30「鳩ポッポッポ」

 ガッ、ガッ――! ガガッ――、ガツッ。


 眠れぬ夜を過ごしたアランの部屋に朝が来た。窓のガラスを何かが騒がしく叩いている。


「ん……うん……」


 その音にアランは目を覚ます。いつも起きるより、少し早い時間だった。


「何――だ……」


 そして寝ぼけ眼をこすりながら窓に歩み寄る。


「ポッポッポ、クックック」


 外では一羽の鳩が地面に停まりアランを見上げていた。


『早く開けなさいっ!』

「ひっ……」


 アランの頭の中に直接大音量が響く。声は三級天使のオルディアレス、アレスのものだった。


「はっ、鳩になったのかあ……、もうちょっと小さい声で――」

『あら、ごめんなさい』


 窓を開けると鳩は室内に飛び入り、机の上にちょこんと下りた。アランは窓を閉める。大音量はそのままだった。


「声が大きいままだよー」

『調節が難しいのよ。人間の姿になるわね』


 本来は野外で遠距離まで声を届かせるスキル心の声シャウトなのだ。室内で話すには不向きだった。


 鳩が宙で一回転すると小さな雲ができアランのベッドに下りる。晴れるとそこにはアレスが座ったいた。


「はっ、裸!?」

「急だったし服までは地上用を創造できなかったのよ。この人間の体もあまり長い時間は保てないにの」


 そう言っていつものように、ピンクの巻髪を人差し指でもてあそぶ。


「とにかく裸はまずいよ。早く服を着て……」


 誰かが突然にこの部屋を訪ねて来る、などの事態はないが、アランは目のやり場に困り天井を仰いだ。


「面倒くさいのね。昨日はあの・・少女の裸を堪能してたのに……」

「してない、してない」


 上を向いたまま、アランは首をブルブルと横に振る。


「服なんて着れないのよ。毛布を被るわ。いいわよ……」


 アレスはベッドに横になり首まで毛布を掛けた。


「臭いわ。たまには洗いなさい」

「おおきなお世話だよ……」

「女の子に逃げられちゃうわよ。あの標本少女」

「それも大きなお世話――、標本だなんて……」

「あなたが言ったのよ!」

「まあ――」


 確かにアラン自身の言葉であったが、半分以上は神の思考が言わせていたのだ。


「――それより早く本題の話をしよう」


 長く人間の姿を保てないと言っていたのに、これでは話がずれまくりだった。


「そうそう、ずいぶんハデにやったわね。相手は?」

「王の加護を受けた准将だったよ。バーゼルって言ってた」

「そう、それであそこまで力が解放されたのね……」


 神の力がやったことで、アランにとってはどこか他人事のように感じる。しかしあの場所は街には近すぎたと、今更に気が付いた。


「誰かに見られたの?」

「もちろんよっ! あれだけの戦いなのだし」

「そうかあ……」


 魔結界の中とはいえ規格外の戦闘だ。それなりの探査の力がある者ならば異変に気が付く。そしてそこに行ってみよう、とは自然な成り行きだった。


「近くに来ていた冒険者が数名。気が付いてあなたたちに近づいたけどね……」

「それは……」

「大丈夫よ。全員記憶を消したから」

「えっ?」


 アランは狼狽した。アレスが全員と言ったからだ。


「安心して。あの標本少女はそのままだから」

「そう」


 アランはほっとしたが、もしかすると記憶を消してもらった方が良いかもいれない。どちらが良いかなどアラン自身にもよく分からなかった。


「しばらくそのままにしましょう。あなたにも理解者が必要よ……」

「……」


 それは場合によってはアリーナをこの戦いに巻き込むかもしれない、との天使の判断だった。


 神の加護を受けているアランとて、いつか誰かの協力が必要になるかもしれない。


「なんなら今からでも戦ったところだけ消す?」


 アレスは一応、胸元を押さえながら上半身を起こす。


「いや、アレスの判断に任せるよ……」


 人の記憶を消すなど神の領域だ。アランに判断はつかない。もしアリーナがあれ・・を見てアランを拒絶するなら、それはそれで仕方のないことだった。


 アリーナがこの件を吹聴するなどあり得ないが、何かが切っ掛けでアランのことが世間に広まるならば、それはそれで天使がどうするか判断すればよいと思った。


「分かったわ……。さて、次の問題ね」


 アランは頷いた。前振りが長かったが本題は別にある。


「あの竜族は何者なの? なぜ僕にこだわるのかな?」

「今回はあの指輪、竜をあえて見せたわね。そのこだわりを伝えようとしている……」

「竜か……」


 アランが首に掛ける封印のペンダント、それを竜と知りあの・・竜族は自身の指輪を見せた。


「僕の両親は竜神を信仰していたのかな?」

「どうかしら? 信仰者の末裔であることは確かよね」


 人間が竜を神とあがめていたのは、もう何百年も前の話だ。今の竜は悪魔十王の一人である。つまり邪教扱いとなっているのだ。


 ただ今もその信仰を守り通している隠れ信者がどこかにいると、一種の浪漫として信じられていた。


 それは秘境の隠れ里であったり、大きな街の地下組織であったり、どこか誰にも知られていない島でひっそりと暮らしている――などとの様々な噂話だった。


「あの竜族の出方を待つしかないわ。神からはまだ何も言ってこないし……」

「うん……」


 確かにこちらから打つ手はないだろうとアランは思った。


「そういえば吸血王は今も活発なの?」

「ええ、教会の信者たちが頑張ってるわ。まだ大丈夫よ」

「うん……」


 こちらもアランが手伝う段階ではないようだ。神は人間の手伝いをするが神の立ち位置だった。


「私もこの街の周囲に気を配るわね」

「助かるよ」

「それじゃあ私はこの辺りを少し見て帰るわね。窓を開けて」

「うん」


 毛布をはだけさせたアレスは白い雲になり、一瞬で鳩に変わった。アランが窓を開けると外に飛び出す。


『何かあったら連絡するから』


 そう言って大空に向かって飛んでいった。


「声が大きいなあ……」


 もちろんアランにしか聞き取れない大音量の響きだった。

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