第18話 じゃれる猫

「は・・・は・・・ふぇっくしっ!」


「あれ、さち子さん風邪ですか?」


「うーん、そうなのかなぁ」


くしゃみをした途端、鼻まで詰まった気がする。


この数日でグッと朝晩が冷え込むようになり、縁側で趣味に没頭するにも、午前中は厳しいのかもしれない。


「あら、大丈夫?何か温かいものでも淹れましょうか」


「ありがとうございます。うつしちゃいけないので部屋にいますね」


「じゃあ、後でお部屋にお持ちするわね」


せっかく庭にやってきた雀の観察を楽しんでいたので勿体ないのだが、こればかりは仕方ない。


詰まった鼻をグズグズ言わせながら針の本数を数え、裁縫道具を片付けた。


部屋の窓を閉めようと側へ寄ると、1階の縁側の軒の上を、丸々と太った鳩がこれまた丸い目で首を傾けるようにしてこちらを見つめていた。


お腹のぼってりとしたその姿に、思わず顔がほころぶ。


「おーい。ポッポッ」


我ながら無駄に上手い声真似を鳩に披露してみるも、鳩はただ驚いただけのようで地面に降り立ってどこかに掛けて行ってしまった。



二度寝というのは何故こんなにも幸せなのだろう。


特に労働をしている訳でもないのに、再び布団に潜ったときの幸福感は相変わらずだ。


窓から見える薄水色の空が眩しく、さち子の布団の足元は、差し込んでいる陽射しでほんのり暖かい。


チュンチュンとどこからか聞こえてくる雀の可愛らしい声と、飛び立つ羽音を聞いて目をつむっていると、部屋のドアがノックされた。


「さち子さん、生姜湯作ったんだけど」


雅美が湯気の立つ湯飲みを乗せたお盆を、部屋の真ん中のテーブルに置いた。


「ありがとうございます。あぁ・・・美味しい。これ飲みやすいですね」


「そう?良かった。はちみつとレモン入り。私、普通の生姜湯って苦手でね。これなら美味しく飲めたし、栄養もあるから良いかと思ったの」


からだの芯から温まるとはこういうことかと言うほど、奥深いところからじんわり温まるのを感じる。


雅美は「また何かあったら呼んでくださいね」と言い残して部屋を出ていった。



部屋の外からカサカサと襖を触るにゃんたの音に目が覚めた。


ぴったりと閉めてしまったせいで部屋に入れなかったらしい。


さち子が起き上がるとピタリと音が止み、ドアを開けるとお座りをしたにゃんたと目が合った。


「にゃんたもここで昼寝するの?」


さっさと部屋へ入り込んだにゃんたは、窓の縁に前足を掛けて外を眺めている。


「何してるの?」


すると白猫のユキがやって来て、ぴょんと軽やかに窓から畳へと着地したのだ。


「えぇっ。ちょっと、こんな所からっ」


2匹はそんな声を聞いている素振りも無く、挨拶するかのようにクンクンと顔を近づけ合うと、にゃんたが布団に寝転び「おいでよ、こっちで遊ぼう」とでもいうように手招いている。


そうして勝手に2匹は布団の上でじゃれ合うように遊び始めてしまった。


「嘘でしょ、もう。寝れないじゃない」


何とか端に寝るスペースを確保して布団に潜るも、背中に暴れる猫の振動を感じて寝られそうもない。


「・・・まぁ、横になってるだけでも良いか。イテッ」


何故か背中に猫パンチをくらった。


その時、玄関がガタガタと開く音が聞こえてきた。



古い木造の家は、静かにさえしていれば1階の話し声がよく聞こえる。


誰かが遊びに来たのかもしれないが、風邪気味のさち子が出ていくわけにもいかない。


「あらぁ、そう。でもせっかくだからお邪魔していいかしら」


声の主は手芸屋の小太りの店主、三隅だ。


「あー、風邪の自分が憎い」


三隅に貰った手芸糸で作った作品の数々や、今朝も制作中だったカーディガンに刺繍をした作品も見せたい。


「って、こら!それは駄目よっ」


机に置いてあった紺色のカーディガンを、2匹が興味津々の様子で突っついたり匂いを嗅いだりと狙っている。


まだ未完成のマーガレットの刺繍部分は何とか無事のようだ。


「油断も隙も無いんだから・・・」


さち子はそれ以上いたずらされないよう、服についた毛を払ってから、とうのチェストに仕舞い、布団に戻った。



掛け布団の上にどっかりと2匹の猫が乗っかり、足元に猫のぬくもりと息遣いを感じながら暫く眠っていた。


目が覚めた頃には、1階は更に賑やかになっていた。


「さち子さん、入りますよ」


ノックのあと、お盆を持った雅美がそっと襖を開けて入ってきた。


匂いを察知していたのか、にゃんたとユキが雅美の足元にお出迎えしている。


「あら、ごめんね。君たちのじゃないのよ。これ、卵雑炊。食べられそう?」


1人用の土鍋にはふわふわの卵の上に刻んだネギと海苔が乗っている。


ただ鼻が詰まって風邪気味というくらいのものだったので、美味しさのあまりあっという間にたいらげた。


鰹の出汁が効いていて、小さく切った鶏肉に雅美の心遣いを感じた。


風邪を引いて、この歳になっても誰かが優しくしてくれるなんて贅沢な事だ。


「あぁ、何か幸せです。いい人に出会えて良かった」


ぽかぽかに温もった手で、茶碗とスプーンをお盆に戻した。


「私もよ。まりさんも、この夕凪町の皆さんも良い方ばかり。海も綺麗だし幸せだわ」


雅美は「何かあったら呼んでね」と言い、お盆を抱えて部屋を出ていった。



人は1人でも生きていける


縛られず、気楽な独身者。


だけど、1人で生きているつもりになっていただけで、本当は沢山の人に見守って貰って、知らないところで気に掛けて貰ってきたのだろう。


私が気付かないでいた優しさもあったのだと思う。


つばめ荘に越してきた時から、安心して伸び伸びと生活出来ているのは、初めて出会った滝じぃがとても親切で、百合ちゃんが明るくて。


そんな恵まれた環境だったから、今もこんなお気楽な生活が続けられているのだろうと、のどかな空に飛行機雲が引かれていくのを眺めて考えていた。


1階からは、百合ちゃんと三隅の笑い声が聞こえてきた。


「早く治さなきゃねぇ」


さち子は、顔の前にあるにゃんたの丸いぽてっとしたお尻を指で撫でた。

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