第38話 曲げられない


 書斎は魔術書が並び、古本の匂いと、煙管の煙に包まれていた。


「わかっているな、フュリアス。フィッシャー家の再興は、お前の双肩にかかっている」


 椅子に腰かけた壮年の男は、煙管片手に自らの倅へ、鋭い視線を向けた。


「必ずや武勲を上げて参ります」


「混乱に乗じ、不穏な動きをしている連中も多い。気を抜くな」


 音を立てず、煙管から灰皿へ落とされた灰は、仄かに光る。


「肝に命じておきます」


「予備の魔力晶、貯蔵晶も持って行け」


「皆の使う物は……」


「ハノーバーが"妙に早く"手配したのでな、買い占めて"救援の為"とは聞いてあきれるが」


 机の上に並べられた色取り取りの魔力晶、その一つを砕いて煙管の葉の中に混ぜ、燐寸(マッチ)の遠火で火をつけた。


 只でさえ高価な代物を、それも魔力枯渇で人々が苦しんでいる中、こともなげに嗜好品として扱う。


 摂取方法として、間違っているわけではないが、賄えるはずの人数を減らす行為である事には変わりない。


「……なるほど」


「……手の届く範囲には必要量を配布している。奴らとは違い、望みはあくまで金銭ではなく名誉だ」


 煙を吐き、念押しする父の言葉を、フュリアスは黙って聞いていた。



◆◆◆◆◆◆◆◆



「逃げてください、時間を稼ぐので。この札を使えば、下の階層へ行く事はできるでしょう」


 アローニアに自分の札を投げるエステル。


「聖女パワーでなんとかなりませんかっ!?」


「……なりませんね」


 エステルは、フュリアス達を逃がそうと庇っていた。


《魔力長者となった我々に、貴様らのような人族が時間を?》


「《元人族の癖に!》」


《差別用語だ!小娘!》


「《知ったことか!貴様のような者がのさばっている事自体、魔人様の不本意と知れ!》」


《誰よりも貢献している我々に対してぇぇ!》


 激昂した蜥蜴達は一斉に襲いかかった。


「《我が指先に瑪瑙の盾!》」


 蜥蜴男達を白い盾で防ぐエステル。


《この程度の盾で!》


「今のうちに早く!」


「逃げません!エステル様!」


 退かないフュリアス。


「ホルムズ先生に教わった魔術なら!」


《息を揃えるのを待ってくれるとでも?》


 詠唱もなく、蜥蜴達は火球を立て続けに放つ。


「っ!仕方ありませんね!《我は紡ぐ燐光の鎧》」


 エステルの杖の先の光が、六角形の障壁を作り出し、三重の結界を構成する。


「これは……」


「私は参加できません!早くやってください!放つ瞬間に解除します!」


「御意!《水精よ!》アローニア!」


「やるであります!《木精よ!》ランプラ!」


「はい!《火精よ!》フュリアス様!」


「《土精よ!相生を重ね、土石流を放て!》」


「いきますよぉ!」


 瞬間、結界が消滅し、入れ違いに土石流が蜥蜴達を押し流す。


《木属性、前へ!我々に完全な相剋できん!気合いで乗り切れ!》


《おぉぉ!!》


《人族に負けてたまるかぁぁ!!》


 蜥蜴達の士気は高かった。人族のエステルが気に食わないからだ。


 結果として蜥蜴達は、その暴威を防ぎきってしまう。


「全く効いていないだと!?」


《我々を舐めてもらっては困る!凡百の眷属とは違うのだよ!まいて人族とは!》


「ダメですね……やはり……《我は紡ぐ燐光の鎧》」


 作り出される結界は、エステルだけを残し、背後のフュリアス達を押し出していく。


「エ、エステル様!」


「私を守ってくれると、言ってくれて、"ありがとうございました"」


 その言葉は全て過去形になっていた。




◆◆◆◆◆◆◆◆



 煙管の煙は、部屋の中で滞留している。


「……もし、ですが」


「……む?なんだ?言ってみろ」


「名誉と何かを、天秤にかけられるような状態に陥った時は、どちらを選ぶのですか?」


 フュリアスは初めて反駁した。


「……何を教えてきたと思っている、決まっているだろう?」


 父親はほんの少しだけ、驚いたような顔をしたが、下らない事を聞くなとばかりに、また灰を落とした。


「……名誉ですか?」


「………」


 彼は殆ど開けることのなかった書斎の窓を開けた。


 煙は外へ流れていき、新しい空気が入ってくる。


「守りたい方を選べばよい」


 父親の目はフュリアスをじっと見つめていた。


「この家を継ぐのは、お前なのだから」


 それだけ言うと、彼は書斎を出た。


 それがフュリアスの父親の遺言となった。



◆◆◆◆◆◆◆



 フュリアスには二つの道がある。

 一つは家の命令通り、戦果を得ること。

 一つは自分の心に従う事。


 だが、彼に選べる道は一つしかなかった。


「エステル様は自分の身をお守りくださいませ!」


「逃げろというのが--」


「わかりません!」


 故に、彼は詠唱する。


「《我が血の下に、呼び声に答えよ……水銀の刀--》」


 一度守ると言ってしまったモノは。


「《眼前一切--》」


 一度命を賭けると口にしたモノは。


「フュリアス様!」


 従者達にも止める事も出来ない。


「《遍く両断せよ!》」


 転がり始めた石は、もはや本人でさえ。


「ククッ、僕が他人の為に切り札を切るなんてな」


 そして、現出する。


《身の程知らずめ、未熟者が我を--》


 銀色の液体を纏う剣魚が、宙を泳ぎ、フュリアスを見下し、見下ろす--だが。


「《従え!僕に全てを委ねろ!》」


《む……そうか……良いのだなアーバスノット……認めよう、貴様の覚悟を》


 決死の意思は身の丈に合わぬ魔獣を臣従させた。


《呼べ、我が名を、我が契約を継ぐものよ!》


「《ドレッドノート・アマルガム!》」


《ォォォオオオオオ!!》


 数えきれない水銀の剣魚が、銀色の魔力の波紋を立て、泳ぐように現れ、宙を旋回した。


 フュリアスの周囲は禍々しい銀色--毒の魔力光が漂う。


「《全機雷撃始め!》」


《金属性だとぉぉぉぉぉぉ!!うぐぉぉぉ!!》


 銀色の曵光が雨のように走り、障壁を突き破って蜥蜴達を蹂躙していく。


《息があるもの、前へ!前へ!どうせ長続きはしない!息切れまで持ち堪えろ!》


《負けてたまるか人族よぉぉぉぉ!》


 次々に蜥蜴達は必死に抗う。


「防げるものか蜥蜴供ぉ!……ぐはっ……」


 魔力で変換された、水銀の血反吐を吐くフュリアス。


 水銀の雨は弱まっていく。


《それみた事か、矮小な人族に負けるな!眷属達よ!》


「フュリアス様!」


 従者達の叫び。


「来るんじゃあ、ない!僕一人で十分だ!」


 それを止める少年の声、しかし。


「傷つくのが、という意味でも!」


 歩くのをやめないランプラ。


「自信によるものでありましても!」


 同じく踏み込むアローニア。


「死地へ続くが、従者の務め!」


 隣に立つレパルス。


「……馬鹿供め!」


「お互い様です!」

「お互い様であります!」

「お互い様ですな!」


 血反吐を吐きながら笑う従者達、彼らの注いだ魔力によって、勢いを取り戻す水銀の刃と雨。


《押し返せ!どうにかしろ!》


《どうにもなりません!》


 彼らはフュリアスへ魔力を注ぎ続け、フュリアスは、一歩一歩、結界の中のエステルへ向かい。


《おのれ人族のめェェェ!!》


 蜥蜴達の組んでいた包囲は瓦解していき。


「ランプラ!」


「《名もなき精霊よ、彼女を清浄な気で包め》」


 辿り着く。


「なんて無茶なことをっ、するんですか!」


「一度言った言葉は消えないのですよ、聖女様」


「候補ですよ、……フィッシャー家当主」


「!……まだ次期ですよ、エステル様」


 やつれた二人はお互いに苦笑いする。


「《送還せよ!……ご苦労、水銀の刀よ》」


《未熟者よ、お前の覚悟、しかと受け取った。次は、命を削らんでも呼べるようにな》


「《精進、します》」


 銀色の魚影は全て溶けるように消えていった。



◆◆◆◆◆◆◆◆



《ふぃぃ、疲れた疲れた、分霊ならあの程度だな、よし合格だ貴様ら》


 広い応接間の奥から、太った蜥蜴男--バックリーが汗を拭きながら、当たり前のように戻ってきた。


「なん……だと!?」


「《なぜ生きている!》」


《何を驚いているんだ?守護者エステル。貴様らの能力と、洗脳術の程度を確認しただけではないか》


「ただの試験だったと?」


「新しい守護者を連れてきたのだろう?守護者エステル」


 当然のように人の言葉で話すバックリー。


「え、人の言葉であります!」


「私は元人族だからな、一応言っておくがこの街の住人ではない。魔人様の意思に反してはいないぞ?」


「そ、そうなんですねー」


 もう"そう言うことにしておこう"と考えたエステル。


「所属が決まるまではエステルの階層までで良いな?、ホレ」


 蜥蜴が顎で支持すると、黒服が人数分の札を手渡した。


「魔術語に慣れておらんかったから一応、試させてもらった。横領に反応したし、そこまで必死に守護者を守るのならば、問題なかろう、何故かは知らんが、共用語くらい使えるようにさせておけよ」


「は、はい、ありがとうございます」


「それと、貴様、返済が全くされていないが、ガラクタなんぞ買っておる場合なのか?」


「ガラクタ……?」


「返済……?」


 混乱している少女達の純粋な目。


「な、なんでもありませんよぉ、だいじょーぶです!聖女パワーですからぁ!」


「なるほど!」


「聖女パワーですね!」


 誤魔化す為の言葉があってよかったと安心するエステルだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る