第14話セレナの決心
セレナは友人たちが待つ門の場所へと急ぐ、カインの後ろ姿をみていた。
そして、目の前にそびえたつ、自分の身長の3倍はあろうかという大きな塀を見上げていた。
(どうして幼い自分はこんな大きな壁を障害と思わなかったのかしら・・・)
幼い頃に1度だけこの屋敷の外へとカイン様と一緒に夜の街へと出て行ったことがあった。けど、それっきり。一度きりだ。
(大きくなったら、もっと簡単に乗り越えられると思っていたけれど、違ったのね)
世界は、人生は、己の努力だけではどうしようもできない壁があると知ってしまった。自分は異国の、それも白い、おばあちゃんの白い髪をした奇形な人間ー。
この屋敷からは出ることはできない。いや、生きて生活することは難しいと思えた。他の人とは明らかに違う人間だから。
(だから、私は、この壁を、幼いころよりもうんと難しく感じるんだわ。私も随分、背も伸びたのに・・・・。)
―――神父様と出会って最初に約束した、”努力して生き抜くこと”
日本を離れた今でもセレナは忠実に守っていると実感していた。だが、それだけだった。
ただ、生きているだけ。それ以上は難しい事なんだと成長していくにつれて知った。
好きな人と一緒にこの塀を乗り越えられないことも。
(ううん、もう考えるのはよそう。しっかりしなさい、セレナ。お仕事だって、沢山あるんだから、戻らなきゃ。)
セレナはメイドの仕事があって良かったと感じていた。
そうでないと幼いころから慕っているカインと自分の差を悶々と考える時間が無くなるからだ。
実際、セレナのメイドの仕事は順調過ぎると云っても過言ではなく、何でも工夫して仕事に取り込む精神と、真面目さから多くの仕事を任せられていた。
庭から屋敷に戻ると、朝サミュエルから受け取った伝言を厨房にいるであろう、コック長の元へと足を運んだ。
そして、厨房に入るとすぐに見つけた。
「コック長。今日の夕食は魚料理にしてって、当主様からのリクエストがありました」
「またかー。当主様に昨日も魚出したのに、ホント魚好きだねー。ところで、カイン様はどこ行ったんだ?魚と肉どっちがいいか聞きたかったんだが。また街の若いもんと、どっか行ったのか?」
以前よりも街の青年たちと関わるので、外聞を気にする屋敷の人間たちに咎められたこともあるのだが、カインは聞く耳持たず、そのことに屋敷の人間たちも諦めるようにもなり、容認していた。
「はい。先ほど一緒にお友達と出かけられましたわ。今日もどっちでもよいそうです。カイン様にお聞きしたらそう言ってましたわ」
「外からの野次も無視して若様は益々元気だなー。サミュエル様が諦めて静観するのも無理はないが」
そうですねーと笑顔で相槌を打ちながら世間話に花を咲かせる。すると、別の方からも呼ぶ声がした。
「あ、セレナ先輩ー!今日の料理の下準備の手伝い終わりました」
「じゃあ、次は屋敷の廊下掃除お願い。いま新人のデオンが一人でしてるはずだから手伝って欲しいの」
「はーい。わかりました!あ、そういえばセレナ先輩。メイド長のユーナ先輩が探してましたよ。たぶん、メイド長室にいると思います!」
「ありがとう、わかったわ」
何かあったのだろうかという気持ちを抱えながら、厨房からメイド長室目指して歩いていく。
最近はチャリティーのこともあるし、それで呼ばれたのだろうか。
扉をノックした後「失礼します」と言いながら、扉を開けてメイド長室へと入っていった。
ドアを開けながら部屋へと入ると、そこには当主サミュエルとユーナが立って話をしているところだった。
「すみません、遅くなりました。お呼びでしょうか」
「ああ、丁度良かったわセレナ。貴方、カイン様との日記の方は順調かしら?」
「あ、はい。発音もそうですが、文章も間違い個所はずいぶんと減っています」
「ふむ。日常的に文章を書くには支障はない、というレベルかな?」
当主サミュエルも確認の言葉を投げかける。
「左様にございます」
セレナは静かに、だが、敬意を表しながら答える。
「そうか。それなら、良かった。安心して日本の貿易事業を任せられるな。あとは、オーギュスト陛下の御妹君とのお見合いが成功すれば文句なしだ」
「・・カイン様がお見合い・・・・」
(・・・・・・ついにお見合いなさるの・・・・?)
カインには五年前からもお見合いの話は出ていたというが、以前暴力事件を起こしてからはサッパリ音沙汰がなかったと聞いていた。
「まあ!サミュエル様、王宮から正式な手紙が届いたんですか?」
「ああ、今さっきな」
サミュエルの手元には王宮の紋章の封蝋がされた手紙があり、サミュエルはそれをユーナ、セレナに見せてくれた。
「先日カインと王宮に行った際、アイツは女王やウィルソン陛下にえらく気に入られてだな。まだ公の場に滅多に出ない王女殿下の許嫁としてお見合いを打診された時は、まさかっといった気持ちだったが、本当に王宮から手紙がくるとはな」
王女殿下とのお見合いともなれば、シュバイツア家に王位に関わるチャンスが巡ったことになる。下仕えのセレナも、そのくらいは瞬時に理解することができた。
以前交わした交換日記にも書いてあり、カインが宮殿に行った事は知っていた。
『セレナにもオーギュスト殿下の日本美術品を見せたかった』
――語学学習のときにセレナの思い人は、そう言って笑顔で話していたことを思い出した。
「セスティーナ様もお見合い結婚ですから、続けてのご結婚となると素晴らしいことですわ」
ユーナも既に決まったことのように祝辞を述べる。
「そうだな。アイツもまだまだ半人前だが、伴侶を見つけて所帯を持てば、街の青年たちと遊びに出かけることは控えるだろうしな。それと、セレナ、君に提案なんだが。語学の家庭教師も終わったことだし、一度、日本に設立した我が会社のために日本に帰って働かないか?」
「日本・・・に、ですか?」
(私、――日本に帰れるの?)
急にセスティーナ様に買われて、この地に来たのだが、やはり自分の故郷だ。
嫌な思い出もあるが、両親、神父様といった思い出が時折思い出され、お墓参りをしたいと願ったこともあった。—―だが、年齢を重ねるにつれて叶うはずないと諦めていた。住み込みで働かせてもらう代わりに語学を教えるメイドとして働いてはいたが、給与の全ては借金返済に当てられていたのだ。そんなセレナに巨額の渡航費用は貯められるはずがなかった。
「ああ。セレナも長年働いてるし、もうそろそろで、セスティーナが見世物小屋で買った代金は払い終えるからな。そのまま帰国して私たちが建てた日本の工場で働くといいんじゃないかと思ってね。もちろん、セレナの考え方次第だが」
「―あ、はい」
「返事は後ででもいい。ゆっくり考えてくれ。急に呼び出してすまなかったな、じゃあ、私はこれで失礼するよ」
サミュエルはどうやら、カインの語学力のレベルを知るために自分を呼び出したらしい。
サミュエルが出て行ったあと、ユーナは「良かったじゃないセレナ!故郷に帰れて、そのまま現地で働き口も用意して下さるなんて!」と、喜びの声をあげる。
「そ、そうですね」
なんとか笑顔を作って言うが、内心は複雑だった。
ユーナの言う通り本来は、嬉しいはず。
(けれど・・・)
何故かカインの存在が自分の胸を締め付けていた。
「素敵ねー。一時はどうなるかと思ったけれど、あのカイン様が今度は次期当主様になって、日本文化に精通してらっしゃるオーギュスト殿下の御妹君とお見合いだなんて。お互いの趣味が合うからこそ、夫婦仲もきっといい感じになるわよね。そう思わない、セレナ?」
「え、あ、はい。そうですね・・・・」
「あら?どうしちゃったの、なんか顔色が優れないわね。大丈夫??」
「あ、大丈夫です。今日はさっきまで外にいて、陽に長く照らされたからだと思います」
「そう?ならいいけど・・・。あ、それとね、セレナ。仕事の話に戻るけど―――」
一方そのころ、カインはジョン、ジークと一緒に四人が作ったアジトに来ていた。
正式な名称である青年アジトは、街の中心街から少し離れた場所にあり、地下がある二階建ての建物を彼らは住み家としていた。そして、中ではカインの友人四人を兄貴と慕うスラム街の少年や農村の少年達20名ほどが行き交い、交流を重ねる場所でもあった。
血の気盛んな若者が多く集まる場所の為、地上の部屋と地下を含めた広い室内の片隅には過去に食材を入れてた木の箱が積み重ねられ、酒の樽や、余興として銃の射撃を競う的が壁に掲げてあったりと、外の道路を行き交う人が見る限りでは物騒な場所に見える。
だが、そんなこと強面に反して弱者には優しい青年が多く、この若者たちに助けられた街の人々から、”困りごとは、青年アジトに相談”というのが街の評判だった。
「カイン、お前が俺たちのアジトに来るなんて珍しいな!」
ジョルジュが酒の瓶を片手に自分の肩をバンバンと叩く。
「・・・お前こそ、昼間から酒か?また女の子にフラれたのか?」
「すみません。ジョルジュさん、昨日、宿屋の看板娘に告白したらフラれたもんで、酒に酔っちゃって」
子分の一人が耳元でボソッと教える。
(・・・・冗談だったのに、マジだったのか。)
「まあ、いいや、ジョルジュ、お前も来い。四人に話があるんだ」
ジョルジュを子分の肩から引きはがすと、好奇心を抑えきれなかったのか「今日はどうされたんです?」と、子分の一人が聞いてきた。
「ん?ああ、ちょっと久しぶりにな。あ、お前らは奥の部屋に入ってくるなよ?今日は男同士の話し合いに来たんだから」
そう言って、友人の子分達を尻目に、ジョルジュ、ジョン、ジーク、ライナーの四人と一緒に地下にある扉をくぐる。
奥の部屋は、緊急の案件などでよく使う部屋だった。
「で?話って何だよ?」
青年団グループの頭領となったジークだけでなく、部屋の酒樽に座る他の三人からも視線が集まっているのを肌で感じた。
セレナと会うときは気のいい奴らとしてそれぞれ能力を隠しているが、長年生存競争の激しい貧困街や厳しい労働に耐え抜いて、大人になった友人たちだ。数多くの修羅場を乗り越えた経験を持っている人間からは適格な判断、助言をもらえることは間違いない。それに、カインは秘密めいた会話をする為に一緒にこのアジトに来たのだ。
それに、一人で悩みをこれ以上抱えるのは難しかった。
「ああ、実はなー―」
話し出した言葉に、四人は耳を傾けて聞いていた。
ユーナとサミュエルに呼び出されて、セレナがメイド長の部屋から出たのは4時間後のことだった。
チャリティーについての打ち合わせ、最近出没している盗賊団の対策として戸締り強化、見回りする人数を増員するということ、スタッフの人員配置などを決めていると、こんな時間までかかってしまった。
はやく決定事項を他のメイドに伝えたかったのだが、頭の中がグチャグチャとしている感じがして、今日の仕事が終わったら早くベットに入りたい気分だった。
(カイン様がお見合い・・・・・。いつか来るだろうと覚悟してたけど・・)
「セレナ、ちょっといいか?」
「きゃっ!」
ふと、急に後ろから声が聞こえてきた。
振り向くと、そこにいたのは今まさに気に病んでいた人物、カインが話しかけていたのだった。
「そんなに驚くか?俺は妖怪か」
「す、すみません。後ろにいるなんて気づかなったので・・・・」
これは本当だった。考え事をしていたせいか、全然相手の足音にも気づかなかった。
「相談したいことがあるんだが、ちょっと時間ある?」
カインは一緒に屋敷のバルコニーへと出ると、庭の手すりに背を向けて、向かいにいるセレナに言葉を投げかけた。
眼を合わすことが出来ないとでもいう様に、伏し目がちに話してきたので、何だろうと思うばかりだ。
(どうしたのかしら?)
「じ、実はな、交換日記を一旦止めてみないか・・?」
「え・・・」
「俺たち・・・、お互いに外国語をマスターしてきたと思うんだ。読みだって、発音も―――。もう五年も経ってるんだ、お前もメイドとしてたくさんの仕事あるし、俺の勉学に長いこと付き合う必要なんてないんだし・・・セレナ?大丈夫か?もしかして、怒ってるか?」
「―――大丈夫です。ご主人様がそうでしたら、私は異論はありません」
身体に力を込めて微笑んだ。
「そっか、ちょっと、セレナの反応が心配だったんだけど良かった。じゃあ、今日の夜からは交換日記はなしということでいいか?」
「はい」
貴方がそう望むのなら。私はただ買われたメイド。干渉できることが出来るはずもない。
カインは安心したのか、ホッと息をついて、
「――じゃあ、俺は叔父さんに呼ばれてる用事があるから行くけど、セレナは?叔父さんのところか?」
「あ、私は厨房に用事がありますので」
「そうか」
バルコニーを出る彼の後ろ姿を見ながら、自分の胸が締め付けられるような思いだった。
頑張って繕っていた明るい笑顔は既になく、逆にセレナの顔には悲しみが支配していた。
本当は少し前からカイン様の日本語は完璧。もっと前から五年間続けた日記を終了させても問題はなかった。
だから、逆にカインの方から交換日記をやめたいという申し入れはセレナにとってはありがたいはずだ。
(それなのに・・・。どうして・・・?)
「どうして涙が出てくるの・・・」
セレナの眼からはポロポロと涙があふれていた。
止めどなく流れる涙はすぐに止められそうもなく、ポトポトと落ちてくる。
昔と違い、お互いに言葉の壁はもうなくなった。
(けど、どうしてかしら?)
いまは距離さえも遠くに感じるられた。
(以前からカイン様は、ご自身だけ悩みを抱えている方だったけれど、ここまでご主人様が遠くに感じられるなんて・・・。)
小さいころは何でもカイン様に話してみたいことがあって、日記にたくさん書いた。
日記を読んでくれた人のコメントが嬉しくて。
けれど、いつしか大人になって、好きな人に書けないことが増えていって。
書く内容は少なくなっていった。それでも、好きな人と、日記を通して会話していたかった自分がいた。使用人としてではなく、一人の女としてー。
けれど、時は残酷だ。
幸せだったころには戻れず、嫌にでも身分と環境が襲い掛かってくる。
セレナは悟っていた。もう終わりなのだ。
(――――カイン様)
いずれお家存続のためにも、身分を持ったご令嬢とカインは結婚するだろう。
(それを、私はメイドとして傍で仕えることが出来るだろうか?)
ご主人様が好きだと自分の気持ちがわかったときから、この問いを自分に投げかけていた。随分前から悩んでいたことだった。
だが、その悩みの答えは今、でた。
出来ないと――。
結婚して家庭を築くカイン様を支えることはできない。
嫁いできた綺麗なご令嬢とこの屋敷で親しげに話すカインを見て、はり裂けそうな痛みに押しつぶされている自分がそこにいた。
耐えられるわけがなかった。
「私、行かなくちゃ・・・・」
そう強く言う言葉とは裏腹に、前を見つめるその瞳は悲しみが込められていた。
「先輩、大丈夫ですか?なんか眠そうなんですけど」
仕事で衣服の洗濯をしていると、オリヴィアが首を傾けながら心配の声をかけてきた。
「え、ええ。大丈夫よ。」
何でもない様に装うが、昨日は寝ようとしても寝れなかった。つまりは寝不足。顔は正直で、翌朝には両目の下にクマが出来上がっていた。
昨日は、カイン様と別れたあとに、こっそりと日本へ行く旨をサミュエルに伝えた。
サミュエルは大変喜んでくれたが、「カインに知れたら怒られるから、ギリギリまで誰にも話さないように」と、念を押されていた。
それが昨日の最後の出来事であった。
「先輩、何かあるなら、話してくださいね?」
全く喋らない自分を心配したのか、オリヴィアが声をかけてきた。
「え?ああ、ありがとう」
そう言った矢先に「セレナー!」と声をかけてきた人物がいた。
ユーナだった。笑顔で手を振りながら、こちらへと駆けてくる。
「ちょっと、聞いたわよ?日本行き、了承したんですって??おめでとー!!あんたが行くのは寂しいけど、故郷に帰れるよう頑張ってたの知ってるから!ようやく願いが叶ったわね!」
「シ――!!ユーナさん、それ秘密――!」
眠気も吹っ飛び、驚きながらユーナの口を思わず塞ぐが、遅かった。
「ええええ!!先輩、帰っちゃうんですか!?日本に!!!??」
隣にいた小さいメイドは全てを知ってしまったようだった。
「え、オリヴィア、そこにいたの!!???」
まだ背の小さいオリヴィアは、セレナの背に隠れてユーナからは見えなかったらしい。
ユーナの顔色が瞬時に青ざめるが、オリヴィアはそんなことお構いなしに、
「先輩、なんで行っちゃうんですかー!?ここに居てもいいじゃないですか!仕事まだまだ先輩から教えてもらいたかったのにー!行っちゃイヤですー!」
服を鷲掴みされながら涙目で責められていた。既に後の祭りで、誤魔化しようがなかった。
「ゴメン!!!オリヴィアがいるなんて知らなかったの!!!」と後ろで揺さぶりながら謝るユーナに挟まれ、今日もセレナの一日の仕事はたくさんあるのだった。
場所は変わって、セレナとオリヴィアは、メイド長であるユーナの部屋の椅子にそれぞれ座っていた。
「立ち話もなんだから」というユーナの提案を押しきれず、部屋で出された紅茶を飲む。時刻はちょうど休憩時間だ。
「じゃあ、カイン様には秘密のまま、ここを出ていくって事?」
「はい。カイン様に言えば、きっと反対するだろうと当主様と話し合って・・」
セレナの事情を黙って聴いていたオリヴィアは、
「そりゃあ、若い男女がイチャコラしてたら怪しんじゃいブッ」
「オリヴィア、余計なことは言わないことよ」
何かを言いかけていたオリヴィアの顔にはユーナが投げた銀色のトレイが当たっていた。
「お、オリヴィア、大丈夫!?」
手を出して、オリヴィアの体制が戻るのをセレナは手助けした。
「ユーナ先輩、ひどい~」
「アンタが余計な一言を言いそうになったから止めてあげたのよ」
紅茶を飲みながら言うユーナ。だが、眼を伏せながら言う表情は、いつになく真剣だった。
「—――確かに、カイン様の性格上怒りそうですね。二人ともこういっちゃなんですけど、友達みたいな関係に見えますもん」
気分を変えたオリヴィアは、言いながらテーブルに出されたお菓子の包み紙を開いては、ポイポイと食べながら言う。
「だけどこの機会を逃したら、また当分の間は日本に帰れないと思うの」
カインがお見合いする前に、ここを去ったほうが良い。
そのほうが傷が浅くてすむ。
セレナはそう思った。
「—――そうねえ。セレナが帰る理由って、故郷の国だからと、語学の仕事が終わったから、の二つよね?」
「――はい」
(本当は、好きな人が他の人と結婚生活を送るのを間近で見たくないとは、上司でも言えない・・・)
「確か、半年ぐらいは海の上の大航海でしたっけ?お気に入りの先輩が遠くに行くとなると、カイン様寂しがるだろうな」
「そうね、わかったわ。セレナ、私達従業員はアンタが故郷に戻ってくることを応援すべく、全力でカイン様には秘密にしとくわ!何かあったら、気がけなく相談してね!あと、まだ途中のオリヴィアのメイド教育、そこは私が引き継いであげるから!」
「えー!それは勘弁してください~」
「何よう、メイド長の私が直々に教えるのよ?有難いでしょうが!」
「ユーナ先輩厳しすぎるんですもーん」
「また、オリヴィア、あんたはセレナを見習いなさい!オリヴィアと同じころのセレナは――」
ユーナの袖を泣きつきながら引っ張るオリヴィアに、ユーナは何が不満なのよと、言い合っている。
(この日常風景ももう見納めか・・・)
静かに日常風景を眼にしながら、紅茶の続きを飲んでいた。
―日本行きの船が港に到着するまであと1月後。
この屋敷に居られるまでのカウントダウンが始まった。
仕事の引継ぎを行うと同時に、ここでの人達の思い出は持ち帰りたいと思う。
セレナはやり残すことが無いよう、ここでの生活を頑張ろうと思うのだった。
「オリヴィア、そろそろ持ち場に戻る時間よ。あんたは先に行ってなさい」
ユーナにそう言われたオリヴィアは、ぶつぶつ愚痴を呟きながら部屋を出て行った。
「さてと、セレナ。ここから真剣な話をしましょうか」
なんだろうと、思いながらユーナに向き合う。すると、急に抱きしめられた。
「お疲れさま、セレナ」
「ユーナさん・・・?」
「別れるのは寂しいけれど、それはあんた自身が決めることだもんね。日本に行っても身体に気をつけてね、休憩もきちんととるのよ、あとそれと――」
最初、セレナはこそばゆい気持ちだったが、職業病なのか注意点を長く話すユーナに、こらえ切れなくて笑っていた。
「さすがメイド長ですね」
クスクス笑っていると、ユーナは自分の頭を撫でて言った。
「ここでの暮らしに後悔ないように、思い出を整理していきなさいね。カイン様との別れは辛いだろうけれど、必ず時が癒してくれるわ」
優しく自分を見つめてくれてることに、セレナはここで教わった最上級の作法でユーナに返した。
メイド服の裾をつまみ、片方の手は胸に当て、膝を折った。
「今までお世話になりました。幼き私の面倒を見てくださったこと、一生忘れません」
セレナは別れの挨拶を交わしたのだった。
♢
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