番外編:セスティーナ令嬢の憂鬱
その日は雨だった。
「シュバイツア家から手紙が届いております。至急、返事を返すようにとのお言葉も頂いております」
執事の者が言う。
わたくしは外の雨を黙って見ながら、「わかりました」とだけ、返事を返した。
執事が部屋から出た後に、お兄様が寄こした手紙を読んだ。
そこには、お前の読みどうりカインとセレナが恋人同士になったということ、そして盗賊団の船に貨物船をぶつけたためにその修理の費用として多額のお金を出したので、また我が家の財政は傾きかけている、という内容だった。
読み終えた私は気づけば部屋を出ていた。
私は雨を見ていたけれど、正確に言えば庭で雨にうたれる花々を見ていた、というのが正しかった。
私は雨が嫌いだった。
雨を見ていると、どこかの屋敷のパーティーで唄っていた
『凍てつく風が吹いている。風に吹かれる花々。
冷たい雨が降り注いでいる。雨に打たれながら、それでも花びらを天へと向ける花々。
夜、雨風が吹く日は耳を澄まして聞くがいい。花たちの声を。
そこには、雨に濡れ、それでも花びらを開いている花々の声が聞こえてくるのだ。
戻ってくることのない帰りを、今日も来ない、今日も来ないのね、と嘆く声。
その声は冷たい風に溶け込み、一層の冷たさを帯びる。
折れ曲がり、散りゆきながらなおも咲く花々からは、男の帰りを「来ない」と嘆く女の声――』
その詩を初めて聞いたとき、愚かな話があるものね、そう思った。
そして、そんな話を信じて、雨に打たれ花々が泣いている様に見えてしまう私は、いよいよおかしくなっていると、自分でも思うのだった。
――私は、社交界の華だった。
連日のパーティで美麗な男性たちからの甘い言葉を聞きながら、いくつもの恋の駆け引きを重ねてきた。
私にとって楽しい日々だった。
本当の恋をするまでは――。
私の最後の恋人は爵位も低い男だった。私の家よりも低い位だけれど、そんなことは私にとっては全然かまわなかった。
父が数年前に引き取ってきた甥のカインが、伯爵家の跡を継ぐことになって以来、女の身分である私の恋人が低い爵位でもなんでもよかった。
ただ、この男と添い遂げることが出来たらどんなに幸せだろうと思ったのだ。
それは、いつしか結婚という考えに私の中で変わっていた。
恋人に正式に求められるまでは、幸せな日々を過ごしているつもりだった。
父が決めた男と結婚するよう言われる前までは――。
私は、雨だという理由で引き留めるメイド達を、いつもの散歩よ、っと嘘を言って雨が降り続ける曇り空の外へ傘を差して庭へと出た。
雨に濡れる花々は、雨が降っても冷たいそよ風が吹いても、健気に太陽を待ちながら咲き誇っている。
それは、いつしか若かりし頃の、自分と面影が重なる。
雨が嫌いなのは子供の頃から変わりはないけれど、こんな考えが付きまとうとは思いもしなかった。
私は花々の声を塞ぎたくて、雨に濡れる庭の花々のところに自分が差していた傘を添えた。
自分が雨で濡れようが、悲壮な声を聞くより良かったから。
――自分は彼と結婚し、子供を産んで、男が領地する場所で幸せな日々を暮らすの。
そんな夢を持ったことが自分にもあった。
今思えば、幼かったのだ。
たとえ背伸びをして、大人びたことを言っていても所詮は大人の社会に行った事もない十七の小娘だった。
『この男と結婚しなさい』
父に言われた瞬間、私は父に何回も、自分が決めた相手でなければ結婚は嫌だと進言した。
しかも、私の結婚相手に父が選んだ男が、偏屈な考えと、女性を蔑む言動があると、裏の社交界では囁かれていた。
だが、資産を増やすことを第一に考えている父に何度進言しても、女である私の意見は聞いてはもらえなかった。
私の結婚は、ただの政略結婚。それ以上でもそれ以下でもなかった。ただ、あの男と結婚という形で添い遂げなければいけないことは、何もかも耐えがたかった。
私は恋人である彼に駆け落ちの提案をした。
すると、彼はひどく驚いていた。
「本気で言ってるのかい?」
「私のこと好きなんでしょ?私が他の男と結婚してもいいっていうの?」
「それは・・・嫌だが・・・」
「私も貴方が好きなの。冗談なんて言うわけないわ。それより、婚約すらも出来なくて私達の愛が認められないのなら、この国から逃げるしかないのよ」
私は本気だった。
彼と一緒なら、どんな困難でも受け入れるつもりだった。
私と彼は一緒に駆け落ちの計画を立てて、実行に移した。
夜中に私は屋敷から一人抜け出し、合流地点に選んだ雑木林へと向かった。
そして、私は木の傍に立ったまま、冷たい風に吹かれながら恋人が来るのを待った。昼は暖かくとも、夜になればそこは冷たい夜風が吹き荒れ、いつしか雨が降り続いていた。
私は待ち時間になっても来ない彼を待った。
馬車が何かトラブルでもあったかもしれない、きっと彼はマントを私に被せながら遅れてごめん、っと言って来るはず。
だから、木々が亡霊やオオカミなどの獣に見えていても、それがどんなに恐ろしくても私は逃げなかった。
だけど、どんなに待っても恋人が来ることはなかった。
私は夜が明けるそのときまで、ずっと彼を信じていたというのに。
私を探していた屋敷の者に連れ戻されたあとは、一晩中雨に打たれてからのベットで寝込む日々だった。
駆け落ちなんて知らない使用人達は、熱にうなされていると思ってたようだったけれど、本当に苦しかったのは、高熱なんかではなく、男に見放された私自身だった。
(―――あんなに優しかった彼が、どうしてこんな酷いことをするの!?)
私が熱で苦しんでいる間に、私の恋人はいつの間にか別の令嬢と婚約を発表していた。
それを知ったとき、私には父が手配した結婚式が何もかも進んでいた状態だった。
失意と絶望の中、私は結婚した。
そして嫌いな男との結婚生活は、上手くいくはずもなかった。
夫になった男は、貿易関係で日本に行く必要があり、妻である私も日本に行かなければならなかった。
けれど、外国に行っても私達の関係が変わることはなかった。
私は夫と言うべき男に階段の上から「そんなにお酒がお好きなら、一生お酒を飲んでたらいいわ」と言って、酒樽をあの男の頭上にぶちまけてやった。
怒った男が刃物を持って階段から上がって来ても、前から雇っていた屈強な男二人で
黙らせ、男に離婚の書類へサインさせた。
そして、私は外国生活に見切りをつけ、故郷へと向かうべく荷物をまとめて港近くの宿に泊まっていた。そこで、私はあの日本人の少女を見つけ、決めた。
あの少女が、近いうち豊かになっていくであろう日本との架け橋の手段、私の甥であり次期当主として屋敷にいるカインの日本語教師として一緒に連れて帰ることを。
そして、いつの日かカインとあの子が関係を持つことがあるのならば、父が最も忌み嫌っていた高貴な血統に、違った異国の血が混ざることへ一縷の望みをあの子に託した。
考えてみれば、私も今までたくさんの出来事があった。
月日が経ち、自慢の美貌はもう衰えてしまった。
過去は戻ってくれることはなく、次の世代へと時代は進んでいくのを、兄が書いた手紙を読んで私は確信した。
カインとセレナが作る時代へと――。
「濡れてしまうよ」
後ろから聞えてきた声に振り返れば、傘を差しだす私の新しい、優しい夫がいた。
今まで付き合ったどんな男性よりも平凡だけれども、わたしの中ではもう大きな存在となっていた。
小娘だった昔の私が、一番欲していたことを意図せずしてくれる夫。
私は一緒の傘に入り、振り返らなかった。
後ろを振り返らずとも、幸せはこの中にあったから。
沢山の雨が降っていた灰色の空は、すこしばかり光輝く太陽が差し込んでいる。
まだ雨は小降りで降っていたが、いつしか晴れることを予感させるものだった。
そして、私達が屋敷へと戻るころには、晴れ渡った空に大きな虹がかかるのよ。
おわり
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