第23話豊前手向山の再会

 ――明くる年の寛永15(1638)年1月2日豊前国小倉藩


 本州と九州を結ぶ関門海峡を望む手向山から眼下へ広がる小倉城下を眺めるびんに白髪が目立ちはじめた城主小笠原忠真と一歩下がって並び立つ白髪総髪で未だ衰えぬ鋭い眼光を放つ宮本武蔵。


「武蔵よ。我らが播磨国明石で明石全澄あかしてるずみを頭にするキリシタンの反乱を防いで何年になるな? 」


「およそ20年になり申す」


「明石でのキリシタンの乱を内々に始末して20年。あれから徳川の天下は平穏に過ぎて来た。途中、姫路の本多家当主となった本多忠刻公の早世があり、宮本の養子、三木之助の殉死もあり惜しい事もあったが、ワシはこの命のやり取りのない平和が悠久につづくことを願っておる」


「三木之助はあれも忠義に生きた武士道に御座る悔いはありますまい」


「だがな武蔵よ。昨年起こった島原、天草のキリシタンの一揆の鎮圧が長引いておるようだが……」


「聞けば島原藩の松倉勝家氏、天草の寺沢堅高氏は、幕府のキリシタン禁止令を馬鹿正直に行って圧政を敷き、重税、迫害、逆らうものは拷問と、とうとう昨年の飢饉で明日食うものまで困る始末に民たちが陥っても重税を変わらず取り立てたとか……」


 小笠原忠真、目頭を押さえ、


「たとえキリシタンとはいえワシには民たちの嘆きが聞こえてくるようじゃ」


「如何にもでござる。明日食うものを取り上げられれば、たとえおとなしいキリシタンの民でも歯向かうよりほか御座らぬからな」


「キリシタンの民とは憐れなものよの……」


 一人の身なりの整った若侍が丘を駆け上がり、小笠原忠真の下で膝ま付いた。

「殿! 」


「どうした伊織! 」


「細川のお千代様より急使にござる」


 小笠原忠真が、武蔵へ首肯いて、急使に来た伊織から手紙を受けとるとサッと目を通す。


「伊織よ、どう書いてあったな? 」


 と、小笠原忠真は伊織に尋ねた。


「1月1日幕府討伐軍上使板倉勝家殿。一揆勢へ総攻撃の折り銃撃を受け討死」


「なにっ! 大将の板倉殿が討死!? 」


「幕府討伐軍は総崩れとなりおよそ4000人の損害が出たとか、幕府は体勢を立て直すべく大老松平信綱公が出陣なされるとか、我ら小倉藩へも出陣の命令が下っております」


 眉間にシワをよせた小笠原忠真、


「武蔵どう思うな? 」


「いくら板倉殿が小藩の領主で、大藩の九州の外様大名の寄せ集めの幕府討伐軍とはいえどもその数は3倍は下りません。まともにやり合えば負ける戦では御座りますまい。そこにはやはり……」


 と、武蔵は難しい顔をした。


「武蔵! やはりなんであるなハッキリと申せ!」


「ワタシの思い過ごしかも知れませぬが裏で一揆勢を操るのは明石の乱を生き残った魔道の者の協力があるのではと……」


「それは武蔵の思い過ごしであろう。あのような厄介な者どもが再び集うとは思えぬわ、のう伊織よ」


 膝ま付き控える伊織は小笠原忠真の問いかけに一縷の不安があるのか首肯しなかなかった。


 ポツリ、ポツリ――。


 空は晴れて居るのに雨が降りだした。


 逃れるように手向山の頂から木陰へ雨をしのいだ小笠原忠真一行であったが、通り雨と思われた雨が思いの外、雨が降り木陰から離れられなくなった。


 空は次第に黒雲が覆い辺りは薄暗くなり霧が立ち込めて来た。


「殿、危のうござるな、雨の中を走りましょう」


 武蔵を先頭に小笠原忠真一行は手向山の山道を霧の中を下って走った。


 ピカリっ!


 落雷が落ちた。


 先を急ぐ一行。


「どういうことだ! 」


 道馴れた伊織を先頭に山道を間違いなく下って降りたはずなのに、小笠原忠真一行は再び手向山の頂へ迷い込んだ。


「オホホホホホ……」


 山に木霊こだまする女の高笑いが聞こえた。


 武蔵は、伊織は、小笠原忠真の前後を守って身構えた。


 すると、霧の向こうから悲しい三味線を鳴らし女が近づいて来た。


 武蔵は、妙齢な艶やかな女を見間違ったのではないかと目を凝らして問いかけた。


「お主、明石全澄殿の御息女、カタリナお純ではあるまいか? 」


 カタリナお純と呼ばれた女はベンっ!とバチで三味線の糸を断ちきるように鳴らして、


「武蔵殿、お久しぶりでございます。あたいが明石全澄の御息女お純だよ。よく覚えておいででくれたね」


 武蔵は、カタリナお純が、たっぷりと顔に白粉をぬり、右肩をさらして今さっき、男に抱かれたような着崩れした女郎の出で立ちに瞠目した。


「お純よ、この20年でお主の身の上に何があった。お主は、純潔を守る敬虔なキリシタンで売女ばいたのような成はしておらなんだ。いったい何があった?」


 お純、俯いて顔を曇らせた。


「いろいろあってね……」


「お純よ。ワシ等はこの20年お主の消息を探していた。今は肥後の細川忠利様の奥方になられたお千代様もお主の消息を心配いたしておる。そうだ、豊臣秀頼公の遺児、国松君は息災にあられるか? 」


 カタリナお純は吐き捨てるように、


「あいつは流行り病にかかってあたいを置いておっちんでしまったよ。まったく頼りない奴だったよ」


「お純よ。今の暮らしはどうして居るのだ。子は成したのか? 」


「うるさいねっ! まったく次から次に質問して、あたいが今日現れたのはあんたに質問される為じゃないのさ。あんたに逢いたいっていうイイひとを紹介しようと思ってね。……あんた、そろそろお出ましよ? 」


 風が吹き、手向山の木々を激しく揺らし霧が払われた。そこには見覚えのあるお召紋付おめしもんつきを着た若侍が立っていた。


 払われた霧の先に立つ若侍を目を凝らして見つめる武蔵。


「お前は……?! 」




 つづく

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