第三章「仮面の少年」

52「ある神父の追放」

「そっ、それは――追放ですか?」

「人聞きの悪いことを言わないで欲しいですね……」


 傾きかかった太陽のオレンジ色が、二人を分け隔てているローテーブルを照らしていた。ソファーで向かい合っている一人はこの広報室の主、ヴィクター神父である。そう言って顔をしかめた。


「しっ、しかしっ!」


 そして焦ったように前のめりになっているのは、王都から研修でこの街にやって来ている若き神父、リュドレであった。


「君の考課は全てAクラスです。胸を張って王都の中央教会に凱旋ですよ」

「……」


 突然の呼出しに緊張しつつ部屋を訪ねてみれば、開口一番に告げられたのが王都への移動人事であった。


 ヴィクター神父はその理由わけなどを語り始める。王都から早期帰還の要望は当初からあり、研修課程は既に終わった等々、全て取って付けたような内容であり、リュドレの心にはまったく響かない。


 広報は辞令の伝達を担当しているが、辣腕のヴィクター神父は人事院にまで影響力を持っていると噂されている。


 半年の任期が半分の三カ月に突然短縮なのだ。これは冒険者の世界では追放と言うらしいと、どこかで聞いたことがある。いや、確か新聞で読んだ。


 リュドレは上司であるヴィクター神父の言葉に動転しながらも、何とか回避する方法はないかと頭を巡らせる。しかし何も思い浮かばない。時間を稼いで何かの切っ掛けをつかまねばと考えた。


「私の仕事はどなたが引き継ぐのですか?」

「そうですね、シスターソニアに任せましょうか……」

「そうですか! では明日にでも彼女と打ち合せを――」

「いえっ!」


 ヴィクター神父はぴしゃりと言って言葉を遮った。そして窓の外をチラリと見る。


「まだ陽は高い。今からなら明るいうちに隣の宿場街に着けるでしょう」

「えっ!?」

「引き継ぎは私がいたしましょう――」


 リュドレ神父が一瞬思い浮かべた、その美しく高潔さ漂うシスターの姿は暗転する。


「――すぐに出発して下さい。皆には私から説明しておきますから。君は王都の中央教会へ移動になったと……」

「こっ、これからですか?」

「はい、これから・・・・です」


 これが追放でないとしたら何と言うのだろうか? まるで厄介払いである。


 事実そうなのだとリュドレは思った。自分が蟻地獄などとやっかみ半分、面白半分に噂されているのは知っていた。リュドレとて今の自分の微妙な立場は分かっている。


「善は急げですよ」


 そしてこの仕打ちが善であった。


「短い間でしたが――お世話になりました……」


 もはやこれまで。リュドレ神父はがっくりとうな垂れるように頭を下げる。


「うん、御苦労様でした」


 ヴィクター神父の声色が妙に晴々しく聞こえるのは気のせいではないだろう。厄介者を放り出して肩の荷が下りたのだ。リュドレは下を向いて唇を噛みしめる。



 研修神父の荷物などたいしてない。部屋に戻ったリュドレは私物を乱暴にバッグに突っ込んで背負う。


 行政区の中央教会に併設されている宿舎棟は静寂に包まれていた。同僚の神父たちはまだ奉仕の最中なので当然である。


 リュドレは誰に見送られることもなく、ひっそりと宿舎を後にした。


 城壁の西門を潜って足早に宿場街を目指した。期待に胸を膨らまして歩いた道を、今は惨めな気分で逆に向かって歩く。


 有力貴族の子弟であるリュドレは領主修行の一環として教会の業務を学んでいたが、王都の中央教会では周囲からまるで腫れ物に触るように扱われていた。家が持つ強大な権限ゆえの問題で、それは仕方ないしリュドレにも自覚はあった。幼い頃からも周り全てがそうだったからだ。


 地方都市の研修では身分は伏せられる。リュドレを知る人のいない、王国の極東で発展するこの街に来れば、自分は一人の神父として過ごせると思っていた。


 しかし甘かった。いったい何が間違っていたのだろうか?


 リュドレは立ち止まってもうずいぶんと小さくなった街、クリヤーノを振り向いて眺めた。城壁を夕日が照らして空は深い蒼色に染まり始めている。


「はあ……」


 仲間として受け入れられるようにと、人が嫌がるような仕事も率先してこなした。知っていることは教え、知らないことには素直に教えを請うた。


 周囲からの信頼を得て、これで自分は認められたと胸を撫で下ろした。しかしそれが間違いだったとすぐに気が付く。その周囲・・は若いシスターばかりであったのだ。


 しまった、と思った時にはもう遅かった。王都の有力貴族だと言いふらされ――、それは事実なのだから構わないのだが、他にも色々な噂が拡散していると感じた。様々な尾ひれが面白半分に付けられて広まった。


 一番ショックだったのはある日の出来事だ。庭の外廊下で、難しい奉仕をしていると噂されていたシスターの一団とすれ違った。


 悪魔や吸血と対峙する互いの奉仕には干渉しないとの不文律があるので、慰労の言葉を掛けることもできないのだが、リュドレは敬意を込め尊敬の眼差しを送ったのだ。


 しかしそのシスターたちは、まるで悪魔でも見るような目でリュドレを睨みつけた。悪魔と対峙して精神が不安定だったと想像できるし、悪い噂も聞いてはいるのだろう。


 蟻地獄――、周囲のシスターはその罠に掛かった獲物? とでも表現している悪い例えなのだろう。それ以上の内容はリュドレの耳には入っていなかった。


 だからといってあの・・目は何なのだ? 悪魔の誘惑にさらされ、辛い思いもして平常心でないのは分かる。それでも、まるで・・・汚い物でも見るような視線にさらされたリュドレはショックを受けた。


 こんな状態ならば研修を打ち切ってでも、この街を離れさせるのが当然だ。リュドレは今やっとヴィクター神父の考えに思い至る。


「辣腕の神父か……」



 リュドレは薄暗くなった宿場街に到着し教会を目指した。どこの教会も旅をするシスターや神父の為に宿坊が用意されている。


 美しい讃美歌さんびかが心地よい風のように耳元に届く。まずは神に祈りを捧げようと、リュドレは聖堂に向かった。


 その歌声は扉の向こう側から聞こえ、ゆっくり開けると静謐せいひつな空間に小柄なシスターの背中が見えた。じゃまをしてはいけないとリュドレは神の彫像が見下ろす美しき音色をしばし楽しむ。


 神と人とをたたえる調しらべが終り、リュドレの気配を感じたかのようにそのシスターは振り返った。


「まあ……」


 不思議そうに小首を傾げ、少し驚いたように大きな瞳でリュドレを見つめる。


 神は最後に救いを与えてくれた。


「リュドレ神父。こんな所でどうされたのですか?」


 その歌声の主は、シスターソニアであった。

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