1 勃興-3-
彼の怒りは頂点に達していた。
あらゆることが上手い具合に運ぶハズだったのに、たったひとつのキッカケが全てをぶち壊しにしてしまったからだ。
だからこの怒りが2週間たった今でも収まらないのもしかたのないことだった。
「こんなバカなことがあるか?」
男は手近にあったグラスに酒を注がせると一気に呷った。
「お怒りはごもっともでございます」
憐れむような目を向け。ケイン・メカリオは深く深く頷いた。
「私はペルガモン政権が末永く続くことを願っておりました。しかし人の命は限りあるもの。もし皇帝がお隠れになれば次期皇帝はあなた様のハズでした」
「親父の死を聞いたときは驚いたよ。ロアカザンの戦いでも怪我ひとつしなかった親父が。あの戦いのことは知ってるか?」
「申し訳ありません、不勉強なもので――」
「調べてみろよ。あれはすごかったぜ。親父にゃ敵わねえって思ったね」
「ええ、機会があればぜひ――」
ケインは興味なさそうに言った。
故人の武勇伝など今はどうでもよい。
それよりも重要なのは――。
「イズミール様、このままでよろしいのでしょうか?」
彼はわざと不満を煽るような口調で言った。
「いいワケがないだろ。どことも知らない田舎者に親父を殺された挙句、オレが座るハズだった椅子を奪られたんだぞ」
ケインは安堵した。
この男には父親に負けない野心と闘争心がある。
気概があるなら事は必ず実行に移せる。
彼を見つけることができてよかった、とケインは思った。
重鎮が叛乱を起こし、政府軍が劣勢になりはじめた頃、彼は真っ先にペルガモンの嫡子の所在を調べた。
嫡男であるイズミールはエルディラントからはるか西の国に留学していた。
表向きは勉学のためとされていたが実際はかの国の要人と接触し、武器の取引をするためであった。
ケインは密かに彼に連絡をとり、すぐに身を隠すように伝えた。
万が一のことがあればペルガモンの血縁者は
正統な後継者であるイズミールなどは一番に狙われるだろう。
はたして現実は彼が危惧したとおりとなった。
ペルガモンは死に、血のつながりのある者たちは揃って役人の座を追われる羽目になった。
この時、叛乱軍の中枢にいた数名が禍根を断つためにペルガモンの血縁者を処刑するべきだとシェイドに進言したが、彼らに罪はないと放逐するに留まったのだ。
イズミールが消息不明となったことが分かったのはシェイド政権発足の3日後だった。
引継ぎや組織再編、儀礼に復興と混乱が続いていたせいで彼の所在にまで手が回らなかったのだ。
そして今、彼らはここにいる。
首都エルドランから遠く離れた辺境の酒場だ。
客たちは皆、脛に傷を持つ者ばかりである。
殺しどころかテロリストや武器商人などもいる。
彼らは互いの事情に干渉しない。
それをすれば居場所を失うことを弁えているからだ。
したがってイズミールと落ち合うには都合の良い場所であった。
「ペルガモン様の親類縁者は大半が追放されました」
「お袋や弟たちはどうなった?」
「お母様はご健在のハズですが所在は分かりません。エクバタナ様とアマルナ様は叛乱軍との戦いで命を落とされました……」
イズミールは怒りのあまりグラスを握りつぶした。
騒々しい酒場ではこの程度の破裂音に目を向ける者はいない。
しかし店主だけは渋い顔をしたので、
「ああ、すまなかったな」
グラス代をテーブルに放り投げた。
「クソガキが調子に乗りやがって……!」
憤怒に駆られた表情は父親譲りだ。
「身内を集める。お前も手伝え」
「どうなさるおつもりですか?」
「決まってるだろ。親父たちの敵討ちだ。賊にオレの国を支配されてたまるか。あのガキどもを血祭りにあげてやる」
ケインは得心したように頷くと、追加の酒を注文した。
「お待ちくださいませ。シェイドの側近はいま、イズミール様を血眼になって捜し回っております。既に先帝の血縁者の多くが放逐され、残るはあなた様だけです」
「知ったことか」
「軽くお考えになってはなりません。イズミール様は正統な後継者。姿を現せば連中は必ずあなた様を亡き者にしようとするハズです」
ペルガモンに似て好戦的な彼をケインは必死に諌めた。
この嫡子を喪うワケにはいかない。
彼が死ねば政権奪還の大義を失い、ひいてはケインの深謀遠慮も虚しく散ってしまう。
「私に任せてくださいませんか?」
「お前に――?」
「考えがございます。お気持ちは分かりますがイズミール様にあっては私が声をかけるまで身を潜めていただきたいのです」
「隠れていろというのか?」
「シェイドに軍を掌握されています。いかにあなた様といえど分の悪い戦いになりましょう。そこで――」
彼は耳打ちした。
騒々しい酒場では会話を盗み聞きするのは難しい。
客たちは思い思いに酒を呷っているから、わざわざ周囲の目を気にして話す必要もない。
だが慎重なケインは敢えてそうした。
「………………」
計画を聞いたイズミールは腕を組んで唸った。
迂曲な方法だった。
彼としては一団を率いて真正面から乗り込みたいところだったが、ケインが言うには新政権は重鎮を中心に統率がとれ始めているという。
したがって計を巡らし、万全の状態でなければイズミールが姿を見せるのは危険だとのことである。
「遠回りなのが気に入らないが、それで上手くいくんだろうな?」
イズミールは値踏みするようにケインを見た。
たしかに彼の忠言がなければ先帝もろとも落命していたかもしれない。
その意味では先見の目を持つこの策士は命の恩人といえなくもない。
「――私を信じてくださるなら」
穏やかな口調で言う彼の目には光も感情もなかった。
「よし、お前は使えそうだ。好きなようにやれ」
聞く限りでは計画に穴はない。
それに言葉の端々にペルガモンを信奉しているような素振りもあることから、彼は任せてみることにした。
「オレが帝位に就いたらお前を参謀として重用してやるよ」
「ありがとうございます。そのお気持ちだけで充分にございます」
恭しく頭を下げた彼は心のこもっていない笑みを浮かべた。
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