第十三話 第八門の精霊使い
明くる朝──
マリアに連れられ、二人は中央司令部の会議室へと向かっていた。
軍議に参加し打倒王国の策を考えてほしいという、ヴィルヘルムのたっての願いからである。
「朝早くからありがとうございます。昨日はよく眠れましたか?」
「はい、お陰さまで」
「えぇ、まぁ、はい……」
笑顔で返すアーニャの隣で、飛鳥は苦笑いを浮かべ頰を掻いた。
十中八九エミリアのせいだろうが、借りている部屋のベッドはダブルサイズのものが一つだけ。
アーニャがキーウ・ルーシの時同様、毛布を丸め間に置こうとしてくれたが、全く意味を為さないのは実証済みだ。
そこは丁重にお断りし、なるべく端に寄って眠りについた。が……、
数時間して飛鳥は腹部に強烈な打撃を受け目を覚ました。
見ると、アーニャの白くスベスベした足が乗っている。どうもアーニャは寝相が悪いようだ。
なるべく変なところには触らないように気を付けながらアーニャの体を戻し、布団を掛け寝直したが、直後背中に抱き付かれ、おまけに足まで絡められ結局そのまま朝まで──。
つまり飛鳥は二日連続で寝不足の状態なのだ。
人間が高いパフォーマンスを発揮する為に必要なことは栄養をしっかり取ること、そして疲れを残さないことである。
前者はヴィルヘルムの気遣いもあり今後も問題はなさそうだが、後者は自分で何とかするしかない。
それだけ今の飛鳥にとって、救世や戦争終結以上に重大な問題となっていた。
しかし将来のことを考えればアレが普通の状態だ。
僕はどちらかと言えばパートナーとはベタベタしたい派だし? アーニャがいいと言ってくれるなら、できる限り一緒に過ごしたい。
その時一々恥ずかしがるのか? 答えはノーだ。
ここまで来たらもう後は慣れるしかない。それまでの辛抱だ。
いや待て、辛抱というのもおかしいだろう。好きな人と一緒に寝られる。むしろ嬉しいことだ。うん、最高じゃないか。
まぁ、慣れるまでは……眠りの精霊術とかあるか後で聞いてみよう……。
「着きました。こちらです」
「あ、はい」
マリアの声で意識が引き戻された。
「き、緊張するね……」
と、アーニャが飛鳥の手を握る。
「大丈夫だよ。ヴィルヘルムがあれだけ友好的なんだから」
赤くなりつつも、飛鳥はアーニャを安心させようと微笑んだ。
そして扉が開かれる。
会議室の中に入ってすぐ、飛鳥は鼻を動かし「げほっげほっ!?」と咳き込んだ。
「飛鳥くん!? どうしたの!?」
「……煙草臭い」
部屋にはうっすらではあるが紫煙がかかり、強い臭いが鼻腔を突き刺した。
そうか……。今までの道程を見る限り、ティルナヴィアは地球でいう産業革命以前のヨーロッパに似ている。副流煙に配慮するなんて考えはまだないか……。
アーニャからハンカチを借り部屋の中を見渡すと十数名の男女が席に着いていた。
二人を睨む者、訝しむように見つめる者、興味がないのか前を向いたまま一瞥もくれない者、そして……。
「飛鳥♪ アーニャ♪ おはよっ♪」
緊張感の欠片もない、アホ面で手を振る者。
「お二人とも、こちらへ」
入り口から一番近い、向かい合った席をマリアが手の平で指した。
二人はそれに従い腰を下ろし、いつでも連絡が取れるよう『神ま』を開く。
「皆様既にご存知かとは思いますが、ロマノーに伝わる『伝説の英雄』皇飛鳥殿とその奥方、アニヤメリアさんです」
二人を紹介するマリアの言葉に被せるように、一人の男が「ふん」と鼻を鳴らした。
四十代後半といったところか、灰銀の髪をオールバックにした男がこの副流煙の原因、パイプの煙をくゆらせながら嘲るような笑みを浮かべる。
「英雄伝説……そんなものにまで頼るとは。陛下は余程気が弱くなられているようだ」
その言葉にマリアの頰が微かに動いた。しかし、
「やめろクラウス。陛下に対してその物言い、些か不敬だぞ」
と、パイプの男、クラウスの隣に座っている男がマリアより先に諌めた。
年はクラウスと同じぐらいだろう。だが、短く黒い髪に眼鏡を掛けたその男は、クラウスとは真逆で落ち着いた佇まいをしている。
「オークランス中将閣下の仰る通りです、ルンド中将閣下。お二人の参戦は陛下がお決めになられたこと、それに異を唱えるようであれば……」
マリアが怒りを含んだ口調で告げるが、クラウスは全く意に介していないように煙を吐き出した。
「反対するつもりはない。ただ、そこまで信じていい者たちか? 王国のスパイである可能性は?」
「私と一緒に戦ってくれたし、王国のスパイだったらロスドンで王国兵の邪魔するかな〜?」
「その通りです。芝居を打つにしても、あれだけ必死に攻略を試みていたロスドンで行うとは思えません」
反論するアルヴェーン姉妹をクラウスが睨みつける。
一触即発な雰囲気の中、飛鳥が恐る恐るといった様子で手を挙げた。
「英雄殿、どうかされましたか?」
マリアが問う。
「あの、ロスドンはあまり大きな町には見えなかったんですが……そんなに重要な場所なんですか?」
その辺り、実際は昨晩の内にアーニャと予習しているのだが、知り過ぎているのも警戒心を持たせてしまう。
今は何も知らない振りをするのが得策だろう。
それに反応したのはオークランスであった。
「あぁ、英雄殿は他国からの旅行者だったな。アルヴェーン大佐、説明を」
「はっ。ロスドンは確かに規模としては小さい。しかし、この国の海上ルートへと通じる重要拠点です。もし王国に奪われることがあれば物資の輸送が滞り、国内の流通は大きな打撃を受けます。故にこんな時期であるにも関わらず王国はロスドン攻略に躍起になっていました。正直……厳しい状況ではありましたが、英雄殿のお陰で今は防衛戦も持ち直し、王国の攻勢も緩んでいるのです」
オークランスが頷く。
マリアも感謝するように微笑んだ。
「なればこそ、この勢いを以って一気に攻勢をかけるべきではないか?」
クラウスが口を開く。
しかし、オークランス含めその場にいる全員が押し黙ってしまった。
それだけで、如何に無謀を説いているか伝わってくる。
「どうした。ロスドン防衛で我が軍の士気は高まっている。王国もあれ以来手をこまねいているではないか。今こそ一気呵成に攻め立て、北部拠点を攻略する時だ!」
その言葉に反応はない。クラウスは苛々した様子でパイプをふかした。
マリアが顔色を窺うように口を開く。
「しかし……後一月もすれば最も雪深い時期になります。行軍にもより体力を要しますし、満足に戦える状態では──」
「だからその一月の内に決着をつければいいと言っている! 戦いとは気の強さが勝敗を分けるのだ! 全軍決死の覚悟で臨めば王国など敵ではないわ!」
クラウスがテーブルに拳を叩きつけた。
皆、渋い顔をして下を向いている。
どうやらこの場で一番発言力が強いのはクラウスのようだ。しかし……、
ブラックだ……。その考え方はブラック企業のそれだ。
気合いと根性、この場では関係ないがついでに誠意。僕が社会人になって嫌いになった単語ベストスリーだ。
短期の、終わりが見えているものであれば気合いと根性で乗り切るのもありだろう。
だが、ヴィルヘルムの様子からも分かるようにこの戦争はまだ終わりが見えない。
そんな状況下、気合いと根性だけで戦い続けられる者がどれだけいるだろうか。僕なら即行で離脱する。
「まぁ落ち着けクラウス。アルヴェーン大佐の言うことも一理ある。何より向こうの第八門が出てきていない。私にはそれが気掛かりでな」
「第八門がどうした! その為の『
と、エミリアとその隣の男を睨みつけた。
第八門の精霊使い──
ティルナヴィアに存在しているエレメントという力。そしてそれを扱う精霊使い。
この者たちには、エレメントの強度や純度、潜在能力、そして本人の戦闘能力などを総合して第一から第八門までのランクが付けられている。
第六門まではもちろん才能も必要だが、努力で何とかなる範囲らしい。
そして第七門はいわゆる天性の、生まれついての才というやつだ。よく言われる何百人に一人とか、そういう常人と天才との差とも言われるランク。
若くして将官にまでなっているのだから、エミリアはおそらく第七門の力を有しているのだろう。
しかし、第八門は別だ。
同じ種族とは思えないと言えば分かりやすいだろうか。
存在自体が異常、同じ力を扱っているとは思えないほどの、天上の精霊使い。
おまけに『
ゲームだったら初遭遇時は必ず負けるイベントバトルみたいな連中だ。
その時、『神ま』に文字が浮かび上がってきた。
『何か、険悪なムードだね……。大丈夫かな……』
顔を上げると、アーニャは不安そうな表情を浮かべている。
やっぱり可愛い……じゃなくて! こうなったら何か策を……漫画やゲームであったよな、確か……。
飛鳥は立ち上がると、面々を見渡した。
それをエミリアが不思議そうに見つめる。
「飛鳥?」
「戦とは、十全なる準備を以って臨むものである」
「え?」
「雪の中で動けなくなるのは王国も同じこと。第八門の精霊使いが出てこないのもロスドンから兵を退いたのもこちらを警戒してのことではありません。絶対に勝てる、帝都を陥せる状態まで準備をする為に敢えて最低限の戦力のみを前線付近に残しているんです」
オークランスが考え込むように腕を組んだ。
「では英雄殿、つまり……」
「はい。王国は雪解けの時期、五ヶ月後に全面対決を仕掛けてくると思われます。ならばこちらもそれに備えればいいだけのこと。その上で帝国領内に引き込み地理的優位でこれを撃破。返す刀で一気に王都まで進軍する。これが最もこちらに被害が少なく、勝算の高い策と考えます」
二人のやり取りでエミリアたちの顔が明るくなる。だが──
「ふざけるな! そのような弱気な策を我々に取れと言うか! どこの馬の骨とも知れん者が!」
クラウスだけは怒りを露わにした。
メンツを潰すことになるのは悪いと思うが、無駄な犠牲を出す必要はない。
それこそ救世から遠い行いになってしまう。
すると、エミリアの隣に座っている獣人の男が手を挙げた。
黒い髪の毛は肩まで伸び、前髪も鼻の辺りまでかかっている上に口元には黒い布を着けていて、髪の間から覗くギラついた金色の瞳が強調されている。
「オークランス中将、発言を」
「よろしい、許可しよう。ライル大佐」
ライルと呼ばれた獣人はここで初めて飛鳥へと目を向けた。
「アルヴァ・ライル。
「はぁ、ど、どうも……」
「ルンド中将の仰ることはごもっとも。腑抜けた兵では戦争には勝てん。だが……その気の強さを引き出す為にはスメラギの言う準備が必要だ。俺たち獣人にはこの戦争に負けられない理由がある。理不尽に命を奪われた子供を弔う為に必要なことならいくらでもやろう。そして……時が満ちたならば、王国を焼き尽くそう」
ライルの金色の瞳が怒りに染まる。
オークランスが口の端を吊り上げた。
「決まりだな。だがライル大佐、これは獣人だけの問題ではない。殺された子供は帝国の民だ。同じ帝国臣民として、必ずこの戦争に勝利しよう」
ライルはフッと息を吐くと、椅子に座り直した。
クラウスはまだ不満そうな顔をしているが、一応纏まったようだ。
ん? そう言えば……。
「あの、もう一ついいですか?」
「何だね? 英雄殿」
「帝国には第八門の精霊使いはいないんですか?」
途端、全員押し黙りそっぽを向いてしまった。
しかしその沈黙は先ほどのものとは違う。
聞いてくれるな、触れてくれるなと言いたげな雰囲気が漂っている。
飛鳥とアーニャは何事かと顔を見合わせた。
「えーっとね……残念ながらいないんだよね〜! いたら王国攻略ももっと楽だったんだけど!」
沈黙を破ったのはエミリアであった。しかしどこか隠し事があるような、後ろめたさを感じる。
「……そうだな。残念だが──」
「いえ、一人だけいます」
「ちょっとマリア!?」
皆の視線がマリアに集まる。しかしマリアは気にせず続けた。
「いいじゃないですか、事実ですし。それに、英雄殿ならあの男を上手く使えるかも知れません」
「ふざけるなアルヴェーン大佐! 何かあったら誰が責任を取るのだ!」
「もちろん、陛下の許しを得てから徴用いたします。それならばルンド中将閣下が責を問われる心配はありません」
「そういう問題ではない!!」
先ほどまでの豪胆さはどこへやら、クラウスは慌てふためいている。
飛鳥とアーニャは益々訳が分からなくなってしまった。
今度は演技ではなく、恐る恐るマリアに問う。
「あの……その人って一体……?」
しかしマリアはいつも通りの表情で、冷静にこう答えた。
「失礼しました。この国の第八門の名はアクセル・ローグ。ここから北西にあるフラナングの館に幽閉されている、この国始まって以来の大量殺人犯です」
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