3 予言-2-

 広間を後にした二人は何度目か分からないため息をついた。

 すれ違う士官は実質この国の最大の実力者である重鎮に滑稽なほど敬服して挨拶をする。

 それが親しみではなく権威に対する畏怖からだと分かっている彼らには、憐れみを込めた愛想笑いを返すくらいしかできない。

 この世界の空気は冷たすぎた。

 国政に最も重要なこの宮殿には各地から集まった有能な者が大勢いるが、彼らのつながりが見えない。

 ペルガモンに諂って地位を固めようとする者、役人という立場に憧れて才能以上に尊大に振る舞う者、兵役や課税の恩赦を得るために政治に参加する者もいれば、能力を国に捧げようとする者や、心から民の幸福を願って仕官した者もいる。

 問題は彼らが積極的に意見を交わさないことだ。

 疑心暗鬼に囚われている多くの士官は、自分の言葉がペルガモンに密告されることを恐れる。

 それが彼の意思に沿うものであればよいが、そうでないときは容赦なく処分される。

 中にはそうした密告を専業とする役人もいるほどで、荘厳でありながら宮殿内が暗いのは、嘘と裏切りが蔓延しているためだ。

「お前も感じたか?」

 近くに誰もいないのを確かめてグランが言った。

「ああ、胸が締めつけられるような……こんな感覚は初めてだよ」

 アシュレイは拳を握りしめた。

 彼は頭の中に雑音まじりの何者かのささやきを聞いた気がしていた。

「プラトウの名前を聞いた瞬間、何かがえた。多分、気のせいなんかじゃない」

「すっきりしないな」

 グランが遠くを見て言った。

 彼は頭の中でプラトウの名を繰り返し言葉にし、その度にひっかかる何かを掴もうとしたが、それは伸ばした手を霞のようにすり抜けてしまう。

「彼女の力を借りよう。この得体の知れないざわつき……よほど大きな秘密が隠されていると思う」

「教えてくれるだろうか?」

「あの人は権力には左右されない。良いことでも悪いことでも公平に伝えてくれるさ」

 アシュレイが言った時、わずかに地が揺れた。

 二人は窓の向こうを見た。

 音と風が窓ガラスを叩き、ほとんど同時に青白い光が視界いっぱいに広がる。

 艦隊が動き出したのだ。

 数隻の艦が重力に逆らって浮かび上がり、戦場に向けて航行を始めた。

 後部に輝く光の輪が推進力となって巨体を力強く押す。

 低く不吉な音を響かせながら、艦隊は空の向こうに消えた。

「また命令が出たのか」

 グランは怒りと諦めの混じった目で艦を見送った。

 もしかしたら交渉で片が付くかもしれない衝突もペルガモンの耳に入れば最後、それは武力での解決になる。

「今度はどことやり合う気だ?」

 重鎮が苦心して平和的に問題を解決しても、この国が関わる紛争から見ればほんのひとつまみに過ぎない。

 しかもたいていは勝ち戦になるから性質が悪い。

 勝利の連続は戦による解決を正当化し、ペルガモンを酔わせてしまう。

「私たちも彼女の元へ急ごう。これじゃいつ彼が方針を変えるか分からない」

 アシュレイの言にグランは頷いた。

「お二人とも、お戻りになったばかりなのにもうお出かけですか?」

 若い士官が声をかけてきた。

「ああ、でも任務じゃないぞ。ちょっとした息抜きみたいなものだ」

「時には必要でしょう。特に重鎮であられるお二人ならなおさら……」

「仕事の重みは誰も同じだよ。ところできみは戦略室にいたと思うが、ルタ殿はお元気か?」

 というグランの問いに彼は顔を曇らせた。

「ルタ先生はご病気です……」

「病気? 重い症状なのか?」

「そういうことにしてください」

「……何があった?」

「戦略室は部署が縮小され、先生も職位を取り上げられそうになっています。そのことで心を痛めておいでなのです」

「そんな話、聞いてないぞ」

 怪訝な顔でアシュレイが言う。

「密かに決まったことですから。戦略は必要ない、要るのは戦術だ、と」

 ペルガモンらしい考え方だ、とグランは思った。

「私もいつ追い出されるか分かりません。あの人たちみたいに武器を持って戦うこともできませんし、兵器の扱いなんて夢のまた夢です。しかし平民には二度と戻りたくありません」

 この気弱そうな男は親が裕福だったおかげで名のある大学を出て、見事に戦略室での仕事を得た。

 その過程で官民の格差を見てきた彼は、天から地に落ちることを何よりも恐れている。

「よし、時機を見て私たちが諌めよう」

「どうかお願いします。軍以外ならどんな職でもかまいませんから――」

 役人でいさせてほしい、と彼は懇願した。

「ああ、尽力するよ。だから取り乱すな。皇帝を刺激しないほうがいい」

 縋りつくような彼の仕草に、二人はこの国の行き詰まりを感じた。

 誰かが何か手を打たなくては深刻化する歪みは止まらない。

 名残惜しそうな士官に見送られながら二人は宮殿を出た。

 ここからはまた別の世界だ。

 皇帝に最も近い場所でありながら、人と物と金が結集する首都エルドランはいくつものしがらみをかいくぐりながら都市を形成している。

 大企業の多くが本社を構えていることからも分かるように、宮殿のみならず首都もまた、この国の威風を体現するものでなければならなかった。

 ここ一帯は40階層に満たない構築物の建設は原則認められていない。

 おかげで無機質なビルの林が広がる、温かみのない風景が造られてしまった。

「少し出てくる。今日中には戻るから心配しないでくれ」

 守衛にそう伝え、重鎮は都市へと踏み出す。

 宮殿に比べれば天井がない分、開放的なハズだが、ここも活気があるとはいえない。

 都市特有の閉塞感もあるが、ひっきりなしに頭上を飛ぶ兵器が、戦乱の世であることを否応なしに人々の心理に植え付ける。

 二人は視察も兼ねて人工の密林をくぐる。

 宮殿から放射状に伸びる本線は他よりも道幅が広い。

 これは戦闘車両の移動に配慮したもので、有事は一般人の進入は禁止されている。

 そのため本線沿いには誰も建築したがらず、ビルの類はほとんど見られない。

「この辺りもほとんど変わらないな」

 ペルガモン政権下では富は循環しない。

 富裕者は財産を大切に隠し持ち、貧困者は隠すまでもなく政府に吸い上げられる。

 都市の様相は思い出したように修繕こそするが、新築着工が皆無に等しいためにもう何年も変化を見せない。

 この奇妙な均衡の中を歩く彼らの目的地は、そんな薄暗い華やかさを忌み嫌うように建てられた小さな小屋だ。

 木組みの、いつ崩れてもおかしくない老朽化した家が、通りを何度か曲がった突き当たりにある。

 首都といっても大通りをはずれれば、汚れの吹き溜まりである裏路地がいくらでも存在する。

 この小屋もそうした場所にあり、権力者の目から逃れるにはうってつけの佇まいだった。

「アシュレイです。突然の訪問、失礼します」

 粗末な木製のドアを叩くと、立てつけの悪いそれが少し遅れて音を返す。

「少しお待ちになって」

 中から声がし、二人は数歩下がって衣服を整えた。

 間もなくドアが開き、黒のローブを着た女が姿を現す。

「お久しぶりです、ミス・プレディス」

 一見、魔女のような風貌の相手に、二人は恭しく頭を下げた。

 柔和な顔つきの女はほんのわずかな所作にも優雅さを感じさせる。

「お待ちしておりました。久しくお顔を見ていませんでしたが、お元気のようですね」

 ミス・プレディスは胸の前で両手を組んでお辞儀をした。

「用意はできております。中へどうぞ」

 彼女はにっこり微笑み、リビングに通した二人に椅子を勧めた。

 円テーブルには既にお茶用品一式が揃えられている。

「失礼します」

 内装は一般的な民家のそれと変わりはない。

 人生も半分以上を終え、欲がなくなってきた人間にありがちな、必要最低限の物しか置かない家。

 壁の絵画や部屋の隅にある花瓶も、客人のための雰囲気作りであって高価ではない。

「さて、冷めないうちに……」

 自らも席についた女は、純白のティーポットから飴色のお茶を注いだ。

 白髪まじりの彼女からはとっくに80歳を過ぎているというのに老いが見えない。

 腰も曲がっていなければ、翡翠色の瞳に一点の曇りもない。

「ふふ、珍しい茶葉が手に入りましたのよ。ずっと西の小さな――なんと言ったかしら。ああ、思い出しましたわ。プラトウという町ですわ」

 彼女は儚げな笑みを浮かべた。

「あなたは何でもお見通しですね」

 にこりともしないグランの表情には呆れと畏敬の色が見えた。

「ええ、もちろん……と、言いたいところですけれど」

「…………?」

「冷めてしまいますわよ? このお茶はタイミングがとても重要なの。早すぎても遅すぎても美味しくないのですわ。それともうひとつ――キッカケが必要ですの」

 女はカップを指で弾いた。

 底に沈んでいた茶葉が小さく舞う。

「この瞬間が最も香りと味が強くなると言われていますのよ」

 そう言い、彼女は流れるような手つきでカップを取り、口をつける。

 二人は顔を見合わせたが、これにも何か意味があるのだと思い至り、彼女に倣った。

「苦いですね。香りは良いですが」

 アシュレイは正直に感想を言った。

「ところでそろそろ本題に入りたいのですが……あなたはご存じなのでしょう?」

 半分ほど飲んだところで、グランが切り出す。

「ええ、ええ、分かっていますとも」

 ミス・プレディスは席を立ち、銀製のトレイを持って戻ってきた。

「いろいろと試してみましたが、これが最も鮮明でしたわ。お二人に見やすいようにテーブルの中央に置きます。そのままで見てくださいな」

 彼女はティーポットのお茶をトレイに注ぎ込んだ。

 飴色の水がトレイに薄く膜を張る。

 それはやがて化学反応を起こして真水のように無色透明になった。

「数日前のことです。突然、プラトウの風景が頭の中に浮かんで……。それ自体はよくあることでしたから気にしてはいませんでしたが、日を追うごとにその光景がはっきり描かれるようになりましたの」

 ため息をついてトレイの側面を叩く。

 水面がうねり、生じた波がトレイの中で何度か往復する。

 そのうねりが収まると少しずつ何かが見え始めた。

「プラトウですわ。ここの人々は重税を課されて貧困から抜け出せないようです。地下資源は豊富ですが、取り立てが厳しすぎますわね」

 それはどこも同じだ、と言いかけた二人だったが、直後に起こった変化に言葉を失う。

 水面に浮かぶのはプラトウの町だった。

 古い映写のように輪郭や色ははっきりとしないが、それが片田舎の町であることは明らかだった。

「今は何もありませんが……ここからです。見えますでしょう?」

 水面に映る町に軍隊が押し寄せた。

 空には艦、地上には機械仕掛けの兵が迫り、辺りは瞬く間に大火に包まれた。

「これは、ここが戦場になるということか?」

 アシュレイは呟いた後、それが間違いであることに気付いた。

 プラトウに現れたのは小規模のエルディラントの軍隊だった。

 敵の姿はない。

「お分かりでしょう? 虐殺です。何が理由か、彼らはあの町を灰にしたのですわ」

 雨のように降り注ぐ砲火が山も川も家も畑も無残に蹂躙していく。

 鮮明ではない映像からも、彼らが住民をも標的にしていることが分かった。

 グランは目を背けた。

「私たちが感じたのは、この事だったか」

 凄惨な光景に二人が唇を噛んだ時、火の海と化した町に突然小さな光が灯った。

 とても小さく儚げで、今すぐにも消えてしまいそうな。

「これをお見せしたかったのです」

 ミス・プレディスの言葉にグランは水面を注視した。

 最初、点だった光はアメジスト色に輝き、ゆっくりと膨れ上がっていく。

 それは生じた場所を中心に広がり、焼け焦げたプラトウの町を包み込んでいく。

 輝きは強さを増し、まるで爆発したように閃光をほとばしらせた。

「これは……!」

 二人は眩しさにたまらず目を閉じた。

 水面から放たれた光は映像の中に留まらず、天井も壁も、足元さえもアメジスト色に染め上げた。

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