第46話 梅見会

花見月や、桜月とも呼ばれる3月。 食堂の窓から見える、1本の梅の木。


見事に満開となり、華やかな濃いピンクが食堂に彩りを添えてくれています。


寒い冬を越え、少しずつ植物や虫、生き物たちの命の音が聞こえてくる季節。


梅の木の下でささやかながらお花見をしたいと思っています。



湯気と共に広がる味噌の香りに誘われたのか、ぽんすけが遠慮気味に、キッチンから少し離れた所に座り込み、こちらを見つめています。


水筒にお味噌汁を注ぎ、キュッと蓋を閉めました。


ぽんすけは、お料理をしているときや、お客様が食事をしている時は、そばに来ません。


その代わり、こうしてつぶらな瞳で見つめてくるのです。


「ぽんすけも一緒にお外に行きましょうね」


すると、口元を緩めて笑ったような表情をしました。


「あ、葉子さん。おにぎりはどうしましょう?」


「梅です、梅干し!梅を見ながら梅干しおにぎりー」


そう言い残し、葉子さんはパタパタと洗濯を干しに2階へと掛けていきました。


「そろそろ冷めたかしらね」


大きめのお弁当箱を取り出して、おかずを詰めていきましょう。


葉子さんが私のお料理の中でも、気に入ってくださっている筑前煮。


ポリポリとした土の香りの残るゴボウや、蓮根。


ぷにぷにの蒟蒻。


よーく味の染みた、人参や鶏肉。


旬である肉厚の椎茸からは、じゅわっと出汁が口の中に染み渡ります。


じっくりコトコトと煮たので、砂糖と醤油の甘辛さとお出汁が優しく相まって、ほっとする筑前煮になっています。


卵焼きには桜エビを入れました。


ピンクと黄色で見た目も可愛らしく、栄養満点。


そしてお弁当で外せないのは、唐揚げ。


生姜を利かせ、ごま油も感じられる味付けにしてあります。


緑で彩を添えてくれるのは、春菊のごま和え。


独特な香りやほろ苦さで、好き嫌いの別れる食材ではありますが、私にとって冬から春に掛けてはふと食べたくなる野菜の1つです。


「あとは、トマトを・・・」


まんまる赤くて艶のあるミニトマトを入れたら完成。 桜が咲く前。


静かに梅のお花見を楽しむ為の、お弁当が出来ました。


「よしっと。ぽんすけもお花見しましょうね」


首輪にリードを付けてやり、お弁当の入った鞄を持って葉子さんと食堂を出ました。


「んー!良いお天気ですねぇ。お花見日より!あ、ぽんすけこっちだよっ」


散歩だと思ったのか、梅の木とは逆の方向に行こうとするぽんすけを、葉子さんが引き留めました。


梅の木は、食堂の隣に元々あったものです。


うららかな、気持ちの良い梅見会。 こういうのも、素敵ですね。


「いただきます」


「わっ!玉子焼き、綺麗ーっ。可愛いですねぇ。桜エビですねぇ」


葉子さんは玉子焼きを食べると、幸せいっぱいの笑顔をみせてくださいました。


時折吹く風に、そよそよと木の枝が揺れ、見ているだけで心が洗われるかのよう。


木陰でゆったりとするぽんすけも、この風景と相まって、とても絵になります。


「贅沢な時間ですねぇ。遠くまで行かなくても、こんなに素敵なお花見が出来るなんて幸せっ」


「えぇ、本当ですね。ここに梅の木を植えてくださった方に感謝しなくてはいけませんね」


「どなたか存じませんが、ありがとうございますー!」


何故か山の方を向いて大きい声で言う葉子さんを見て、思わず笑ってしまいました。



「おや。花見ですか?」


「あら、日下部さん。白井さんも一緒だなんて珍しいですねぇ。こんにちは」


やって来たのは、日下部 修司さんと白井さんでした。


白井さんも、「こんにちは」と小さく頭を下げました。


「白井さんに、野草の事を教えていただいてたんですよ・・・宜しかったら御一緒させて貰っても良いですか?」


「勿論ですよ。沢山作ったので召し上がってくださいな。足りなかったら、また作ってきますから」


「あ!もうひとつ、大きいレジャーシート持ってきますね!玄関の棚にあったはずはのでっ」


「急がなくて大丈夫ですよ、ご迷惑かけてすみません」 申し訳なさそうな日下部さんに、葉子さんは「大丈夫ですよ!」と笑顔を見せてから、食堂へと駆けて行きました。


「しかし見事ですね。立派な梅の木だ」


日下部さんは、木に手を添えて見上げました。


「これは、昔ここで喫茶店をやっていた店主が植えたんだよ」


白井さんは、懐かしむように仰有いました。


「まぁ、ここに喫茶店が?」


「あぁ。梅の木を植える前は、随分と立派な桜があったんだがね。いつからか元気がなくなって枯れてしまった」


「そうでしたか・・・」


桜の木があったなんて知りませんでした。 ここが喫茶店だったことも。


「お待たせしましたー!」 葉子さんが、レジャーシートを抱えて戻ってきました


「梅を見ながら、梅干しのおにぎりとは」


杖を脇に置いてレジャーシートに腰を下ろした白井さんは、笑いながらおにぎりを1つ手に取りました。


「この筑前煮、美味しいですね。味は染みているのに、食材の風味を損なっていない」


「ありがとうございます。足りますか?もう少し何か作ってきましょうか?」


「大丈夫ですよ。まさか花見をしながら食べられるなんて思っていなかったので、十分です」


日下部さんがそう言う隣で、白井さんも頷いておられました。


「ここで喫茶店をやっておられた方は、どんな方だったのですか?」


私はどうしても気になって白井さんに尋ねると、「そうだなぁ」と思い出すように梅を見上げました。


「この村にも、まだ今よりは人もいた頃だったな。独り身の若い女性だったよ。雅美さん、だったかな。物静かな人でね。珈琲がとても美味しい店だった」


「へぇ!珈琲のんでみたかったですねっ」


「ふふっ。そうですね。私もお会いしてみたかったです」


「玄関のドアにベルが付いていたね。中々綺麗な音だった。確か、彼女は母親の介護や弟の世話の為に里へ帰ったとか聞いたよ。懐かしいね」


白井さんは、味噌汁を注いだカップに口を付けました。


「ベル・・・あ!それ、私キッチンの奥の部屋で見つけましたよ」


「まぁ、本当ですか?」


「古そうだったし、丁寧に包んで箱に入ってたから不思議だったんですよね」


「きっと、大切な物だったんでしょうね」

日下部さんが微笑みながら言いました。



「いやぁ、今日はありがとうございました。とても楽しかったです。 春菊も、鍋以外であんなに美味しく食べられるなんて知りませんでした」


「喜んで頂けて良かったです」


日下部さんの言葉に、とても嬉しくなりました。


「花を見ながら弁当なんて、何年ぶりだっただろうか。良い思い出になったよ」


白井さんは、顔のシワを濃くして笑ってくださいました。


白井さんと日下部さんが村へと帰ったあと、少しぽんすけを遊ばせていました。


「さぁ、そろそろ戻りましょうか」


「はーい」


水色の穏やかな空には、薄雲が広がっています。


「あ、ハルさん見てください!」


葉子さんが指差した先には、何処からともなくやって来た鳥が。


黄緑色のその鳥は、キョロキョロを辺りを見回しています。


「まぁ、メジロですね。可愛らしいですねぇ」


「メジロですか!私、ずっとウグイスだと思ってました」


葉子さんは「そっかぁ、メジロかぁ」と、興味津々で眺めていました。


「最初にあのベルを鳴らすのは誰でしょうねっ」


珈琲を飲みながら、葉子さんがワクワクした口調で言いました。


「まぁ、もうお昼も過ぎましたし、明日になるかもしれませんね」


「確かに・・・」


少し残念そうに葉子さんが言ったときでした。


チリン チリン


軽やかな美しい音色が食堂に響きました。


「こんにちは。ん?これは」


「あらぁ、もしかして・・・」


やって来たのは栗原さんご夫婦。 その後ろには、白井さんや橘さんご夫婦、日下部さんもいらっしゃいました。


「まぁ、皆さんお揃いで。いらっしゃいませ」


「お茶の準備してきますー!」


ぽんすけも驚いたのか、私の足元にぴったりとくっついています。


「おはぎ作ったのよ。もうすぐ彼岸もあるから、その事を考えてたらどうしても食べたくて。沢山作ったから、食堂でみんな揃ってお茶しようかと思ったのよ」


栗原さんの奥様はそう言って、テーブルに風呂敷に包んだ重箱を開けました。


「まぁっ、美味しそうですね。ありがとうございます。皆さんでいただきましょう」


そうして、葉子さんがお茶を淹れるのを手伝いにキッチンに入りました。


「ハルさん、あのベルどうしたんだ?」


栗原さんの旦那様が、玄関に付けたベルを差して言いました。


「ここの食堂にあった物なんですよ。恐らく、白井さんが仰っていた、雅美さんの物だと思います」


「やっぱりそうだったか。残っていたんだなぁ」 白井さんがそう言うと、皆さんも口々に「懐かしいわねぇ」「良い音だ と嬉しそうに仰いました。


午後3時半。


そよかぜが包む食堂には、楽しく、幸せな声が溢れています。


ここで、かつて喫茶店を営んでいた雅美さん。


その方もきっと、こうしてお客様と過ごす時間は、とても幸せなものだったのではないでしょうか。


想像でしかありませんが、 お客様がいらしたことを教えてくれるベルの音を聞くと、そんな気がしてなりません。


優しくて、静かで、幸せな音色。


これから、この食堂にとっても無くてはならない物になるのかもしれませんね。

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