9 皇帝の最期-6-
宮殿に近づくや、風が吹きつけた。
熱を帯びた風だ。
それに乗ってミストが皮膚を叩く。
この禍々しい気配はペルガモンのものだ。
「裏切り者が揃ってやって来たか。臆面もなく――」
政府に叛逆を企てた裏切り者たちを、彼は両手を広げて迎え入れた。
「背け、とお前たちに命じた憶えはないが……?」
薄ら笑いを浮かべ、ペルガモンは蔑むように言う。
「これ以上、あなたに従うことはできない」
アシュレイは全く同じ表情で返した。
人々がついに行動を起こし、世の中が動き始めた今だからこそ、この言葉は強い意味を持つ。
「我が国がこの事態にどれだけ対応できるかを測ったのであろう? 結果は見てのとおり。お前たちの接近こそ許したが、火の手は徐々に収まりつつある」
ペルガモンは嘆息した。
ついでにわざとらしく視線も逸らしてやる。
多勢に無勢だ。
ここには数十名の精鋭と200体以上のドールが構えている。
重鎮にさえ注意しておけば後は問題ではない。
名も知らない兵士の寄せ集めなど、相手にするまでもない。
「これが民衆の声だと分からないなら、あなたにも、この国にも未来はない。国はひとりが作るのではない。民の力によって支えられるものだ」
「もはやこの勢いは止められない。あなたの――いや、あなたたちの時代は終わったんだ」
グランも加勢する。
長く仕えてきた皇帝への情は、ない。
「アシュレイ、グランよ。この度の叛乱は本来ならば死を以て償うべき重罪だ。だがこれまでの功績は大である。その功績に免じ、再び忠誠を誓うならば不問としよう」
老獪の笑みはいつも以上に邪悪さに満ちていた。
「お前たちが戻ってくることを考えれば、今回の被害など瑣末なものよ。もちろん相応の働きをしてもらうことになるが――」
悪くない話だろう、と彼は言った。
取引や交渉の神髄は双方の利害を擦り合わせることではない。
力を用いて押さえ込み、こちらにとって最も有利な条件を相手に呑ませることである。
だがペルガモンにとってはこれでも破格の譲歩だ。
彼のやり方にそもそも取引や交渉というものは存在しない。
シェイドは彼らのやりとりを静観していた。
目の前にはペルガモンがいる。
学ぶ機会はなくとも、彼の名前だけは生まれてすぐに教え込まれる。
(この人が…………!)
激しい動悸に襲われる。
何千、何万という人間を言葉ひとつで殺戮してしまう老獪への恐怖。
家族も親友も故郷も奪った支配者への強い憎悪。
それら情念が小さな体の中で渦巻き、彼は足りなくなった酸素を求めて深呼吸を繰り返した。
「あなたには心底失望したな――」
たっぷりと皮肉を込めてグランは言う。
「たとえ苛政であってもそれで秩序が保たれるなら、と考えていた時期もあった。恐怖に怯え、民が押さえつけられている状況が平静であり秩序である、とさえ思ったことも」
彼はこの考えをひどく後悔した。
「真理ではないか。各地の謀反もお前たちが煽動しなければ起こらなかったこと。秩序を乱し、混沌を招いたのはお前たちよ」
「いや、そうじゃない。私たちだけでもこれだけの民衆が動いた。たとえ私たちが死んでもこの動きは止まらない。あなたは民の恨みを買い過ぎたんだ」
「………………」
ペルガモンの大息は失望とも憤怒ともちがう、全く別の感情を吐き出していた。
これは憂いに近い。
重鎮ほどの人材は世界中を探してもそう見つからない。
若く、博学で力があり、決断力に優れ、カリスマ性を併せ持つ。
それを失うことによる政治への影響。
彼の野望実現が少なくとも数年は遅れることは間違いない。
「――禍根は取り除かなければなるまいな」
これからこの二人に匹敵する優秀な人材を見つけ出して穴埋めしなければならない。
その面倒を考えると老体には堪えた。
空気が変わったのを感じた二人は既に魔法を展開していた。
「愚か者どもめっ!」
その怒声が合図となって衛兵の銃が一斉に火を噴く。
それよりほんの一瞬だけ早くシールドを張ったアシュレイが進み出、注がれる無数の光弾を防ぐ。
叛乱軍の兵士たちも素早く戦闘態勢を整え、政府軍の戦力を削ごうと奮闘する。
だが相手のほうが装備も資質も上だ。
ペルガモンが抱える精鋭だけあり、彼らのシールドは戦車並みに厚い。
シェイドが手を伸ばした。
手首から掌にかけて生じた熱がすぐさま鋭い光の矢となって真っ直ぐに飛び、衛兵の太腿に突き刺さる。
重鎮の訓練によって変換効率を高めた魔法は、精鋭の強固なシールドをも容易く撃ち貫いた。
戦い慣れした精鋭たちはすぐに左右に散り、何人かがシェイドの死角に回り込む。
この少年の力は侮れないと見た彼らは照準を合わせ、構えた銃に魔力を注ぎ込んだ。
「…………っ!?」
不意にその視界に影が落ちる。
それに気付いた時には青白い光刃が閃き、彼らは袈裟がけに斬られていた。
グランは返す刃で一人、さらに二人と斬りつけていく。
凝集したミストで作られた刃はシールドを破り裂き、行く手を阻む敵を瞬く間に屠った。
プラトウの出身者たちも負けてはいない。
とても統率がとれているとは言えない動きだったが、素人ならではのがむしゃらな攻撃は幾体ものドールを機能停止に追い込んでいた。
打ち合わせのない連携は見事だったが敵の数が多い。
アシュレイの防御も全員を守るには至らず、激しい銃撃戦の中で十数名が命を落とした。
(あれは…………!)
視野に何か光るものを見たフェルノーラは分殿につながる通路に潜む敵兵を認めた。
陽光を反射してきらりと光るのは狙撃銃だ。
銃口はアシュレイに向けられている。
彼は気付いていない。
フェルノーラは銃を握る手に力を込め、ありったけの魔力を送る。
並みの武器では精鋭の装甲を破れないことは分かっている。
だがこの貧弱な銃もミストで強化すれば話は別だ。
ひときわ大きな発射音が鳴り響く。
肩を撃たれた狙撃兵はその衝撃で後ろに倒れた。
その音にアシュレイはようやく振り向いた。
「狙われて……ましたよ……」
彼女は片膝をついて言った。
多くの魔力を消費したために息が上がる。
「そうか……ありがとう!」
アシュレイはシールドの出力を上げつつ数歩退き、敵の攻撃に備えた。
「おお! 貴様らまでもが手向かうか!?」
敵の中に以前、特別に目をかけてやった官吏を認めたペルガモンは血走った目で彼らを睥睨した。
彼は意識する前に掌にミストを凝集させ、裏切り者めがけてそれを撃ち出した。
赤とも黒ともつかない邪悪なエネルギーの塊が一直線に飛ぶ。
凄まじい速さで中空を翔けた光は風を斬って甲高い唸り声をあげた。
憎悪を纏った光は一瞬のうちにシールドを打ち破り、彼らの命をひとり残らず奪った。
(まずい……!)
強大な敵の存在は味方の士気を挫く。
人間のような感情を持たないドールが戦場に投入されるようになったのもそのためだ。
こちらも味方を大いに鼓舞する少年がいるが、やはりペルガモンの威圧感には劣る。
とはいえ戦況は悪くない。
政府軍は今や壊滅状態に追い込まれている。
シェイド、グランの攻撃に精鋭は沈み、ドールの群れはフェルノーラたちの奮闘で悉く破壊された。
しかし一方で叛乱軍の被害も大きく、官民問わず多くの犠牲が出ている。
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