第十七話 情報交換

 ──俺は、あの時誓った。


 この世界に復讐すると。この世界を破壊してやると。

 あのようなことをしなければ生きられないのなら、この世界は根本から間違っている。

 あのようなことが許されるのなら、この世界は腐りきっている。


 だから、俺は……。


 頬に冷たい感触を感じ、アクセルは目を開けた。

 その目に映るのは、館の床と壁。

 全身が酷い脱力感に襲われ、状態を確認する気にもならない。


 あぁ、そうか。これが……。


 ボーッと宙を見つめていると、近付いてくる影が映った。


「何か言い残すことはあるか?」


 その声には、未だに冷たさと殺意が篭っていた。

 体に纏うエレメントもまだ解かれていない。


「お前は……この世界が、正しいと思うか……?」

「さぁな。来たばかりだからまだ分からん」


 来たばかり……? どういう意味だ……?


「ならもし、この世界が醜く、間違っていて……。もう、手の施しようがないとしたら……。いや……何でもない、忘れてくれ……」

「……それだけか?」

「あぁ……後は好きにしろ……」


 飛鳥は頷き、レーヴァテインを振り被る。

 アクセルは静かに目を閉じた。


 不思議と、恐怖も絶望も感じない。むしろ落ち着いていると言ってもいいくらいだ。

 俺が死んだところで悲しむ奴などいない。

 心残りはいくつかあるが、それももうどうでもいいことだ。

 軍の連中は落胆するかも知れないが、それはそれで気分が良い。


 しかし──


 いつまで経っても、死はおろか痛みすらやってこない。


「おい、何を……」


 目を開き、飛び込んできた光景に、アクセルは全身が固まってしまった。


「お、お願い……」


 二人の間にリーゼロッテが跪き、飛鳥に向かって頭を地面に擦り付けている。


「ア、アクセルを許してやって……。アーニャは、私が責任持って治すから……、だからお願い! こいつを……殺さないで……」


 リーゼロッテは体を震わせ、今にも消えそうな声で飛鳥に頼み込んだ。

 アクセルがリーゼロッテに手を伸ばす。


「リーゼロッテ……さん……。やめて、ください……。そんな……」

「うっさい! あんたは黙ってなさい!」


 尻尾で顔面を強打され、アクセルは「ぐぇっ」と短い悲鳴をあげると、床を転がった。


「お願い! ううん……お願いします! 私にできることなら何でもするから! し、尻尾とか耳とかモフってもいいから!」


 リーゼロッテは涙を浮かべながら、もう一度飛鳥に頭を下げた。

 飛鳥は何も言わず、リーゼロッテを見つめている。

 そんな飛鳥へ、アーニャが声を掛けた。


「飛鳥くん……。私からも、お願い……。もう、やめて……」

「アーニャ……」

「リーゼロッテちゃんの尻尾……モフモフ……したいし……」

「……」


 飛鳥は溜息を吐くと、レーヴァテインを収めた。


「……これじゃ俺が悪者みたいじゃないか」

「え……?」


 リーゼロッテがキョトンとした表情で顔をあげる。

 しかし、既に飛鳥はアーニャの元へ歩き出していた。

 リーゼロッテは大きく息を吐くと、アクセルへ駆け寄り体を揺すった。


「アクセル! 大丈夫!? ねぇ!」

「大丈夫、ですよ……。俺はいいんで……あの女を診てやってください……」

「でも!」


 尚も詰め寄るリーゼロッテを、アクセルは手で制した。


「しばらく横になっていれば大丈夫ですから……」


 微笑むアクセルに、リーゼロッテはしばらく口を固く結んでいたが、

「分かった。向こうが終わるまで絶対動かないでよ!? いい!?」

 と怒鳴ると、アーニャの方へ走り出した。






   ◆


 しばらくして──


「ね、ねぇ……そろそろ離してほしいんだけど……」


 リーゼロッテはむず痒そうに顔を赤くし、アーニャに声を掛けた。

 しかしアーニャは聞いていない。恍惚とした表情でリーゼロッテの尻尾に頬ずりしている。


「ねぇねぇ、飛鳥くんもモフモフする? リーゼロッテちゃんの尻尾、気持ちいいよ」

「いや、僕はいいよ……」


 リーゼロッテは我慢するように拳を握り微動だにしない。


 猫に限らず、動物って尻尾触られると嫌がるんだっけ……。


「ちょっと、飛鳥。何とかしてよ……」


 リーゼロッテが先ほどとは別の意味で涙を浮かべ、飛鳥を見つめた。

 だが飛鳥は少し考えた後、

「すまない。もう少し我慢してくれ」

 と視線を逸らした。

 アーニャは変わらず緩みきった顔で尻尾を触り続けている。


 少し可哀想になってきたけど……、こんなに嬉しそうなアーニャが見られるなら仕方ない。


「そ、そんなぁ……」


 リーゼロッテが項垂れていると、アクセルが戻ってきた。

 アーニャの顔色を見て、意外そうに視線を動かす。


「ほぉ。死ぬ一歩手前まで喰らったつもりだったが、回復が早いな」

「あ! ちょっと! 動くなって言ったでしょ!? ……って、あれ?」


 リーゼロッテは不快感も忘れ目を丸くした。

 先ほどまであんなにボロボロだったのに、アクセルの体には傷一つない。


「へ? え? どうなってんの……?」


 あれからまだ一時間と経っていない。

 いや、そもそも数時間や半日で癒えるような傷ではなかった筈だ。

 リーゼロッテは訳が分からず、目眩を覚えた。


「大丈夫って言ったでしょう? それより……。おい、飛鳥。この女は何だ? 人間でも獣人でもない。まさか、精霊だなんて言わないよな?」

 と、アーニャを指差した。

 飛鳥が不愉快そうにアクセルの手を払い睨みつける。


「俺たちの用件が先だ。帝国唯一の第八門として参戦してもらうぞ。異論は無いな?」

「あっても聞く気ねぇだろ。……戦うのはいいが、一つ問題がある」

「問題? 何だよ」


 警戒するように身構える飛鳥に、アクセルは嘲るように笑った。


「俺はこの館から出ることができん。出たら死ぬからな」


 アクセルの言葉に、リーゼロッテの顔が青ざめていく。


「な、何よそれ!? 死ぬってどういうことよ!?」


 リーゼロッテはアーニャの手を振り解き、アクセルに掴みかかった。

 しかし当のアクセルは、

「あれ? 言ってませんでしたっけ?」

 なんて、あっけらかんと答えた。


「聞いてないわよ! 説明しなさいよ!」


 リーゼロッテは本気で怒っているようだ。

 俯き、肩を震わせている。


「ん〜。どこから話したものか……」


 そう言うとアクセルは黙り、考える素振りを見せた。

 それがいつもの、茶化しているように感じたのだろう。


「最初から最後までよ!」

 と、リーゼロッテはアクセルの腹を殴りつけた。


「わ、分かりましたよ……。正確には死ぬ訳ではないんですけど、ちなみにリーゼロッテさんって、俺が食事してるとこ見たことあります?」

「え? 食事? ……あれ、見たことないかも」


 リーゼロッテが記憶を探すように目を動かす。


「そう、無いんですよ。俺の体の中は、脳以外無くなってるので。普通の食事は取れないんです」

「はぁ……?」

「えっ……」


 その言葉に、リーゼロッテもアーニャも目が点になってしまった。

 アクセルがポカンと口を開けている二人を見て楽しそうに笑う。


「うん、良い表情です。それに比べて飛鳥……お前はつまらん奴だな」

「今更驚くかよ。……それが、お前が受けた実験の正体か?」

「何だ、知ってたのか」


 タネを明かされた手品師マジシャンのように、アクセルは肩をすくめた。

 だが飛鳥はそんなことお構いなしに続ける。


「お前の体は脳以外、ヴァナルガンド、ミドガルズオルム、ヘル。どういう仕組みかは分からないけど、その獣たちによって代用されている。と言っても見た目だけだ。本来の臓器としては機能していない。だから……」

「そう。だから俺は他の生物のエレメントを吸収することでしか命を保てん。ここを出れば否応無しに命を奪うことになる」


 二人の会話に、アーニャがハッとした表情を浮かべ、『神ま』を捲る。


「じゃあ……貴方が八年前に起こした大量殺人は……」

「あぁ、死ぬ訳にはいかなかったんでな。仕方がなかったんだよ」

 と、不愉快そうに吐き捨てた。


「そんな……アクセルの体が……」


 自身を抱きしめるリーゼロッテを見て、アクセルが目を伏せる。


「今でこそ王国と覇権を争うまでになったが、以前は常に周辺国と睨み合っていてな。先王と軍は人為的に第八門を生み出すことで状況を打破しようとしていた。それが俺の受けた実験の目的だ」

「人為的に……!? そんなことできるんですか……?」


 アーニャの問いにアクセルは呆れたように首を振った。


「目の前に実例がいるだろうが。まぁ、半分は失敗だ。俺は特異能力シンギュラースキルを得ることはできなかったし、王国の第八門と戦ったところで勝つことはできん。奴らは本物の化け物だ」


 ざまぁ見ろと言わんばかりにアクセルが笑う。

 軍に恨みを持っているのだから、気持ちは分からなくもないが。

 そこでふと、飛鳥は思い出したようにアクセルに聞いてみた。


「お前は王国の第八門がどんな奴なのか知ってるのか?」

「ん? 聞いてないのか? お前らも案外信用されてないんだな。まぁいいだろう」


 意外そうな表情を浮かべた後、アクセルは話し始めた。


「王国には第八門が二人存在している。一人目の名前はクリスティーナ・グランフェルト、貴族の出だ。通り名は『氷の戦乙女』。ヴァルキュリアって特殊部隊を率いている。そしてもう一人だが……」


 言いかけ、アクセルは押し黙ってしまった。

 何か迷っているように見える。


「もう一人は、何だよ」

「……グランフェルトの方は八芒星オクタグラムでもどうにかできると思うが、もう一人は別格だ。正直、降伏した方が犠牲を出さずに済むと思うがな」

「そうはいかないだろ。王国は獣人を排斥してるんだぞ? 降伏なんかしたらリーゼロッテだって……」

「ふん、リーゼロッテさん以外の獣人のことなんぞ俺は知らん。話を戻すぞ。もう一人の名は焔恭介ホムラキョウスケ。『焔王』と呼ばれる、この大陸最強の精霊使いだ。王が王に仕えてるなんて笑える話だろ」


 それに飛鳥もアーニャもフルフルと首を振った。


 全然笑えないだろ……それ……。


「さて、次はお前らの番だ」

「私たちの……?」


 アーニャが不思議そうな表情を浮かべる。


「あぁ、特にお前だ。お前は何者だ?」


 飛鳥とアーニャは互いに見つめ合った。

 本当のことを言うべきか。そもそも信じてもらえるのか。

 するとアクセルが苛立ったように口を開いた。


「安心しろ。誰にも話す気はねぇよ、個人的な興味だ」


 アーニャが不安そうにリーゼロッテに視線を移す。

 リーゼロッテは慌てて手を振った。


「わ、私だって誰にも言わないわよ! こんなとこに連れてこられて、私も役人や軍人は嫌いだし……」

「あぁ、それは俺が先王に交渉した結果ですよ」

「は……? ちょっと待って、どういうこと?」

「ほら、さっさと聞かせろ。お前たちは何者で、目的は何だ?」

「ちょっと! 私の質問に答えなさいよ!」


 リーゼロッテの口を手で塞ぎ、アクセルは二人を見つめた。


「……分かった、話すよ」

「飛鳥くん、いいの?」

「うん、多分大丈夫、だと思う」


 それから二人は、アクセルとリーゼロッテに説明し始めた。

 『救世の英雄』と女神のこと。この宇宙の在り方と、旅の目的。そして、現在帝国に協力している理由──。




「ふぅん……」


 話を聞き終え、アクセルは考え込むように目を瞑った。

 その隣では、理解の範疇を超えてしまったのか、リーゼロッテは口を開けたまま固まっている。


 無理もない。あなたたちの世界を救う為に別の世界から来ましたなんて聞かされて信じる方がどうかしてる。


 しかし──


「話は分かったよ。それにしても……」

「え、信じてくれるんですか……?」


 アーニャはアクセルの顔色を窺うように聞いてみた。


「あぁ、信じてやるよ。この世界を救うときたか、面白いじゃないか。精々勝手に頑張ってくれ。それより、お前女神にしては弱くないか?」

「うぐぅ……」


 一番気にしているところを突かれ、アーニャが膝を折る。

 その体を支え、飛鳥はアクセルを睨みつけた。


「もう一度細切れにされたいのか? お前」

「細切れにされた覚えはねぇよ。つまりお前らはこの戦争を引き分けにしたいと。俺はその為の駒の一つか」

「こ、駒だなんてそんな……。私たちは、協力してほしいだけで……」


 アーニャの顔が曇る。

 だがそんな彼女を余所に、アクセルは疑問を口にした。


「それで? どうやって俺をここから出してくれるんだ?」

「それは……」


 その時、飛鳥の頭に一つの精霊術が浮かんできた。それは、館に入る前に視たもので……。


「そうだ、霊装を作ればいい」

「あ? 霊装?」


 飛鳥が頷く。


「あぁ。この館を覆っている、お前にエレメントを供給している精霊術。それを再現する霊装を身につければ、外に出られる筈だ」

「ほぉ。ならそれを作って持ってこい」

「あ、でも……こんな複雑な術式、組み込めるのかな……?」


「ソフィア・リスト」


 考え込む飛鳥に、リーゼロッテが声を掛けた。


「え?」

「軍の施設にいた頃に聞いたことがあるの、私と同じ猫人族に天才霊装技師がいるって」

「その人が、リストさん……?」


 それにリーゼロッテは少し顔を赤らめ頷いた。


「ありがとう」

「まぁ、アクセルを助けてくれたから……」

 と、ボソボソ呟く。


「とりあえず今日はここに泊まっていけ。リーゼロッテさん、二人の世話、お願いしますよ」


 それだけ言うと、アクセルは館の奥へと消えてしまった。


「良かったね、飛鳥くん」

「うん」


 二人は互いに微笑み合った。

 だが、この一件で帝国の、この世界の暗い部分に触れることになるとは、この時の二人は知る由もなかった。

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