7 深謀-7-

「来た時とはちがう船なんだな」

 艦内の広さにため息を吐きながらライネが言う。

「向かう先は戦場だからな。移動用の艇を使うのは危険だ」

 そう言うイエレドの口調はエルドランを発った時よりも、ずいぶんと穏やかだった。

「シェイド様。ウィンタナまで20時間はかかります。この艦は設備も整っていますから、到着までおくつろぎください」

 用があれば船員に声をかければすぐに対応する、と言い残して彼は船首に消えた。

 主要な船員たちにひととおりの挨拶を済ませたシェイドは、窓を覗き込んだ。

 ごつごつとした岩肌が眼下に広がっている。

 プラトウ周辺は点在する町を除けば、山と砂ばかりの退屈な田舎である。

 無数にある採掘場の入り口は、見る者が見れば上空からでも一目で分かる。

 いま通り過ぎたばかりの山を視野で追った彼は、体内の空気を残らず吐き出すように大息した。

 復興の手伝いを中途半端に切り上げてしまったこと。

 これから向かうウィンタナが新たな戦場となってしまったこと。

 それらが少年に重くのしかかる。

「大丈夫だって! アタシがついてるんだからさ」

 窓に映る物憂げな表情を吹き飛ばすように、この快活な少女は笑って言った。

 けして楽天的ではない。

 しかし根拠があるワケでもない。

 これは彼女の覚悟の表れでもあった。

「そう、ですね……でも無理は――」

 振り返ったシェイドは、ライネが持っている物に気付いた。

「ああ、これ? さっきフェルにもらったんだよ」

 そう言って手に乗せたそれを差しだす。

 四センチ角ほどの石に鳥の羽のような模様が彫り刻まれている。

 細かな溝は下や横にもつながっていて、途切れることなく続いている線が裏側にも同じ絵柄を描いていた。

「これ、トゥユベのお守りですよ」

「ん、何だって……?」

「トゥユベのお守りです。上のほうに開いている穴に紐を通して首にかけるんです」

「そういやペンダントみたいなのしてる人がいたな。そっか、これなんだ」

 ライネは手にしたそれをまじまじと見つめた。

「この模様は何か意味あんの?」

「ある……と思います。何を彫るかは自由なんです。特に決まった模様はなくて、花とか魚のかたちに彫る人もいますよ」

「へぇ~」

「いいなぁ」

 シェイドはふぅっと息を吐いた。

「プラトウではそのお守りは信頼の証なんです。仲良くなった人に贈ったり、遠くに出かける人がケガや病気をしないようにお守りとして持たせたりするんです」

「そ、そうなの……?」

 ライネは手の上のそれが急に重くなったように感じた。

「ちょっと羨ましい、かも……僕ももらったことないですから」

 ふと母やソーマのことを思い出す。

 風習として根付いていることは知っているが、彼の周りではトゥユベを贈り合ったりはしていなかった。

 それだけ近しい存在であったからだ。

 お守りには特別な意味や想いを込めるものだから。

 トゥユベに頼るまでもなく、お互いに無事であることを信じていたのだ。

「ライネさん」

 シェイドはにこりと笑んだ。

「トゥユベはお店でも売ってるんです。でも売っているものは平らに成型された石に紐が通してあるだけなんですよ」

 どういう意味だ、とライネが問う前に彼は続けた。

「それに――模様を彫るのは贈る人がするって決まってるんです。――どんなに不格好でも。お店の人に頼んでも彫ってくれません」

 さらに重みを増したそれは成型されたものでもなければ、商品用に研磨されたものでもない。

 側面には細かなぎざぎざがあって、きれいな四角形とは程遠い作りだ。

 彼女はその意味がうっすらと分かった。

 その理解を補うようにシェイドは言う。

「だからそのお守りはフェルノーラさんが一から作ったものだと思います」

 石を砕くところから……と言われずともライネには分かった。

 なぜこの小さな石にこれほどの重さを感じているのかも。

「へえ……ま、まあ、かわいいとこあるじゃん!」

 シェイドの手前そう言った彼女だが、表情は正直だった。

「へへっ! ふぅ~ん、そっかぁ……なるほどね――」

 隠そうにも嬉しさや照れくささが、しまりのない笑顔に出てしまう。

「そだ! これってさ、どれくらいするものなんだ?」

 ゆるみきった顔を見られていることに気付いたライネは、彼の視線をお守りに誘導した。

「……そうですね……石はどこででも採れるし、道具は借りられますからお金はかからないと思います」

 シェイドは少し考えてから言った。

「アタシの訊き方が悪かった。そうじゃなくてさ、どれくらい手間がかかるのかなって」

「あ、すみません。時間ですか? ええっと、この大きさに砕いてから……あ、よく見ると模様もけっこう細かいんですね――たぶん……六時間はかかると思います」

「そんなに!?」

「職人さんならもっと早くできるでしょうけど、そうでないならそれくらいだと思います。失敗したらやりなおしが利きませんから」

「そっか……」

 ライネは別れ際、フェルノーラが走ってきたのを思い出した。

(あれって、ぎりぎりまでこのお守りを作ってたから?)

 トゥユベを乗せた手のひらが温かくなるのを彼女は感じた。

 じわりと広がる熱が手の中に入りこみ、血流に乗って全身をゆるやかに巡るような感覚さえあった。

(あいつ――)

 常に強気な姿勢を崩さなかったフェルノーラの顔を思い出し、ライネは微苦笑した。

(ほんっと――かわいいとこあるよな!)

 そっと握りしめる。

 手の中の熱が心まで熱くするようだった。

「…………?」

 シェイドはトゥユベのお守りからミストが流れ出ているのを感じた。

 艦内にも微量なミストが満ちているが、そこだけが特に濃いように感じる。

 なぜだろうと考える暇もなく、

「アタシは動き回るから、首からさげないほうがいっか」

 ライネはそれを胸ポケットにしまいこんだ。





 艦の真下は変わらぬ景色を後ろへと送り続けていた。

 平地も、丘も、山も、森や湖も。

 この一帯は地形の変化が乏しい。

 窓の下に数秒間、風景が流れる映像を貼りつけ、繰り返し再生していたとしても誰も気付かない。

 人々の生活もまた、同じである。

 富める者も貧しき者も、戦禍の痛みからは逃れられない。

 新たな皇帝が目指す世の中は、平和と平等だから――。

 誰もが同じように幸せを感じ、同じように痛みを感じるものでなければならなかった。

 つまり、これまで虐げられていた人々の激痛は和らぎ、虐げてきた者たちがその分だけ苦痛を味わう番だ。

 それが。

 それこそが。

 真の平等であり、公平であり、公正であった。


 ――いま。


 弱者は救われることを渇望し、強者はひきずり下ろされることを恐れる。


 それが。

 それこそが。

 真の平等と公平と公正のために引き起こされる、新たな軋轢あつれきだった――。






< 次章へ続く >

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