第3話

 ♡―♡―♡―♡―♡


「今日はね、いつもお母さんが寝る前に読んでくれた本を持ってきたよ!」


 少年はそう言いながら嬉しそうな顔で鞄の中から小さな本を取り出した。

 それは、淡い水色で端には小さな貝殻達が載っていた本だった。

 表紙の中心には同じ魚だろうか? それとも人なのだろうか? どちらかわからない姿をした女性が、岩の上に座り儚げな顔をして海の中から空を見上げていた。


(綺麗……)


「これはね、人魚姫っていう話しなんだよ」


 少年は湖の中にいる鯉に背表紙を見せる。鯉には人間の言葉が理解出来ても文字まではわからない。


(にんぎょひめ?)


「僕ね、君にも知って欲しくて持って来たんだ。僕が代わりに読んだあげるね!」


 少年は本を開き、鯉に人魚姫の物語を読み聞かせる。鯉は、少年が読んでくれる人魚姫の物語をずっと、ずっと聞いていた。

 少年の優しい声音はとても心地よく、まるで、川の流れのように緩やかに言葉が流れて行く。気がつくと物語は終わり、後の時間は他愛ない話しで過ごした。

 そして、楽しい時間はあっという間に過ぎて行き、少年は靴を履くと鯉に向かって、いつもの言葉を言う。


「また、会いに来るね」


 鯉は、湖から顔を出し少年の姿をジッと見つめ、その背中が消えるまで見送ると自分の住処すみかへと帰る。住処に着くと、鯉はボーっとしながら読み聞かせてくれた物語を思い出した。


「人魚姫、かぁ」

「それなぁに?」


 後ろから突然声をかけて来たのは、自分より一回り小さい小魚だった。


「人間の物語よ」


 鯉は、その小魚に今日少年が自分にしてくれたように人魚姫の物語を読み聞かせる。読み聞かせが終わると、小魚達はクスクスと笑い合っていた。


「へぇ~、そんな話しがあるんだ」

「人間って、面白いことを考えるわよね。人間になる話しを作るなんて」

「でも、その話し…僕、聞いた事があるような――」

「そうなの?」


 鯉と他の小魚達が体を傾ける。人間でいう『首を傾げる』と同じ動きだ。


「うん。えっとぉ……あ、思い出した。確か、昔、主様ぬしさまが話してくれたよ」

「主様が?」

「うん。なんでも、その話しは遠い国のお話しでね、本当のことなんだって」


 鯉は小魚の言葉に胸をときめかせた。


(本当に実在するなんて……)


「まぁ、僕達は人魚でもないから人間になんてなれるわけないんだけどね。それに、人間って怖い生き物だって主様も言っていたし」

「あ、僕達、そろそろ戻らないと」

「また聞かせてね」


 小魚達は自由気ままに何処かに泳いで行ってしまった。

 ポツン…と一匹になってしまった鯉。鯉は、小魚達の言葉に不思議と気落ちしていた。


(人魚でもない、か……)


 鯉は湖に誰かが落としたのであろうと思われる小さな鏡を自身の尾で砂を払う。鏡は湖でずっと眠っていたのか、傷だらけで少し汚れていた。


 鯉はソッと鏡を覗き込む。

 そこには、クリッとした丸い瞳に白と赤の斑模様の身体が鏡に映っていた。


(あの子と話せたらな……)


 そんなことを思っていると、ふと鯉はあることに気がつく。それは、少年が言っていた通りがあることだった。

 その痣は、まるで、瞳から溢れ落ちる一滴の涙のようにも見えた。


(本当に雫みたいね。まるで、泣いているみたいだわ)

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