第十二話 同じ瞳
勢いよく扉を開け、意気揚々と部屋から出ていった二人であったが、すぐにマリアを呼ばなかったことを後悔した。
飛鳥が口を開く。
「……どっちから来たんだっけ?」
「え、えぇと……」
アーニャも困った様子で辺りを見渡した。
右を見ても左を見ても同じ扉と、廊下の先には逆方向に向かう曲がり角が。
廊下の窓から外を見てみるが、空と他の建物ばかりで役に立ちそうな情報は得られない。
「……とりあえず左に行こう」
飛鳥が歩き出すと、アーニャは慌てた様子でついて行った。
「どうして左なの?」
「迷路で迷った時は左に進むのがいいらしいよ」
それを聞いたアーニャは驚いた様子を見せた後、
「そんな法則が……飛鳥くんに迷宮踏破の経験があったなんて……」
と、感心するように飛鳥を見つめた。しかし飛鳥は照れ笑いを浮かべる。
「ううん、知り合いから聞いただけ」
どうやらアーニャは随分スケールの大きな話を想像しているようだ。今まで救った世界でそういう事態に陥ったことがあるのかな?
相談しながら何度か角を曲がったところで、どちらからともなく足を止めた。いや、止まってしまった。
認識が甘かった。どこまで行っても景色に変化がない。
後ろを振り返るが部屋へ戻る道も分からない。完全に迷ってしまった。
隣を見るとアーニャが目を回している。
「アーニャ、大丈夫?」
「う、うん。でもどうしよう……。進んでる気がしないね……」
二人は途方に暮れてしまった。
そもそも、部屋を出てから誰とも出会えていない。
思い返せば、謁見の間から部屋に案内されている時も、すれ違ったのは獣人の二人だけだった。
単純に人が少ないだけなのか。それとも何らかの精霊術で撹乱されているのか。
しかし、それなら魔眼が何かを捉えていなければおかしい。それだけの力があればの話だが。
いまいちこの眼の有効範囲が分からないな……。
「誰かに会えればいいんだけど……」
と、近くの角から顔を出すと別の景色が目に飛び込んできた。
今までよりも少し長い廊下の先には空が見える。その下には花畑が広がっていて、二人は思わず駆け出した。
「凄い……! 綺麗……」
アーニャは腰を下ろし、愛でるように花に手を添えた。
その姿に飛鳥は鼓動が速くなるのを感じ、思わず目を逸らしてしまった。
仕草も表情も本当に可愛くて、迷子という現実から目を逸らしつつ、出掛けて良かったなぁなんて考える。
「うん。庭園みたいだね」
その庭園には見たこともない花が何種類も咲いていた。
今この世界は冬の筈だが、寒さに強い品種なのだろうか。
「そこで何をしているのですか?」
二人が花を見ていると、女性の声が響いた。
顔を上げると、金の刺繍が入った黒いローブを纏った人間が立っている。いや、正確に言えば人間か獣人かは分からない。
フードを目深に被っているせいで、容姿を窺い知ることができない。
「す、すみません。勝手に入ってしまって……」
アーニャが慌てて立ち上がり、頭を下げた。
だがその人物は何も言わずこちらを見つめている、気がする。
「もしかして、立ち入り禁止だったのかな……?」
飛鳥がアーニャに耳打ちした。
「そ、そうかも……」
せっかく歓迎されているのに、こんなところで関係が悪化するのは避けたい。
二人は直立不動で次の言葉を待った。
しかしその女性は咎めるでもなく、
「その風貌、貴方たちが陛下が仰っていた英雄殿とその奥方ですか?」
と述べた。その声色は先ほどよりも幾分柔らかい。
「え、えぇまぁ、そうですが……」
飛鳥が答えると、その人物はフードを外し、両手で髪の毛を持ち上げた。
羽根が舞うように長い銀色の髪が広がる。足下まで伸びた銀髪は、陽光を浴びて宝石のように輝いていた。
この世のものとは思えぬあまりの美しさに、二人は呆然と女性を見つめている。
するとその女性は深々とお辞儀をした。
「これは失礼をいたしました。私の名はプリムラ。宮廷精霊術師をしております」
「宮廷精霊術師……?」
「えぇ。と言ってもやっているのはこの庭の手入れと、陛下の指導役の真似事ですが」
そう言ってその女性、プリムラは微笑んだ。
少し吊り上がった、気の強そうな瞳をしているが、その笑顔は無邪気そのものであった。
年の頃は飛鳥と同じか少し上だろうか。だが、見た目に反してもっと幼い少女と話しているような感覚だ。
おまけに肌が驚くほど白い。アーニャのような健康的な白さではなく、生気が感じられない、美しいが死者のような、そんな印象を受けた。
「ここはプリムラ様の庭園だったのですね。勝手に立ち入ったこと、お詫びいたします」
と、アーニャが改めて頭を下げようとする。
しかし、プリムラがそれを手で制した。
「いえ、この宮殿は造りが複雑ですから仕方ないことです。それに、お二人がいらして草花も喜んでいます」
「花が……喜ぶ……?」
不思議な物言いに飛鳥は聞き返した。
「はい、草花も心を持っています。お二人が心優しい方々だと分かるのでしょう。ですが……」
と、プリムラはローブの袖に手を入れる。
そして、黒い眼帯を取り出すと飛鳥に差し出した。
「それは……?」
「その瞳はある者にとっては神の如き、まさしく救いの光です。しかし一方では魔の瞳と怯え、否定する者もおります。みだりにお見せになるのはおやめになった方がいいでしょう」
「なっ……!?」
何故……魔眼のことを……!? これは『救世の旅』の為に付与された力だ。もちろん誰にも話していないし、僕とアーニャ以外が知っている訳……。
「何故、初めて出会った私がその瞳のことを知っているのか。驚きよりも恐怖が優っているようですね」
「そ、それは……」
一体何なんだ、この人は……!?
気付くと、飛鳥はアーニャを守るように立っていた。
魔眼が何かを捉えたわけではない。本能的に危険を感じ取ったのか、体が勝手に動いていた。
「あぁ、申し訳ございません。怖がらせるつもりはなかったのです。そんなことをしたら陛下に叱られますから。……理由はこれです」
プリムラが右目にかかっている前髪を上げると、そこには……、
「あ、貴女は……!」
胸が締め付けられるような感覚に襲われ、段々と呼吸が浅くなっていく。
アーニャも、プリムラの飛鳥と同じく真紅に染まった右眼に驚愕の表情を浮かべていた。
「あ、貴女も……魔眼を……!?」
「魔眼……?」
絞り出すようなアーニャの声に、プリムラは首を傾げる。
「おや、ご存知なかったのですね。この瞳は『
「『
アーニャがポツリと呟くと、プリムラは頷いた。
「はい。『
「じゃあ……僕がエレメントの流れが読めるのも……」
飛鳥は確かめるように口にした。
するとプリムラが少し驚いたような表情を浮かべる。
「英雄殿の『
プリムラの言葉に、今度は飛鳥が不思議そうな表情を浮かべた。
「この世の真理……? どういうことですか?」
「先ほどの話と同じです。生きとし生けるものは全て、この草花たちもエレメントを有しています。精霊使いとそうでない者の違いは、体外にそれを発現できるかどうか。それだけです。発現する前のエレメントの流れを視るという力はまさしくこの世の真理、根源を視るに等しい力です」
「そ、そうなんですか……」
説明されてもいまいち実感が沸かない。世界の真理、根源……『伝説の英雄』の話を聞いた時も思ったが、段々と話のスケールが大きくなってる気がする。そんな大層な力が本当に僕にあるんだろうか……。いや、それより今、何か違和感が……。
「この世の真理だって! さすがは飛鳥くん! 凄い力だね!」
アーニャは嬉しそうに笑っている。飛鳥も照れたように微笑んだ。
「そうだ。ちなみにプリムラさんの『
「それは──」
次の瞬間、飛鳥は背中に氷の塊でも突っ込まれたような感覚に襲われた。
腕どころか、指一本さえ動かすことができない。全身が総毛立ち、脳が警告を発している。
目の前にいるプリムラは、見た目は変わらないが、言葉一つで自分たちを殺せる。そんな気配を発していた。だが……、
「申し訳ございません。私の力は他言無用、陛下からそのように言われておりますので」
プリムラが微笑むと、全身からフッと力が抜け、再び動くようになった。
今のは……一体……!?
「それより、お二人はどこかへ向かわれていたようですが」
「え? あ、そうだ! 買い出し!」
すっかり目的を忘れてしまっていた。せっかく人に会えたんだ。外まで案内してもらおう。
「はい、私たち街まで買い物に行こうとしていたんですが、迷ってしまいまして……」
「では私が出口までご案内いたしましょう。ですが、その前にこれを」
プリムラは飛鳥に近付き、眼帯を掛けた。
目の前に胸元が迫ってきて、飛鳥の顔が真っ赤に染まる。
「ど、どうも……」
「はい。それでは参りましょう」
プリムラはフードを被り直し、歩き出した。
プリムラに案内され、十分ほど経っただろうか。あっという間に宮殿の入り口に辿り着いた。
飛鳥とアーニャは疲れた表情で宮殿を見上げる。
今までの苦労は何だったんだ……。
するとプリムラは左を手で指した。
目をやると、見覚えのある門が見える。
「あちらが最初にいらした中央司令部の受付です。戻られたら、マリアを呼ぶのがよろしいでしょう」
「色々とありがとうございました。今度お礼をさせてください」
とアーニャが微笑む。
「いえ、お気持ちだけで充分です。それと、英雄殿」
「何でしょうか?」
プリムラは飛鳥の手を取り、深々と頭を下げた。
「どうかこの国と陛下のこと、よろしくお願いいたします」
その言葉には、どこか悲しそうな響きがあって──
「は、はい。できる限りのことはします」
飛鳥も姿勢を正して答えた。
安心したのか、プリムラは微笑むと宮殿の中へと戻っていった。
「じゃあ行こうか。まずはカップとコーヒーと」
「そ、それに合うお菓子も必要だと思います!」
アーニャが恥ずかしそうに主張した。飛鳥も笑い頷く。
歩き出してからしばらくしてふと、ある疑問が頭を過った。
中央司令部を訪ねたことは言ってないのに、どうして彼女は知っていたんだろう?
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