第7話 私の友達を連れてきた!

同居生活にも慣れて、篠原さんの帰り時間も予想が付くようになっていた。篠原さんは、今日は友達と飲んで帰ると言っていたので、帰り時間は10時ごろになると思った。


山内亜紀さんは前の会社の同期で親友だ。会社を辞めてからもメールで連絡を取りあっていたし、月に1回ぐらいは食事をしてお互いの話をして情報交換をしていた。


このマンションでの同居についても相談したし背中を押してもらった。豪華なマンションに引っ越したこともすぐに知らせておいた。


亜紀に朝「今日はオーナーの帰りが遅くなりそうなので、会社の帰りにマンションへ遊びに来ない」と誘った。亜紀は行ってみたいと招待を受けてくれた。マンションの前まで来たら電話を入れるように頼んでおいた。


6時半に連絡が入った。夕食の用意がほぼできていた。グッドタイミング! すぐに入口まで迎えに行って32階の部屋に案内する。


「すごいところに住んでいるのね、これがいわゆる億ション? 羨ましいわ」


「中を案内してあげる。ここがリビングダイニング、あれが言っていたカラオケ」


「すごいね、カラオケに行かなくてもいいね」


「オーナーの帰りが遅い時は練習しているの」


「ここが私の部屋、10畳位はあるし、バス、トイレ付、家具も付いているの、だから引越しが楽だった」


「お風呂も大きいね」


「すごく楽、コックをひねるとお湯が出るから」


「見晴らしがいいいね」


「もう少しすると夜景がとってもきれいよ」


「こっちへきて、オーナーの部屋も見せてあげる」


「いいの?」


「お掃除とお洗濯をしてあげているので、自由に入っていいと言われているから」


「男くさい、見るからに男の部屋ね、ダブルベッドか、ウォークインクローゼットがあるのね、すごい。ここもバス、トイレ付か。洗濯はここでするのね、洗濯乾燥機があるから」


「週一回、全部屋とバス、トイレのお掃除、彼のシーツやバスタオル、寝具の洗濯が条件なの。トイレはリビングダイニングにもう一つあるけど」


「結構、掃除が大変そう」


「でも土曜日の半日で終わる。それで家賃が3万円、光熱費が2万円の合計5万円なら良い条件だと思った」


「そのオーナーってどんな人?」


「夕食を用意してあるから食べながら話そう」


ダイニングテーブルに座ってもらって、私はキッチンから用意してあった夕食を運んだ。


「ありがとう。夕食までご馳走になって」


「キッチンは自由に使っていいので、自炊しているから。これは冷凍保存しておいたものだから、気にしないで」


「自炊って、彼の食事も作っているの?」


「朝食だけは私が用意して一緒に食べている。彼は昼と夜は外食。私は、昼はお弁当持参、夜はこうして自炊している」


「お給料少なくなったからしかたないね、でも天の助けね」


「お陰様で前の時より生活にゆとりができました。お金も時間も」


「それじゃ、前のように着飾って、いい人でも探したら?」


「今はリハビリ中で、そんな気になれないわ」


「ねえねえ、そのオーナーってどんな人?」


「名前は篠原真一、32歳独身、同じ会社の企画部のエリート社員、このマンションは父親の所有だそうです」


「お父さまはお金持ちなのね」


「故郷で地味な商売をしているとか言っていたけど、詳しくは知らない。出身地も知らないし、教えてもらっていない。会社でも知っている人はいないみたい」


「地方の大きな会社の御曹司かもしれないね」


「そうかも、育ちはよさそうだから、一緒に暮らしていて安心感はある」


「気に入られて玉の輿というのもありかも」


「ないない、私に同居しないかと誘ったのも、私とは絶対に恋愛関係にはならないと思ったからと言われた。契約書にも明記されているのよ」


「それは失礼な言い方ね」


「私もそれを聞いてムッとしたけど、今の地味なスタイルだとそうかなと思ったし、それなら同居しても安心とも思った」


「結衣を女としてみていない?」


「そうみたい。女を意識しないので気楽みたい。こちらもそれで気楽な格好でいるけどね」


「同居するなら、気遣いがなくていいかも」


食事が終わったので、後片付けをする。亜紀が手伝ってくれた。時刻はまだ7時半を過ぎたばかりだった。


「これからカラオケの練習をしない?」


「早速、やってみましょうか?」


「オーナーが最新の曲まで入れているから、ほとんどどんな曲でも大丈夫よ」


「結衣から、歌ってみて」


「じゃあ、練習中の『レモン』を歌います。この曲はオーナーも好きだと言って、試しに歌ってくれた。曲の趣味は似ているみたい」


「オーナーは上手いの?」


「音程がしっかりしていて旨い方だと思う」


人前でこの曲を披露するのは初めてだった、なんとかうまく歌えたと思う。亜紀が拍手してくれる。


「上手、上手、練習の成果ね」


次に亜紀が歌った。亜紀はカラオケが好きで私を良く誘ってくれた。トラブルで落ち込んでいる時も気分転換になると言って誘ってくれた。どれほど助かったか、いまでも感謝している。


「次は練習中の『君を許せたら』にします。練習中だから何回も歌いたいから、気になるところを指摘してくれる?」


この曲はあまり歌い込んでいなかったので、ときどきフレーズに入るタイミングが合わない。これがうまくできるようになったら、もっと情感を込める練習をする。この2曲くらいあれば、何人かで行っても間が持つ。だからじっくり練習する。


亜紀も私と同じように、好きな曲を繰り返して歌った。私が感想を言ってあげる。気心の知れた友達とのカラオケは今の私にとって一番のストレス解消になる。


9時を過ぎたころに、玄関ドアの鍵を開ける音がする。篠原さんが帰ってきた? いつもと少し時間が早い。すぐに亜紀に合図してカラオケを止めた。


篠原さんは入って来て私たちをじっと見た。すぐに二人でカラオケをしていたのに気づいた。


「こんばんは、すぐに止めなくてもいいよ。ドアの外からも聞こえなかったから」


「もう少し遅くなると思っていました」


「今日は隆一と飲んだから、そうは遅くならなかった。大体こんな時間だ。彼女を紹介してもらっていいかな?」


「私の友人の山内さんです」


「こちらはここのオーナーの篠原さんです」


「山内さん、白石さんから聞いていると思うけど、二人の同居は口外しないでください」


「聞いています。ご迷惑はかけません。私はこれで失礼します」


「ゆっくりしていっていいんだよ」


「いいえ、私はこれで失礼します。ありがとう結衣、楽しかった」


「ありがとう、またね」


亜紀はすぐに篠原さんに会釈をして帰っていった。まあ、丁度いい時刻ではあった。


「私が前に勤めていた会社の同期です」


「そうなんだ。友人は大切にしないとね」


「そうですね。彼女はいつも私を助けてくれましたから」


「前の会社はどうして辞めたの? 差支えなければ聞かせてくれないか?」


「前の会社はセクハラが原因で辞めました。直属の独身の上司からセクハラを受けて、随分我慢していましたが、山内さんの勧めもあって、会社に助けを求めました」


「それで」


「その訴えが認められて、上司は転勤になりました。セクハラの事実を知っている周りの人から私にも落ち度があったと非難されました」


「上司の方がはるかに悪いと思うけどね」


「山内さんもそう言って励ましてくれました」


「でも、会社は辞めたんだね」


「そうです。私もすべて忘れて出直そうと思ったからです」


「それで今の派遣会社へ就職した?」


「新しい会社を探すのも大変なので、この方が気楽かなと思ってそうしました」


「でも収入は相当少なくなっただろう」


「3~4割少なくなりました」


「それで生活が苦しくなった?」


「だからできるだけ質素に暮らしています。もともと大学に通っているときから質素な生活には慣れていましたから。確かに原因は私にもあったのかもしれません。大学を卒業して就職してからは、お給料が全部仕えるようになって、気に入ったお洋服を買ってお洒落をするのが楽しみでしたから」


「就職したての若い娘は皆そうだと思うけどね」


「それで服装や化粧が少し派手になったのかもしれません。そうした油断が上司に誤解を与えたのかもしれません」


「それは違うと思うけどな。大体、執拗なセクハラをするやつとかストーカーをするやつはどこか普通じゃないんだ」


「でもそのきっかけは私が作ったのだと思います」


「そんな風に考える必要はないと思うけどね」


「それで派手な服装やお化粧をそれからはしないようにしています。もちろん経済的なゆとりもありませんから丁度よかったのですが」


「それで地味で目立たないようにしているのか」


「やはり、目立ちませんか?」


「白石さんに同居の声をかけたのも目立たなくて地味だったからだ」


「それならよかったといえばよかったです。篠原さんからのお話はありがたかったです」


「それより家賃の負担が減って生活が楽になったのなら、白石さんの着飾った姿を見てみたいな」


「どうですか、でも最初におっしゃっていたとおり、地味の方がいいのでしょう。それに当分は考えていません」


「残念だけど、それもそうだ。白石さんが可愛くなって恋愛感情が起こっても困るからね。話したくないことを聞いて悪かった。もう君のことは聞かないようにしよう。これで終わりだ」


「ひとつ提案があります。今日のような鉢合わせもありますので、差し支えない範囲で毎日の帰り時間をお互いにメールで知らせ合うというのはどうですか。お互いに友人と鉢合わせするリスクも少なくなると思いますが」


「そうだな、その方がよいかもしれない。メルアドも教えてくれる」


「はい」


確かに、篠原さんには少し面倒とは思うが、その方が返って気楽だと思ったから提案した。成り行きで私の過去の話をしたが、聞いてくれたし、意見も言ってくれた。なにか困ったことがあれば相談にものってくれそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る