第2話 三頭六眼の黒竜

 広く薄暗い洞窟の中、赤く光る文様が刻まれた祭壇。そこで私を迎えたのは嘲笑うような声だった。


《クハハッ!記憶を全て失ったか!愉快愉快!》


 驚いて見上げると、巨大な三つ首の黒竜が私たちを見下ろしていた。

祭壇の天井を覆い隠す翼を広げ、そして燃えるような6つ眼が私達を映している。


「お前の仕業じゃろうが、今更何を笑う?」


お爺さんは呆れたように言う。


信じがたい光景だけど、人とドラゴン的な何かが、ごく普通に会話している。


私の常識が通じない世界に来てしまった事はもはや疑いようもなさそうだ。


《そこの小娘が自分でやった事だからだ、久々に面白いものを見せてもらった》


「えーとこの、大きいのは……?」


「こやつは--」


《我輩はイヴァルアスである!依り代である貴様のお陰でようやく解放されたのだ!》


「あ、封印がどうとか言ってたやつ?」


《そうだ。こうして結界から自由に--》


「やはり解けておったか……ん?」


 赤く光る魔法陣から抜け出す黒竜。

激しい稲妻のような光を発し、凄まじい振動と共に、舞い降りるその姿。


《クハハッ!忌まわしき封印ももはやこれまで!時代は再び我が物となる!》


そう言って翼を広げた姿は、私よりも小さなモノになっていた。


「……時代がなんじゃって?」


お爺さんはすっとぼけた顔で聞き返した。


《な、なんだコレは!どうなっている!》


バタバタと慌てる黒竜。

先程まで見えた威厳のようなものは、微塵も感じない。


「フーカが勝手に封印の術式を書き換えたらしいからの。詳しくは知らん」


《おい!小娘!何をした!》


「分かるわけないじゃん」


《何を!小娘の分際でっ!!むっ!?何故だ!何故詠唱が出来ぬっ!!》


「懲らしめてやるつもりで来たが、その気も失せたわ。どうやら呪いまでかけられておるようじゃしな」


《なんだこれは!『解析ッ!』》


 空間に文字が映し出されていく。

日本語に見えるのは気のせいだろうか。


《【フーカ・フェリドゥーンの生活を保護しなければ消滅】……は?》


気のせいじゃなかった、明らかに日本語だ。

この世界の言葉は前と同じなんだろうか。


「お得意の魔法でどうにかしてみるんじゃな、悪竜王様よ」


《言われなくとも!『我が名において約定を焼き払う!』ーー何故だ、何故効果が無い?そうだ!小娘!望みはなんだ!なんでも叶えてやろう!この呪いを取り消すのだ!》


「なにそれ。呪いって?」


「さっき聞いたじゃろ。記憶は無くなってしまったんじゃ。まあ諦めろ。実質術者が死んだようなものじゃしな」


《くっ!これならまだ封印されていた方がまだマシではないかっ!なにが嬉しくてこんな小娘を》


「ねえ、なんか続き書いてあるけど」


《続きだと?【魔力は全てフーカ・フェリドゥーンに移譲し、一定以上離れても時間経過で徐々に消滅する】……なんだそれはまるで使い魔ではないかっ!》


「気の毒じゃが、その姿ではもう悪竜王とは名乗れまい、使い魔がお似合いじゃ」


「使い魔って変な語尾で可愛いい感じじゃないんだ」


「そんな使い魔聞いたこともないが……まあ、ここで腐らせておくよりは良いじゃろ、貰っておけ」


「使い魔って何に使うの?」


「簡単なところだと、雑用じゃな、炊事洗濯掃除何でもござれじゃ」


「こうなる前にそれが欲しかったよ」


 家に帰ったら自動的に飯が出てきて、掃除洗濯が勝手に終わるとか最高じゃないか……

これで見た目が癒される感じならもっと良かった。


《わ、我輩に何をさせるつもりだっ!》


震え上がる黒竜に近づく。


「よろしくね、状況が分からないもの同士、仲良くやろう」


《く、仕方あるまい……我輩に敬意を払うのであれば聞いてやらん事もないぞ。粗雑に扱えばいずれか牙を剥いてやろう!》



◇◇◇◇◇◇◇◇



「おーい、イヴ!もう一個リンゴ酒持ってきてよ酒が足らないぞぉ」


 床に寝転がりながら、使い魔を呼ぶ。

私が目覚めて一月ほど経っていた。

焦土と化した山に、お爺さんが魔術と筋力にものをいわせて、こしらえた家で二人と一匹は暮らしている。


《くっ!最初の頃の純真な少女は何処へっ!》


そう言いつつ、注文の品を抱えてくる黒竜。


「人って言うのは変わる。そんな事、毛も生え揃ってない頃から教わるんだよ。例えば、一年間同じ教室で過ごした筈が、それが終わった途端おさらばって具合にさ」


《相変わらず何を言っているか分からん!それに変な名前で呼ぶな!》


「イヴァルアスなんてあんたにゃ勿体無い名前だよ。あんたはイヴで十分サ、そっちの方が女の子になりそうな感じするし」


《我輩はこれから先も誇り高き黒竜だ!変わりはしない!》


「どうせ折に触れて美少女になったりするんでしょ?ありがちだし」


「のう、フーカ。なにをしておるんじゃ?」


「何ってそりゃあ……あ」


 見上げると鬼の形相をしたマヌ爺さん。

何か反論する隙もなく、持ち上げられた。

足元の酒杯は遠ざかる。


「記憶を失ってからというもの、目的も展望もなしに食っちゃ寝をしおって、それにそれは……まさか酒精か?」


「あー、大丈夫だって、なんとかするって。今はまだ本気出してないだけだから、明日からだすから、ほら魔力たくさんだし、ちょちょいと本気出せばー」


マヌ爺さんに掲げられたまま、バタバタともがいても無意味に終わる。


「魔力があればなんじゃ?」


《それでまた山を吹き飛ばすか?》


「……う、や、その」


あれから魔術を使うのは避けている。

もっと言えば、家の外に出てすらいない。

もう何かを吹き飛ばしたりしたくないし。


「まだ気にしておったのか」


「私は……その……」


《我輩の魔力を引き継いだのだ、いやが応にもかつての我輩と同じ厄災へとなっていくだろうよ!クハハッ!》


「やかましい!」


《ぐぉっ》


イヴを片手ではたき落としたマヌ爺。


「どうやら呪いにも抜け道があったようじゃな。いや、フーカよ何も恐れる事はない。お主の魔力なぞわしに比べれば大したものではないからな!」


「そ…そうなの?」


「ああ、そうだ。出なければわしは何故ここにいる?あそこで消し炭になっておるはずじゃ」


「本当に……?」


「そうだ。証明してやろう。来い」


そう言って私を抱えて連れ出した。

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