第10話 上達への道
夏の日差しが降り注ぐのを見ながら、カインとセレナは木陰にいた。
二人の周りには、ジャポニズムの資料としての本が置かれている。
「あーいい天気だな。ここまでいい天気ならアイツらと遊びたいのになあ」
ご主人様が話すアイツらとは、街で出会った少年たちのことだろう。
街に行ったあの日はいろんなことがあった。
大人たち相手に逃げてた少年たちを助けたり、カイン様は仲間の一人とケンカしたり。しょんぼりしてたらと思えば怒ってたり。
あの時は彼のいろんな表情を見ることができた。
まだ、この主人ともいえる人に仕えてないはずなのに。ここまで彼の言動に安心感んを憶えている、そんな自分の感情にセレナは内心驚いていた。
だが、カインのこの前の表情は、本当の自分を出していた様にセレナは思うのだ。
横にいる少年を心で感じ取りながら、セレナはカインと屋敷の広い庭を見ながらそよ風に吹かれて過ごしている。
――今日から日本語の授業を行う。
それなのに、未だ授業は始まっていない。
カインが外の空気を味わせてくれ。と言ったからだ。
セレナが、また逃げるんじゃ・・という表情を露骨に表すと、カインは笑って、「逃げないよ」っと言うので二人して庭を眺めていた。
セレナがこの屋敷に来た時は真夏だったが、既に庭の野菜は収穫が終わり、秋へと移行してきていた。
「もうすっかり秋らしくなってきたな、ここの庭も」
「はい」
「なあ、セレナはここで仕事を終えたらどうするつもりだ?」
「え?」
「つまり、俺に日本語を教え終わったら、どう生活するんだって話」
カインの難しい問いに、セレナは考えた。
そして、一生懸命考えた答えをカインに伝えるのだった。
「日本に戻って、そこで生活していきたいと思っています。亡くなった両親と神父様のお墓もあるので」
「ふーん。それじゃあ、スパルタで教えてもらわなきゃな」
そう言って、カインはニヤリと笑った。
イタズラな笑みに、セレナは授業が受け入れたことがわかった。
セレナも笑って、
「ビシバシ教えますね、カイン様」と笑って答えるのだった。
こうして、授業が始まった。
まずは本の一小節にある簡単な日本語を、ノートに書きながらカインに教えた。
カインは既にひらがなや簡単な感じを知っていたが、まだまだ教えることは多くあることにセレナは早い段階で気づいた。
そして、カインも真面目にセレナの言葉を聞きながら何とか習得しようと頑張るのだ。だから、セレナもカインに日本語を教える熱が入る。
なのだがー。
「ここの漢字は、」
セレナがカインのノートのところへと顔を近づけると、急にバッッと身体全体を引いた。
「カイン様・・?」
「ん?なんでもないよ。セレナ続けてくれ」
確かにカインの顔は平静を保ち、落ち着いて言うのだが、セレナとの距離は何故か先ほどよりも大きくひらいている。
(今日は何か考え事なのかな?)
セレナはそんなことを考えながら再び日本語を教えるのだが、その際にカインとまた、一瞬の間を伴いながら眼が合ってしまった。
すると、カインはすっと、眼をそらして「あ、えっとセレナ、次はあの本を読もう。飽きてしまったみたいだ」と笑顔を向けて改めてセレナに言う。
「は、はい・・」
(いま、視線そらされた・・)
少し哀しかったが、気にしてないフリをして授業を進めた。
セレナとカインの熱心さは長く、「昼食の準備が整いました」と別のメイドが声をかけなければまだ日本語の勉強は続いていただろう。
昼からのスケジュールは、セレナがメイド業に戻り、カインも別の家庭教師の授業がある。今日のセレナの授業はここまでだった。
そして、カインとセレナは別々の部屋で昼食をとったあとは、それぞれに課されたことを頑張り、お互いに早く就寝の床に就いた。
そして一週間、二週間とお互いに課題をこなす日々が続いた。
新しい生活に少し慣れたセレナだったが、どうしても悩んでいることがあった。
それは最近のカインの微妙な動きのことである。
(どうしたのかな?わたしと顔との距離が近い時、距離をおくのは・・)
さらに、目が合うと避けるのである。
最初は気のせいかとも思ったが、どうもそうではないと日を追うごとに確信を強めていった。
(やっぱりおかしい・・・・!だって、全然眼を合わせてくれないんだもの!!)
セレナはカイン本人に訊いて見たかったが、どうしてもその問いを投げかけられないでいた。直接、そんなことは言いづらかった。
悩みは続いたが、セスティーナ様との約束である、カイン様に日本語をマスターさせることが最優先な事は変わりはない。
毎日日本語の授業が終わるたびに、セレナは苦悩して、結局は授業に専念することだけを強く思うのだった。
そんなときだった。カインがいつもどおり庭で日本語の勉強中にセレナにポロっと口に洩らした。
「まだまだ勉強してみたいな」
カインの日本語力はまだ初級レベル。それをわかっていたセレナは何も言えなかった。ただ、申し訳なさそうに哀しい表情をしていた。
英語が簡単なものであれば話せるセレナも、語学の辛さは痛いほどわかっている。
セレナ自身も簡単な英語が話せるまで大変だった。渡航中は英語の勉強をしてはいたのだが、それ以前は日本で神父様に英語を悪戦苦闘しながら教えてもらっていたのだ。だから、英語もできるという理由でセスティーナに拾われたが、語学習得は長い期間を要する。
しかし、午後からはカインは他の勉学があり、そのセレナも屋敷の仕事に精いっぱいだったので、これ以上お互いに勉強に取れる時間は取れそうにない。
「なにか・・、何かいい方法はないか?」カインがセレナに聞いてみる。
カインが頼ってきいてくることは今までなかったので、セレナもその期待に答えたかった。
だから一生懸命考えを巡らせると、ある思い出を思い出した。
――セレナも昔、『生きるためなら、もっと英語を勉強したい!』と幼い時に神父様に言ったように。
『そうか、じゃあ、日記を書いてごらん。語学はコツコツ楽しく書くのが一番の近道だよ』
(そうだ・・・。日記・・・!!)
あの時、神父様は自分に日記を勧めてくれた。ずっと続けていたが、見世物小屋で生活するようになってからは紙を買えることは出来ず、ずっと書くことは止めていた。
「ご主人サ、マ。日記書いてみよう!」
セレナは木を背にして日本語の本を読んでいるカインに声をかける。
「え、なに、日記!?」
「うん、日記。私英語を習ってた時、日記書くよう言われました。書いて覚えました!けど、そのあと英語話せる人、死んだ」
セレナは良いアイディアという様に笑顔で言う。
だが、カインの表情はセレナの言葉に曇りがちだ。
「セレナ・・、急に何を言うかと思えば・・・・・」カインは顔をそむけた。
「カイン様、日記!日記が一番!!上達!」
「日記書くっていったら、俺の日常をお前が文章になっているか見るって、ことだろう?」
「はい!」
「却下!絶対しない!」
カインは頑として日記を拒否した。
そのときは凹んだセレナだったが、考えてみるほど日本語の語学習得には日記が一番いいのではないかと思うのだ。
(時間が取れないカイン様にはいいのに・・)
なんとか納得していただくにはどうしたらいいのだろうか。
カインは絶対にいやだと主張して全力で逃げるようになり、日本語の授業を木の上に登ってやり過ごそうとしていた。
セレナはそのあとも屋敷のメイド業でカインの傍を通るたびに日記を進めてくる。
結局、いつものように二人で木陰の中で授業を行うのだが、授業の進歩が若干落ちていた。
セレナは一日の業務が終わってベットで悩んでいた。
(う―――ん。今日もカイン様に逃げられたわ。どうにかしなくては・・・)
すると、ユーナに「セレナ、ここ来てからカイン様を追いかけてるみたいだけど、なにしてるの?」っと、聞かれた。
ハッとして、セレナは思わず日本語の本やノートを隠しながら「秘密」というのだが、
「秘密はダメ―!みんな気になってんのよ!」
「そうよ、すっかりカイン様と仲良しじゃない。一体なんの授業してんのよ?」
気づけば周りは、仕事仲間であるメイドたちに囲まれていた。
この屋敷の仕事にも慣れたセレナは、従順に仕事行う姿勢が評価されて、他の使用人たちの信頼を集めていった。最初は意地悪なことを言う輩、難癖付けていう者がいたが、セレナは乗り切っていた。あることを使って――。
そして周りを仲間へと変えていった。
「だめ、ひみ・・・(まって。もし、みんなが説得してくれたら、ご主人様もきいてくれるかな)」
一か八かだったが、一人でご主人様に行っても進展がないのだ。みんなの協力を得たほうが、よっぽど上手くいくかもしれない。
躊躇してしまうほど、危ない橋だったがセレナは自分の考えに賭けてみることにした。
「?セレナ??どうしたの?」
「お願い、ある、実は・・・・・・」
セレナが話す話に、女性陣は興味深く聞いていた。
ダイニングテーブルで食事を静かにとっているカインだったが、最近周囲の微妙な違和感を感じていた。
例えば叔父のサミュエルと食事をしていたときだ。
たまに急に変なことを言い出す叔父ではあったが、今日は特に変な内容の話だった。
「カイン、月日の残酷さは恐ろしいな。昔は社交界で騒がれた私も、無情にも歳をとってしまった。まあ、中年ぐらいになるといろいろ考えてくることも多い。だから、日記を書こうと思うんだ。どう思う?」
「いいんじゃないですか?中年の愚痴なんて、誰も興味ないでしょうけど」
「おまえなあ、素っ気ないぞ!」
カインは当主の声を無視しながら、さっさと部屋を出ていくのだった。
そして叔父の次に言ってきたのは叔母だった。
「カイン、私、最近流行の日記を書いてみようと思うの。どう?」
後ろにメイドや男性使用人を侍らせながら、廊下でバッタリとセスティーナに会ったときだ。
「いいんじゃないですか?」
「タイトルも既に決めてあるのよ!その名も”社交界における淑女の麗しき日々”よ!!」
「おお、セスティーナ様さすがです!」
「素晴らしいタイトルですわ」
周囲にいるメイドたちは拍手して褒め称える。
(・・・・最強にわがままな伯母が淑女だなんて。・・・世も末だな)
カインの冷え切った視線が気に食わないのかセスティーナは言う。
「なによ、カイン。これで、出版されたら、我が伯爵家の財政が少しはマシになるのよ?まだまだ、疲労困憊の我が家は大変だっていうのに、浮かない顔ね」
「日記なんて興味ないんですよ」
「ほんと、あんたって可愛くないガキね」
「誰がガキ・・・!」
セスティーナは開いていた扇をパチンと閉じる。
「貴方が考えていることをこの叔母が当ててあげましょうか?」
セスティーナは深紅の唇で語る。
「日記なんて、女が書くものだ、日々の自分を知られるのがイヤ。なんでしょう?」
ニッコリ笑うセスティーナ。
「そんなお金にもならないようなプライドは捨てなさい。負け犬が言うことだから。そもそも、お金になりそうだからやるだけよ、私は。それに比べてアンタは邪魔なプライドがあったんじゃ、カイン、あなた生き残れないわね」
そう言ってセスティーナは食事を終えると部屋から出て行った。
カインにとっては非常に認めたくはないことだったが、確かに手段はかまってやれない。
日本語を母国語として扱うセレナが薦めてくるのだから、やはり外国語を学ぶ上で大切なのだろうと思うのだった。
例え、セレナが何かもくろんで、叔父、叔母に協力を要請したとしてることに気づいても。
カインは一晩考えて、セレナへある種の行動に出ることにした。
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