられる。驚いて顔を上げると、男たちと言い争っていた若者が意地悪そうに笑っていた。


「さ、その元気なイゼットは、頬を冷やせ」

「はは……。ごめん、ありがとう」


 イゼットが布を受け取ると、若者は顔をくしゃりとゆがめた。


「いや、謝るのは俺の方だ。本当にすまなかった。注意するだけのつもりが、かっとなっちまって、あいつらを怒らせて……」

「だからおまえは半人前なんだ、って親方さんが怒るかもな」

「あー、うん。覚悟してる」


 若者は気まずそうに頬をかき――しかし、イゼットの表情が暗いものでないことに気づくと、頬をゆるめた。

 子どもと若者たちの穏やかな空間を、クルク族の少女は少し離れた所から見守っていた。



 家路につく子どもたちを見送ったあと、イゼットは食堂を出た。少し歩いて、すぐに足を止める。振り返ると、彼の一歩後ろにルーがいた。


「大丈夫ですか?」

 ルーは、無邪気に尋ねてくる。かすかな動揺を押し隠し、イゼットはうなずいた。


「俺は平気だよ。ありがとう。それより君こそ――『修行』に行ったのかと思ってたよ」

「あ、はい。行ったんですけど……」ルーは、そこで口ごもる。「なにかあった?」とイゼットがうながすと、彼女は隣に並んでからぽつぽつと話しはじめた。

「あの洞窟での修行は、その内容が壁に刻まれた文字に書かれていると一族の者に聞いていたんです。その指示に従って進むようにと……ですが、その文字が……まったくわからなくて」

「え?」

 イゼットは、目を丸くした。


「どういうこと? 君以外にも、クルク族が同じ修行をしてるはずだよな。だったら彼らもどうにかして乗り切ったはず……」

「そうなんです。けど、『どんな内容か』を大人たちから聞くことはできても、『それをどうやって解決したか』は聞いてはいけない決まりになっていたので」

「……なるほど」


 わかったような、わからないような。中途半端な気分のまま、イゼットは頭をかいた。ただひとつ、わかるのは、ルーは自力で「文字が読めない」という難題に立ち向かわなければならないということだ。


「ちなみに、それってどんな文字だった?」

 何気なく尋ねると、ルーは首をひねった。茶色の瞳が記憶をなぞって揺らめく。

「えっと……。文字っていうより、記号みたいでしたね。繋がった感じはなくて、一個ずつ別々、というか」

「少なくともファルーサ文字ではないな」

「三角形と鳥の羽を組み合わせたみたいな文字がありましたよ」


 何それ、と言いかけたイゼットは、口をつぐんで考えこむ。少し薄れた記憶の中から、光がひとつ、飛び出したような気がした。


「もしかして、ケリス文字?」


 ルーが目をみはり、「なんですか、それ!」と身を乗り出した。興奮気味の少女を手でとどめながら、イゼットは答える。


「大昔――アレクシア帝国時代にこのあたりで使われていた書き文字だ。ちょうど、このあたりのクルク族がヒルカニア王国に入ってきた時期とも一致するはずだから可能性はある。それなら、少しは読めるかもしれない」

「え、古代文字が読めるんですか!」

「今でも一部の学術書や宗教の教典に使われてるから、習う人は習うんだ」


 ルーは若者の言葉に声さえなく耳をかたむけていたが、少しして我に返る。じっと、イゼットを見上げた彼女は、それから決意に瞳をきらめかせた。

「あの、もしよろしければ、読むのを手伝ってもらっても――」

 しかし彼女は、すぐにかぶりを振った。めまぐるしい表情と態度の変化に、イゼットは困惑する。


「えっと、俺は構わないけど、どうしたの?」

「やっぱりいいです。これはボクの修行なので、多分ほかの人の手は借りない方が……」


 少女の言わんとしていることを察し、若者は肩をすくめた。その考え方がまかり通るのなら、洞窟の文字とやらは今のクルク族でも読める文字が使われているはずなのだが。


 彼はそっと手をのばし、きまじめな少女の黒髪をかきまぜた。驚きの声を上げたあと、訝しげにするルーに向かって、イゼットは子どもたちにそうしていたように笑いかけた。


「多分、君の先輩たちも一人ですべてをこなしたわけじゃないよ。一人でなんでもできる人なんていない。誰かの手を借りることも修行の内じゃないかな」


――なんて、偉そうに言える立場じゃないけど。


 苦笑したイゼットを、ルーはまじまじと見上げてきた。静かな通りのただ中に、しばし穏やかな沈黙が降りる。それを破ったのはクルク族の少女だった。小さく、二度うなずいた彼女は、改めて明るい色の瞳を見すえる。


「イゼットさん、お願いします。……力を貸してください」

「うん。わかった」


 イゼットが短く答えると、少女は全身の力を抜いたようだった。彼女がそのまま走り出しそうな気がしたので、慌てて言葉を付け加える。

「でも、準備したいから明日でも大丈夫かな」

 ルーは、なぜかやけに慌てた様子で「あ、大丈夫です!」と返してきた。もしかしたら、本気で今すぐに向かうつもりだったのかもしれない。やれやれ、と思いながらもイゼットは笑顔で彼女を見た。すると少女は、改まった表情になり、胸の前で指を組んだ。


「改めまして。クルク族はアグニヤ氏族ジャーナのジャワーフの娘、通り名はルーと申します。よろしくお願いします」

 

イゼットは一瞬あっけにとられてしまった。しかし、それがクルク族の正式な名乗りだと気づくと、彼も意識して正式な礼を取る。

 彼女はこのあたりの文化や宗教に影響されにくい、狩猟民族のだ。その意味に気づくことはないだろう。


「ヒルカニア王国アフワーズ出身のイゼットです。今は――旅人です。よろしくお願いします」

 二人は互いを見つめあい、それから、明るい声を立てて笑った。



 そして翌日、二人はくだんの洞窟の前に立っていた。

 今日のイゼットは、旅の荷物も、槍もすべて持っている。穴から吹きつける風に軽く目を細め、彼はかたわらの娘をうかがった。


「ここが、その、君たちの修行場?」

「です。あそこ、見てください」


 ルーは穴のそば、岩壁を指さした。一瞬、イゼットは何を示されているのかわからなかったが、すぐに気づく。岩壁には文字が彫られていた。クルク族が使う文字だ。

 

元来彼らは文字を使わない民族だった。大陸各所に移動したときに、農耕民たちの知識と技術を取り入れるために、その独特の文字を使いはじめたと言われている。だが、これも諸説あり、本当のところはわからない。


「なんて書いてあるんだ?」

「石と月光の修行場、です。確か、これで四か所目です」

「四か所目」口の中で呟いた。それまでの三か所の修行場がどのようなものだったのか、ふと気になった。が、イゼットはそれを尋ねなかった。なんとなく、恐ろしかったので。


「では、行きましょう。文字が書いてあるところまではそう遠くないので、しゃきしゃき行きましょう」

「しゃきしゃきって……」

 少女のよくわからない意気込みにおされながらも、イゼットは後に続く。


 修行場の入口は、静かで、ぶきみだ。地獄の入口に立ってしまったかのような恐ろしさが、一瞬、イゼットを襲った。それでも、ルーが一緒ならなんとかなるだろうと己に言い聞かせ――穴の中に、一歩を踏み出した。


 こうして二人は修行場に挑む。その一歩は、過酷な旅の始まりも、意味していた。

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