9 皇帝の最期-2-

 壁の向こうが騒々しい。

 誰かが走る音、何かを叩く音が、ひっきりなしに外を往復している。

 シェイドは不愉快そうに身を起こした。

 ドアをノックされていることに気付く。

「起こしてすまないね。もう少し寝かせておいてあげたかったんだが」

 目をこすりながら壁にあるスイッチを押してドアを開けるとグランがいた。

「もうすぐエルドランに入る。悪いが支度をして出てきてくれないか? ホールに集まってほしいんだ」

 シェイドは肩越しに振り向いて窓の外を見た。

 明け方の空はまだ薄暗いハズだが、遠近に火の手が上がり、赤と黒とが溶けあっていた。

(エルドラン……?)

 地理に疎い彼でも首都くらいは分かっているが、片田舎の出身からすればまるで別世界のようだった。

 はるか向こうに森林のようにいくつもの高層建築物が生えていて、しかもその一棟一棟に村ひとつ分以上の人間がいる様子など想像もつかない。

 母の形見となったコートを羽織って部屋を出ると、フェルノーラがいた。

「あなたも呼ばれたの?」

「うん、もうすぐ着くからって」

 彼女が険しい表情をしているのをシェイドは見逃さなかった。

「いよいよね――」

 呟き、彼女は手を閉じたり開いたりした。

 それが体の感覚を確かめる仕草のように見え、

「どこか痛いの? 怪我してるなら――」

 彼は思わずその手をとろうとした。

「どこも怪我なんてしてないわ。ただ、私にちゃんと扱えるのか、と思ってね」

 何を、と訊こうとしたところにアシュレイがやって来た。

「きみたち、話は聞いているかい?」

「ええ、ホールに集まれ、大事な話がある、と言われました」

 彼の後についてホールに行くと、既に多くの乗員が集まっていた。

 プラトウ出身者も多くおり、シェイドの姿を認めると尊崇や畏敬、あるいは懐疑を含んだ視線を注ぐ。

「もっと堂々としたら? あなた、救世主って呼ばれてるのよ」

「う、うん……がんばるよ」

 注目されるのが苦手でつい首をすくめてしまった彼は、この悪い癖は治さなければと思った。

「皆さん、朝早くに集まってもらってすみません」

 シェイドはレイーズの横に立たされた。

「前の部隊から、戦域が予想以上に広がっているとの情報がありました。エルドランでの降下は危険と判断し、戦闘中の別部隊と合流後、首都南方の平原で降下します」

 当初の予定では全軍を首都に集結させて政府軍主力を叩きつつ地上に降下、一気に宮殿に迫りペルガモンを討つ、という計画だった。

 情報部にいる協力者からは、皇帝は常に宮殿内の司令室にて討伐隊を指揮している、との報せが寄せられている。

「このため激戦が予想されます。もちろん我々は覚悟の上です。集まっていただいたのは、最後の意思確認のためです」

 シェイドは思わず彼女の顔を見上げた。

「皆さんは私たちと共に戦うと言ってくださいました。しかしこれは戦です。命の奪い合いです。状況次第では――いえ、間違いなく、殺す、殺される……という状況になります」

 レイーズはホール内を見回した。

 ペルガモン政権から離叛した今、レイーズたちも民間人も立場は同じである。

 が、元軍人には戦に臨む気構えがあるが、彼らはそうではない。

 ほんの数日前まで鉱夫や商人だった者たちばかりだ。

「敵とはいえ殺傷する、という行為は私たちでさえ躊躇いを覚えます。皆さんならなおさら深い傷を負うでしょう。戦いが終わってもその傷は簡単には癒えないでしょう」

 何人かが俯いた。

 ここには家族を奪われ、政府軍を殺すことに抵抗のない者もいるが、多くは戦うという言葉の意味をそこまで深くは考えていなかった。

「強制はできません。皆さんのご意思を尊重します。もしその覚悟があり、一緒に戦ってくれるのであれば、ここに残ってください。無理だと思われるなら……ホールを出てください。その方々は私たちが責任を持ってお守りします。もちろん戦うと言ってくれた方も、軍人としてお守りします。戦うことも、戦わないことも――そのどちらを選んだとしても、誰も責めることはできません」

 レイーズは反応を待った。

 この覚悟ができなければ、たとえ戦場で生き残ったとしても、待ち受けるのは苦痛だ。

 静かに目を閉じる。

 ざわざわと相談し合う声と足音が聞こえるハズだった。

 当然だ。

 これは命の奪い合いだから、相手を殺す勇気が必要だ。

 それがそう簡単に彼らにできるハズがない。

 ならば深い傷を負う前に、被災地で保護した民間人として戦場から離した艦に収容しておくべきだ。

 戦うのも、傷つくのも、殺されるのも、軍人だけでいい。

「………………」

 だがいくら待っても、音ひとつ聞こえてこない。

 彼女はゆっくりと目を開けた。

「俺らはあんたたちについて行く!」

 目を閉じる前と変わらない光景がそこにあった。

「何もかも奪われたんだ。一矢報いたいと思うだろ」

 誰ひとりとして、この場を去る者はいなかった。

 彼らは自らを鼓舞するように、檄を飛ばすように、生を求めるように、戦う意思を表明した。

「ここまで来たのよ。なのに何もしないで見ているだけなんてできないわ」

「それに救世主さんの奇跡ってのも見てみてえじゃねえか!」

 誰かが叫び、拍手が巻き起こる。

 その渦の中にあってシェイドは次第に妙な興奮を覚えるようになった。

 ここにいる人たちはみな、自分を中心に団結している。

 同郷の者も、中央の役人も、自分を救世主として崇めてくれる。

 誰もが自分という存在を認め、求めている。

 その事実に――シェイドは心地よさを感じ始めていた。

 重鎮との魔法の訓練で自分の力の強大さ、偉大さ、可能性を教えられたこともそれを後押ししていた。

 無根拠な勇気が湧いてきて、自分には本当に周囲が言うような奇跡を起こせるような気になる。

「皆さんのお気持ちはよく分かりました。本当に……嬉しく思います……」

 レイーズは破顔したが、すぐに顔を伏せた。

 かつて自分たちが虐げてきた人々の勇気にあてられ、誤魔化してきた後ろめたさが芽吹いてくる。

「そんな皆さんを……ほんの数日前まで虐げる立場にあった私には――いくら謝罪の言葉を重ねても足りません……。この決断がもっと早ければ、救えた命もあったかと思うと……それだけが心残りです――」

 彼女は軍人だ。

 れっきとしたエルディラント軍の兵士だ。

 だが心までは完全にはそうはなり切れなかった。

 慈悲は捨てろ。

 敵は容赦なく殺せ。

 そして死ぬまで戦え。

 ペルガモン麾下きかの人間ならひとりの例外もなく教え込まれたこの心得を、彼女は実践できなかった。

 その意味では軍人としては失格だが、この甘さや逡巡こそが救う未来もある。

「そんなこと言ってもしょうがない。あんたらまで敵だったら俺たちゃとっくにあの世行きだ。誰も助からなかっただろうさ」

「そうですよ。今はレイーズさんたちが頼りなんです。そんなふうに言わないでください」

 プラトウの民が今こうして生きているのは、皇帝に背いてまで助けてくれた彼女たちのおかげだ。

 その英断に救われた者たちが彼女を恨む理由はない。

「その言葉だけで充分です。皆さん、本当に、ありがとうございます」

 複雑な笑みを浮かべたレイーズは部下に指示を出して金属製の箱を運ばせた。

 重厚なそれには、一般の兵士に支給される装備が収められている。

 装備といっても戦場で長く生き延びられるような代物ではない。

 女性や子どもでも容易に扱えるような小型の銃と、首輪や腕輪などの装身具ばかりである。

「お渡しした武器は皆さんが訓練で使用したものと同じ型です。あくまで身を守るものだとお考えください。戦場では決して前には出ず、私たちの傍から離れないようにお願いします」

 物資の数は充分だが中身は貧相だ。

 これらは民間人でも一応は戦力として数えられるようになる程度の装備で、正規軍と当たるにはあまりに心許ない。

「底部に小さな石を埋め込んであるので発射時の負担は小さくなっています。万が一、石からのミスト供給が途絶えても使用者の能力で補填はできますが、くれぐれも無理はしないでください」

 石が放散するミストを武器に用いるという発想は古くからあったが、それが実用化されたのは長い歴史から見ればごく最近のことだ。

 武器に格納した石から得られるミストを変換し、弾丸として撃ち出す。

 石を力源としているため使用者の魔力に関係なく一定の威力が保証されるため、この仕組みは広く普及している。

 しかも能力に優れた者ならば自身の力も加重して使用することで、その性能を何倍にもすることが可能だ。

 最低限の性能が保たれ、且つ使用者次第では強化が可能な兵器は、科学と魔法の融合を象徴しているといえる。

 とはいえ個の力が大きく影響する事実は覆らず、それゆえに評価の比重はまだまだ魔法に傾いている。

 同じ武器を用いても複数の凡人がたったひとりの実力者に敗れることさえあり、パワーバランスがあくまで個人の力に委ねられているという前時代的な特性は変わらない。

「装飾具はお好きなものを選んでください。石の力により多少の防御機能があります。ただしこちらも保険程度です。くれぐれも――」

 装備に頼りすぎないように、とレイーズは繰り返し言った。

 ミストが殺傷のために用いられるなら当然、守るためにも用いられる。

 彼らに支給された装飾品には、外部からの攻撃に対してミストによる防御膜を張るよう細工が施されている。

 だが強力な兵装の政府軍を相手に、実際には保険どころか気休めにもならない。

 防御できる範囲も身に付けた部位から半径十数センチほどがせいぜいだ。

 指輪を嵌めていても足を撃たれれば意味を成さない。

 それぞれが手にした武具を見て、シェイドはようやく戦うことの意味を知った気がした。

「あれ、普通の人たちが扱えるものなんですか?」

 シェイドは横にいたグランに問うた。

 普通とはもちろん、民間人という意味だ。

「ああ、多くの兵士が護身用に携行しているものだよ。正規の軍人が使うようなものとなると専門の訓練が必要になるが、そんな設備も時間も無かったからね」

「で、でも、女の子も使うなんて……」

 フェルノーラは手にした銃をじっと見つめている。

「私が望んだことよ」

 彼女は顔を上げて言った。

「ここにいる人たちはみんなそう。戦うって決めたの。今日までずっと訓練してきたわ」

「そんな、いつの間に……?」

「誰もがきみと一緒に戦おうとしているんだよ」

 グランが諭すように言った。

「フェルノーラさんは、できるの? それを使って……相手を――」

「できる……できるわ。そうじゃなきゃ、何のためにここまで来たのか分からない。ここで戦わなきゃ、何もかも無駄になるのよ。あなたがしてくれたこともね」

 彼女は挑むような目で言った。

 この後、アシュレイが中心となって作戦の詳細な説明がなされた。

 首都およびその付近では既に武力衝突が起きていること、その鎮圧のため政府軍の主力が段階的に投入されていること等が、宮殿内にいる情報筋により明らかになっている。

 そこで周囲の勢力を併せつつ首都南方の平原に降下し、宮殿を目指すこととなる。

 他の勢力に紛れて政府軍を撹乱し、一気にペルガモンに迫るのが目的だ。

 宮殿まではかなりの距離があるが、地上部隊の協力があれば進攻は速い。

「皇帝は猜疑心が強い。そのため多くの権力を自身に集中させ過ぎた。もちろん軍事権も同様で、国内外の全ての軍の指揮権は彼にある。これは我々にとって大きな利点だ」

「それってのはどういうことだい?」

「彼は自分の身に万が一のことが起こったときの権限移譲について何ら規定していない。軍事権の移行に関する定めがないんだ」

「それでどうして私たちの利点になるの?」

「彼が倒れれば軍を指揮する者が不在となる。つまりその瞬間、政府軍は機能しなくなる。皇帝を信奉していて遺志を継ごうという者がいれば我々に敵対するだろうが、それは正規軍の比ではない」

「ペルガモンを打ち倒せば政府に混乱を押さえる力はない。次の覇権を巡って争いが起こるだろうが、我々はシェイド君をまず仮の王として立てたいと考えている」

 グランはシェイドの両肩に手を置いた。

「ええっ! 僕がですか……? 僕はこのグループの代表だって――」

「我々を導いてくれる――きみはそう言ったじゃないか?」

 意地悪そうな顔でグランが笑う。

「大丈夫。きみは何もしなくていい。政務のごたごたは政務官や私たちの仕事だ。きみはただ、いてくれるだけでいい。彼を仮の王とする案、どうだろうか……?」

 このことについて場からは異論は出なかった。

 大半は生きる場所が欲しかっただけで、具体的にどう政治を変えてほしいか、といった明確な願いがあったわけではない。

 むしろ同郷から仮とはいえ新しく王が誕生するとなれば名誉である。

 元役人は重鎮こそが王になるべきだと思っていたが、あえて口は挟まなかった。

「特に反対がなければ、この方針で進めたい。降下地点到着は2時間後の予定だ。それまでに皆さんは準備をしておいてください」

 着の身着のままでやって来た彼らに準備するものなどない。

 支給された武具を持ち、戦地に赴く覚悟さえできていればそれでよい。

「本当に僕で務まるんでしょうか?」

 解散した後、シェイドは不安げに訊ねた。

「むしろきみだからこそ向いてるんだよ」

 先ほど冗談っぽく言ったことを申し訳ないと思ったのか、グランは優しい口調で答える。

「きみは他人の痛みや気持ちを分かってあげられる、心の優しい子だ。誰もがきみのような人にこの国を治めてほしいと願っているんだよ。もちろん私たちもね」

「もっと簡単に考えてはどうかな? たとえばきみが、こんな世の中になってほしいとか、こんな国にしたいとか――そういう想いを実現できると思えばいいんだよ」

 アシュレイも言葉を添えた。

 指導力という意味でいえば、この少年に王としての風格はない。

 民を引っ張っていく力強さもなければ、政治に関する知識もない。

 実際、傍にいる者から見ると頼りなく、責任のある立場や仕事に振り回されて最後には泣きついてくる様しか想像できない。

 だが、それで良かったのだ。

 ペルガモンの近親者や政府関係者が次代の皇帝を名乗っても、世の中は何も変わらない。

 本当の意味で民のための国にするには、彼らと同じ民の中から指導者が生まれる必要がある。

 彩りを添えるのは彼自身の凄惨な過去と、クライダードの純血種という二つの事実だ。

 故郷を焼き払われ家族を喪った少年の姿は大いに同情を引く。

 さらに並外れた魔法の力の持ち主、というのも神秘性に満ちている。

「難しく考えなくていいさ。こんな世の中になってほしい、と思うことを言ってくれればいいんだ」

「そういうものなんですか……?」

 結局、シェイドはそれに対して何も言えなかった。

 もっと考える時間が欲しかったが、艦は予定より速く目標地点に向かっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る