76話 不安
バルトは一心不乱に森の中を走っていた。
あれだけ一人で入るのに恐怖していた森に今は何故だかその恐怖を一切感じなかった。
さっきまで痛んでいた手のひらで今は斧を強く握りしめ邪魔な草木を刈りながら走る。
バルトが一人で走り去って行ってしまったがために村の人達も迷いなく追いかけていた。
こっそりついて行った時の記憶を頼りにまずはアギトの特訓場所を目指す。
森なので昔行った頃とは風景が変わっており、見つけるまで苦労し、途中茂みや草木で足や腕を擦りむいたが何とか到着する。
「あれ……」
だが、アギトの姿は無く、その代わりに地形が荒れ果て周りの草木はボロボロに痛み所々折れたりしており、ひどい出血痕まであった。
バルトはその惨状を見るだけで明らかに特訓だけで出来た惨状ではない事を悟る。
さらに、人のものとは思えないほど大きな足跡が辺りにいくつかあり、アギトの足跡と思われるものも見つける。
アギトの足跡だけ所々赤く染まりその血痕も森のさらに奥へと続いている。
それに従うようにバルトはさらに森の奥深くを目指す。
森の奥はさらに暗くなり、さらに辺りは徐々に日が沈み赤く染まり始め暗みが増しているようにバルトは感じてしまう。
そのせいでさっきまで忘れていた恐怖が徐々に湧いて出てくる。
だが、バルトは震え始めるふとともを叩き無理やり止める。
「行くか!」
バルトは森のさらに奥へと走り出す。
**
「はぁーはぁークッソが!」
アギトは口の中に溜まった唾を飲み込み何とか息を整える。
全速力で駆け抜け何とか魔物を切り離し今は隠れている。だが、もうアギトの体力は限界に近かった。
そもそも特訓の最後の方で殆ど体力を使い果たしてから出くわすのは本当に運が悪かった。
「いや……わざとか……」
確かにアギトの運もあるが実際、魔物はアギトの疲弊を狙っておりそれだけのかしこさがあった。
それもアギトは薄々感づいており、それと同時に相手が厄介な魔物であると言う事は間違いなかった。
だが、今はとりあえず村へ逃げる事が先決で、アギトは対抗しようとなど一ミリも考えていなかった。
アギトは血痕を消すため、ポーションを取り出そうとするが、持って来たポーションは魔物との戦闘中と特訓で三つ全て使い果たしてしまった事を思い出す。
仕方がないのでアギトは辺りに生えている薬草を傷口にかぶせるように貼り付けて血が止まるまで抑える。かなり簡易的な方法なので一時的なものにしかならない。
「あー!貼るだけで痛いのによぉー」
アギトは薬草を貼り付けるのは諦めて、薬草を左片手ですり潰しそれを口に含み唾液と混ぜそれを傷口に直接塗り込む。
血の赤と薬草の緑が混ざり茶色っぽい色になり、かなりしみる。完全に血が止まったわけではないがアギトはこれで妥協する。
他の傷もついでに塗り一つの場所に長居は危険なのでアギトはさっきの魔物に出くわさないことを祈りながら目だないように場所を移動する。
そして、なるべく村の方へ近づくように軌道をとる。
「まじか……」
あれから一時間以上歩いているが一向にアギトは村へつかず、思わず声が漏れてしまう。
それに、もうそろそろ日が落ちる。魔物は夜の方が活発になり、ただでさえ夜の森は危険なのに魔物が加わればアギト一人ではどうしようもなくなってしまう。
クッソ!
アギトは心の中で吐き捨て苛立ちを抑える。今イライラしても何も始まらない。こういう時こそ冷静さを欠いてはいけない。
すると、左斜め後方の茂みが不可解に揺れる。アギトは神経をその茂み一点に集中させなるべく普通を装いあえて気づいていないふりをする。
これで、襲ってこなければこっちの勝ち。もし、襲って来ても一撃目は躱せる自信がある。そこで何とか体勢を起こしまた全速力で逃げればいい。
そう考えながらアギトは一点をじっと見つめる。
ーー来る!!
「へ……へ……ヘックショイ!!」
すると突然茂みからバルトが顔を出し、鼻水を茂みの葉っぱに擦り付けている。アギトは今の集中でどっと疲れが後から押し寄せて来る。
「お!兄ちゃん!やっと見つけたぜ」
「バルトどういう……」
アギトはよく見ると、バルトは全身傷だらけで手足に痣を作り魔物にでも襲われたと言わんばかりの傷を負っている。
「何で分かったんだ?」
「兄ちゃんの足跡と血痕を見て追って来た!」
アギトはバルトを見て安堵した刹那ーーそのバルトの答えを聞き一気に背筋が凍るような感覚に陥る。
足跡……血痕?
振り返り、アギトはしっかりとまでは分からないが微妙にうっすら残る足跡とそこに付着している血痕を確認する。
アギトは、腕を主に怪我をしていて、ある程度は出血は収まっている。
なのになぜこんなにピンポイントで足跡の上に血痕が残っているのか疑問でしかなかった。
アギトは嫌な予感を感じながら足の裏を覗いて見る。
すると、靴の裏から見事に小さな木の枝が突き刺さっていて痛みは無いが枝にアギトの血液が付着していてい今もまだちょっとずつ血が滴れている。
これが原因か……
アギトは足の裏の枝を抜き取りさっきの残りの薬草を塗る。だがこれで終わらない事を覚悟する。
「バルト村の人はどれくらいで来てくれそうだ?」
「うーん……あと一時間くらいかな?」
「バルト、伏せろ!!」
「え?」
突如、右斜め後方の茂みから巨大な爪の生えた手で魔物がバルトに襲いかかる。
「グゥルウゥゴゴががアガ!!!」
「クソッ!!危ねぇええ!!」
アギトは咄嗟にバルトの手を引きさっきバルトが出て来た茂みの方へ放り投げる。咄嗟だったのでかなり思いっきり投げてしまったがいつも特訓しているし何より投げた方向は茂みだったので何も心配はいらない。
「本当に賢い魔物だ、バルトと会って安堵した瞬間を狙って来るとはな」
アギトに対してその魔物は睨みつける。
体長二メートル半くらいあり、特徴的なのは巨大な手の平の爪と牙、人型で分厚い茶色い毛の下にはさらに分厚い筋肉がはびこりそれが二重の盾となっている。さらに、首があるか分からないくらい筋肉が全身に隈無く付いている。
目は赤く光り、日が落ちかけている若干暗い森の中でもよく見える。涎を常時垂れ流し、耳は小動物のように小さい。
ゲルルージ……この魔物の名前だ。ヘイゲ村近辺では出現しないはずの魔物で、何かの巡り合わせでこの村に来てしまった。アギトは本当に運が悪いだけだった。
「走って逃げるもバルトは置いていけねぇからな……」
覚悟を決めアギトは名も知らない巨大な魔物と向かい合う。
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