第20話明石の乱 下編 武蔵の自己犠牲 中半4

 武蔵は、先ほど対峙した怠惰の悪魔ベルフェゴールの亡骸へ、


 "南無釈迦牟尼仏なむしゃかにぶつ"


 と、片手で簡単に念仏を唱え、好き好敵手であったベルフェゴールを供養した。


「お次はどなたが参られるな? 」


 武蔵は、強欲の悪魔マモンを了戒の切っ先で牽制しつつ武蔵がベルフェゴールを供養した。ベルフェゴールの土気色へ腐った肉片を、その長い左足をヒュン! と伸ばして器用につかみとりムシャムシャと食らうベルゼブブ。


 武蔵は、ベルゼブブの非情を見かねて、


「お主には、仲間への親愛の情も、憐れみも、慈悲も一欠片ひとかけらもないのか! 」


「ワイは悪魔やで! それも暴飲の悪魔。親愛の情も、憐れみも、慈悲なんか、空腹の前では、消え失せますわ。ワイは今、武蔵はん、あんたを頭から丸かじりにするか、香ばしい足からしゃぶるか、がぶっと、腹から食らうか想像して待っとるんでっさ」


 と、ベルゼブブは妊婦のようにデブッとした腹を撫でて、待ちきれない様子でマモンを見た。


 宝箱の金塊をピカピカに舐めまわしながら戦局を見守るマモンは、


「我は武蔵殿と戦う理由がない。明石ジョアン殿への協力は資金面の協力が我輩の眼目でな。キリシタンの世の中の創造などどうでもよい。我は少しでも長くこの世を生きて人がどのような未来を掴むかを見届けるのが我の勤めだ。戦いはパスだ」


 ほう、武蔵は顎を撫でマモンの心の内を推し測った。


「マモン、お主は、このまま生かして置いても我らに害はないと申すか? 」


「害はない。害があるとすれば、人間自ずからの内なる欲望。我はそれに手を貸し、自制心を試し繁栄と自滅を選択させる。害はない。我はむしろ侍の世の中から商人のこれからの政に必要不可欠な悪魔だ。我を利用する者が次代の天下人となろう」


 武蔵、眉間へ皺をよせマモンの話を聞いていたが、緊張の糸でも切れたように、


 ブーッ!


 と、放屁をかました。


「銭勘定の話はワシは興味がござらんてよく分からん。敵意が御座らねばこのまま捨て置くとしようか」


 ならば! と、武蔵はベルゼブブへ魔封じの刀、了解を向けた。


 ベルゼブブは、ニタリと口元を緩ませ、


「ワイでよろしいでんな?」


 武蔵は、黙ったままコクリと頷いた。


 では、ベルゼブブはパチンと指を鳴らした。すると、船室矢倉の屋根が消え失せた。


「今夜は満月でっからな。満月を眺めながら戦いまひょうな。おや、まだ裏切り者が残っとったか」


 ベルゼブブはハエの羽根を背中へ生やして中空へ浮き上がり、弁財船の腹へ横付けし、武蔵の脱出を小舟の漁船で待つカタリナお純と、明石藩の姫君、お千代を眼下へ捉えた。


 ベルゼブブは、ブハーッ!と、口を開くと妊婦のような腹から数万匹のハエの大群を吐き出し、カタリナお純とお千代の小舟を取り巻かせた。


「ヤヤッ! 」


 武蔵は、ベルゼブブの速攻のやりように先手を取られた。しかもベルゼブブは中空へ浮かび、武蔵には手が出せない。


「ならば! 」


 武蔵は、駆け出して、ハエの大群に取り囲まれた小舟へ飛び移って、黒集りの中から一人の手を握って引き寄せた。


「武蔵様」


「お千代様、ご無事で」


「武蔵様、早くカタリナお純を!」


「今はお人方づつしか救えませぬ。まずは、姫君」


 武蔵は、黒集りの中から千代姫を弁財船へ引き上げ救出した。


 するとハエは残されたカタリナお純へ集まり、縄のようにハエが集まって縛り上げてベルゼブブの元へ浮かび上がらせた。


「お純さん! 」


 お千代が叫んでも、もうお純は中空へ浮かび上がり、ベルゼブブの手元へ捕らえられた。


 武蔵は、


「ベルゼブブよお純を放せ!」


 ベルゼブブは、クククッ! と、笑って。


「裏切り者は返してもらう」


「お純をどうするつもりだ! 」


「どうもしまへんがな、ただ……」


「ただ、なんだ?! 」


 ベルゼブブはウェッと、また、腹からハエの大群を吐き出して、船室の隅っこで気を失っていた先の大坂の陣の大将、豊臣秀頼の遺児、国松を捕らえ中空へ浮き上がらせ引き寄せた。


 ベルゼブブは、中空に捕らえたカタリナお純の口を無理やり開かせ、己の長い舌を差し込んだ。舌はカタリナお純の喉奥を突くように前後へグングンと突き上げた。


 ドクンッ!


 カタリナお純の喉奥へベルゼブブは何かをドクンッ! と、は吹き出した。


「これで悪魔の種の植え付けは終わりました。あとは王の種を持つ国松の種とブレンドすれば、悪魔の王が産まれる」


 武蔵は、眉間を曇らせ、


「カタリナお純に何をした! 」


 ニタリとベルゼブブは笑って、


「カタリナお純と、国松をワイは、交尾! いや、契を望み通り結ばせよう思っとるだけや」


「カタリナお純は、国松の為に純潔を守り、ささやかな家庭を育み子を宿す事を夢見ていた。ベルゼブブよお主、先ほどお純に何をした! 」


 ベルゼブブは真顔に戻り、


「奪ったのよ操を、先にワイの種を子宮に忍ばせて、後から放たれる国松の種をすべて食らい、ブレンドしたところでカタリナお純に種をつけるのや」


「なんてことを! 明石殿、お主早く部下を止められまいか!」


 明石ジョアン全澄は、瞳から血の涙を流し、


「武蔵殿、ベルゼブブにはワシの力は及ばん。どうする事も出来ぬ。すべて徳川のキリシタンへの弾圧から憤怒に任せて魔界の王サタンへ魂を売ったワシへの天罰だ。武蔵よ、ワシを早く殺してくれっ! 契約者のワシが死ねばベルゼブブの力は弱まり、カタリナお純を救い出せるやも知れぬ、早く! 」


 そう言うと明石ジョアン全澄は、武蔵へ背を向け殉教するようにキリシタンの心を取り戻し、十字をきり手を合わせ目を閉じた。


「明石ジョアン全澄よ。お前の思い通りに悪魔を操れると思ったら大間違いだ」


 ベルゼブブは、プーンと、ハエを飛ばして殉教しようとする明石ジョアン全澄の口へ入った。


 ザワワッ! ザワワッ! ザワワッ!


 ハエが明石ジョアン全澄の口へ入ると、全澄は、モコ、モコと、体の両腕、両足が筋肉隆々と盛上り、もはや、この世の者とは思えぬ異形の体になってしまった。


 たとえるならば、もはや、鬼!




 つづく




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