6 悲劇的-9-
役目を終えたドラゴンは再び咆哮した。
巨体は内側から膨れ上がり、炎の密度を薄くしていく。
ほどなくして表面から霧のように光と熱が放散され、最後には風に流される雲のように光環とともに掻き消えた。
元の青を取り戻したプラトウの空には、艦の姿はなかった。
破片のひとつさえも、そこにはなかった。
艦はこの世界から抹消されたのだ。
「………………」
シェイドは膝をついた。
達成感と優越感と疲労感が代わる代わるに押し寄せ、彼から正常な思考を奪う。
自分が何をしたかを彼は理解している。
何を思っていたかも覚えている。
どうなればいいと思っていたかも、自覚できていた。
彼の中ではこの小さな抵抗には正当性があったから、これまでのように後ろめたさや躊躇いは微塵も感じることはない。
罰するべきを罰した。
幼い倫理観は悪者に相応の報いを与えたのだ。
だから望む結果になったことには満足感を得られるハズだった。
(僕は…………)
彼は気付いた。
自分がしたことは生きるためではない。
誰のためでもない。
何のためでもない。
ただの復讐だった。
理不尽への抵抗だった。
しかし彼は暗愚だ。
復讐などという悪感情の究極を知らない。
だからこれは彼にとっては、ただの仕返しだった。
「………………」
じっと両手を見る。
母の言いつけで封印していたが、魔法の力は人並みにあると自覚していた。
少なくともそれを披露することで、目を付けた役人に徴兵される程度には。
だが実際にはその程度には収まらなかった。
思った以上の、予想をはるかに超越した力を発揮してしまったことで、彼はそれだけの力を持っている自分が恐ろしくなった。
(どうして、こんなに……こんなことに……?)
光の粒子が指に纏わりついている。
それが不気味に笑ったように思え、シェイドは手を払った。
その時、空気の流れが変わり、複数人の足音がした。
冷たい音だ。
シェイドは死を覚悟した。
母と同じ場所で死ねるのならそれでもかまわないと彼は思った。
「きみだったのか――」
シェイドは振り返った。
数人の軍人がいる。
「今のは……きみがやったのかい?」
シェイドは問いかけてくる男を見た。
役人にしては穏やかな口調だ。
プラトウの役人は下っ端にいたるまで傲慢で横暴だったから彼は戸惑った。
「あの炎を操っていたのは、きみだね?」
静かに言う男――アシュレイはグランとともにそれを見ていた。
巨大な炎が生き物のように天を舞い、艦を焼き尽くす様を。
それだけではない。
何度か地表を舐めたドラゴンは無意味に暴れたのではなく、地上にいたドールを一体残さず燃やし尽くした。
「だれ、ですか……?」
シェイドは身構えるべきか安堵すべきか迷った。
政府側の人間なら自分を殺すハズだ。
だが目の前の男たちからは残酷さを感じない。
「これは失礼した。私はアシュレイ。元政府の人間だが安心してほしい。きみたちを助けに来たんだ」
彼はその言葉を信じた。
軽はずみに耳を貸すな、と忠告してくれるソーマはもういない。
「いま我々の同志が逃げ延びたプラトウの民を探して保護している。もちろん、きみの安全も保証しよう。もうなにも心配しなくていいんだ」
アシュレイはシェイドを落ち着かせるために言葉を柔らかくした。
虐殺の後、廃墟の中に子どもがひとりとなれば、とうに精神が崩壊していてもおかしくはない。
少年ながらその気丈さに、彼は感服した。
「すまないが、その前にひとつだけ教えてくれ」
傍にいたグランが腰を落とし、目の高さをシェイドに合わせた。
「先ほどの魔法は、きみの力かい?」
「お、おい、グラン……!」
「どうしても知りたいんだ。お前も見ただろう?」
シェイドはしばらく黙っていたが、隠しても仕方がないと思い、小さく頷いた。
「やはり、そうか――」
二人は顔を見合わせた。
天が輝き、ドラゴンが現れ、艦を呑み込むその最後の瞬間まで彼らは目撃した。
(プラトウがアメジスト色の光に包まれる……この子だったのか……)
グランはシェイドの顔を見つめた。
生まれたばかりの子のような純朴さがあった。
表情にはまだ怯えと不安の混じった固さがあるが、良くも悪くも無垢であると彼は思った。
「あれだけの魔法を扱えるのなら……間違いない。この子は――」
アシュレイは呟いた。
「――純血種だ」
二人はミス・プレディスの予言の意味を理解した。
プラトウを包み込んだ光はやがてこの星をも呑み込んだ。
彼女の言葉は大袈裟な比喩のように聞こえたが、もしかしたら現実に起こるかもしれない。
(時代の流れだ。この時を逃がすわけにはいかない……!)
グランはさらに姿勢を低くし、
「私たちと一緒に来てくれるね?」
「…………はい」
躊躇いがちにシェイドは頷く。
それ以外の選択肢はなかった。
生きることも死ぬことも、彼には選べなかったから。
どちらかを選ぶことにさえ疲れていたから。
なかば投げやりにグランに委ねることにした。
「付近の捜索を開始する。音や声に気を付けるんだ」
アシュレイの指示で彼らは動いた。
生存者がいるとは思えない絶望的な状況だが、瓦礫に埋もれて延命につながった例もある。
重鎮はじめレイーズの部下やプラトウの官吏は、一人でも多く助かるように祈った。
その間、重鎮のどちらかがシェイドを艦まで送り届けようとしたが、彼は捜索を見守りたいと言って拒んだ。
念のため手当を受けさせるべきだとグランは考えていたが外傷がないのを認めるとその意思を尊重することにした。
「アシュレイ様……残念ですが……」
煤と泥にまみれた捜索隊はかぶりを振った。
「ここには、もう――」
シェイドの手前、彼らは言葉を曖昧にする。
灰色に染まった町の残骸に、命を感じさせるものはない。
「中断しよう。この子だけでも助かってよかった」
グランはたった一人の生存者を喜ぶことにした。
そうでも言っておかなければ、あの殺戮を目の当たりにした後だから皆の心が押し潰されてしまいそうだった。
「あの、待ってください」
彼らに敵意はなく、本当に自分を保護してくれるのだと確信したシェイドは、
「母さんと、ソーマも……連れて行ってください……お願いします……」
この程度のわがままなら聞いてくれるかもしれないと思った。
シェイドの視線をたどったグランは、そこに眠る女性を認めた。
傷ひとつついていない安らかな顔が悲しさを誘う。
彼は短く黙祷を捧げた。
「分かった……お母さんとお友だちも連れて行くよ。さあ、きみも」
事情を聞いたアシュレイは要望に応えた。
捜索の本来の目的は生存者の保護であり、遺体を引き上げることではない。
それには人手が足りなさすぎるし、捜索はもちろん収容にも厖大な労力がかかる。
そのためこの場は遺体を置いていく方針だったが、唯一の生存者の頼みということもあり、彼の希望に添うことにした。
「あ、の……あ、ありがとうございます!」
彼はようやく少しだけ笑うことができた。
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