第47話 水仙の咲く頃
お客様が1人、窓の外を眺めながらお料理を待っておられます。
随分と暖かくなった3月の終わり。
そろそろ桜も咲くでしょうか?
時折聞こえてくる鳥の声。
鳥が窓のひさしの上を歩いているのか、トントンと可愛らしい足音が聞こえてきます。
春の訪れを知らせてくれているかのようで、どんな音楽にも負けないくらい楽しい気持ちにさせてくれます。
隣では、葉子さんが網に乗せた肉厚の椎茸を焼いてくださっています。
芳ばしい香りを放ちながら、こんがりと焼けてきました。
焼き椎茸です。
ポン酢やお塩、ワサビを溶かしたお醤油につけて食べても美味しいですよ。
私は、ニンニクをバターで炒め、香りが立ったら酒に漬けておいたイカを。
ブロッコリーを炒めて、仕上げに醤油で味をつけて完成。
あっという間に出来た炒め物ですけれど、食べごたえもあり、とても美味しいですよ。
ご注文は、昆布の佃煮。
亡くなった主人のお母さんのレシピで作った昆布の佃煮は、今も沢山のお客様に愛されています。
「はーい、お待たせしました」
「ありがとうございます。美味しそうですね」
葉子さんはお料理をお持ちし、いそいそとキッチンに戻りました。
「ねぇ、ハルさん。日下部さんって最近よく来ますね」
「あぁ・・・そうですね。ありがたいことです。はい、これ葉子さんのお茶ですよ」
キッチンの丸椅子に座り、お茶を飲んでひと休みしていた私は、葉子さんにももう1つ椅子を出して言いました。
「ありがとうございます。ってそうじゃなくって・・・」
「あら、そういうのはいけませんよ」
何かを耳打ちしようとした彼女を、やんわりと制止します。
「見た人も良い気がしませんよ」
「す、すみません」
申し訳なさそうにお茶に口をつけた葉子さんに気が付いた日下部さんが、不思議そうにこちらを見ました。
「どうかしましたか?」
「いいえ。お料理、お口に合いますか?」
「えぇ、とても。海鮮の何かが食べたいだなんて、僕の大雑把な注文にも対応してくださって。大満足ですよ。ありがとうございます」
「喜んでいただけて良かったです」
それから日下部さんは、再び窓の外を眺めながら、静かにお食事を召し上がっておられました。
日下部さんは焼き椎茸も大変喜んでくださり、また食べたいと仰ってくださいました。
「おにぎりに入ってる佃煮凄く良いです。ご自身で考えたレシピですか?」
「いえ、亡くなった主人の母に教えて貰ったものなんですよ」
「へぇ、そうでしたか・・・あの、無理は承知でのお願いなんですが、レシピをおしえて頂けませんか?」
「あら、構いませんよ。お待ちくださいね」
あっさりと答えた私に少し驚いた様子でしたが、私はメモ用紙に作り方を書き、彼のテーブルへとお持ちしました。
「本当にありがとうございます。嬉しいなぁ。自分でも作ってみます」
「ふふっ。私も、自分にとって大切なレシピで誰かが喜んでくださるなら、とても嬉しいです」
日下部さんは、丁寧にメモ用紙を畳んで、手帳に挟んでおられました。
「ごちそうさまでした」
「珈琲か何かお持ちしましょうか?」
食器を下げながら尋ねると、日下部さんは「いえ。それより・・・」と窓の外を指差しました。
「あそこ。水仙、見えますか?」
「えっと・・・あら、本当ですねぇ」
「良かったら、少しだけ散歩に行きませんか?ここに来る道も色々咲いていたので、他の場所も綺麗だと思いますよ」
時刻は午後1時。
とてもよい天気なので、まだお客様がいらっしゃるかも。
そう思って、お断りしようと思ったときです。
「良いじゃないですか、お店は私が留守番しておきますから!どうぞどうぞ」
「でも・・・」
躊躇う私をよそに、葉子さんは私のカーディガンを奥の部屋に掛けていたハンガーから外して持ってきてしまいました。
「ほらほら。たまにはゆーっくりしないと、ね!」
そうして半ば強引に、食堂を出されてしまいました。
暖かくなったかと思うと、再び寒い日がありましたが、今日はとても穏やかで、過ごしやすい気温。
時折髪をなびかせるように吹く風が心地よく、土手には沢山の黄色い水仙が咲いていました。
「まぁ、こんなに沢山!春ですねぇ」
これらはラッパスイセンと言って、イギリスでは春を象徴する花になるのだそうです。
日本は淡いピンクの桜が満開になるのを心待ちにしますが、イギリスの方々は水仙を待つのだとか。
国によって、季節の風景が違うというのは、とても面白いですよね。
黄色い水仙、お日様に照らされて生き生きと緑を輝かせる草、そして空にゆったりと浮かぶ雲のコントラストを楽しみながら歩きました。
「葉子さんは、お料理を作る方もされているのですか?」
「えぇ。少し説明するだけで、きちんとやってくださいます。私よりずっと器用ですよ。彼女は明るくて元気で。私には無いものを沢山持っているので、とても助かっているんです」
「へぇ・・・お互いが上手く補って、支えてるんですね。素敵です」
暫く土手沿いを歩いた私達は、少し坂道を上り、小さな丘に着きました。
私のお気に入りの場所。
葉子さんとぽんすけとも、ピクニックをしたことのある場所です。
「あら、タンポポ。オオイヌノフグリも。可愛らしい」
風に乗って可憐に揺れる草花を見ていると、子供の頃を思い出してしまいます。
クローバーやタンポポ。
青い小さなオオイヌノフグリや、濃いピンクの花をつけるカラスノエンドウ。
昔は、服が汚れるのも気にせず座り込み、四ツ葉を探し、カラスノエンドウは笛のようにピーピーと鳴らしたものです。
タンポポは綿になったら、ふーっと吹いて空高く飛ばすのがとても楽しかった。
「さっき教えていただいた昆布の佃煮。あれね、僕の妻が生前よく作っていた味に似てるんですよ」
「まぁ、そうでしたか」
「懐かしくて、つい。でも、ハルさんが今も作っているなんて知ったら、旦那様のお母様も喜んでいらっしゃるでしょうね」
「ふふっ。そうだと良いですねぇ」
眼下に広がる田畑は、土作りをしているのでしょうか。
遠くてはっきりとはわかりませんが、橘さんの奥様らしき方が、旦那様が動かしていると思われる機械を見守っていらっしゃいます。
そんな、のどかな景色を眺めながら、遠い記憶に思いを馳せ、鼻の奥にツンとするものを感じておりました。
それから私と日下部さんは、ただ静かに。
空気の匂いや鳥の声に耳を傾けながら、食堂へと戻りました。
「付き合ってくださってありがとうございました。とても楽しかった」
「こちらこそありがとうございました。私も楽しかったです」
互いに頭を下げ、日下部さんは村の方へと帰っていかれました。
その後ろ姿を見送り、私も食堂の扉を開けました。
私が扉を開けると、帰ってきたのがわかっていたのか、ぽんすけが目の前で尻尾をぶんぶんと振りながら見上げていました。
「ぽんすけ。お待たせ」
私はそっと頭を撫でてやると、嬉しそうに跳びはねています。
「あ!お帰りなさいっ」
「ごめんなさいね、お客様はいらっしゃらなかったですか?」
「はい、だーれも。ぽかぽかしてますから、皆さんお昼寝してるのかもしれませんねー。珈琲淹れますねっ」
「ありがとうございます」
手を洗って食堂へ戻ると、葉子さんが珈琲を淹れて、キッチンの丸椅子に座って待っていました。
「ねっ。どうでした?」
「どうっていうのは・・・?」
珈琲を一口飲んでいる間、葉子さんはニヤニヤと笑っていました。
「日下部さんって、おひとりなんですよね?」
「えぇ」
「2・3日に1回くらいの頻度で来てますよ。多いときは連日来るときもありますし!・・・恋ですかね!?」
ずばり!とでも言うように嬉しそうに聞いてくる葉子さんですが、私はそんな彼女を見て笑ってしまいました。
「葉子さんは好きですねぇ。それはありませんよ」
「えー、そうなんですかぁ」
少し残念そうに口を尖らせ、まるで子供のように肩を落としました。
「日下部さんは、今も亡くなった奥様を大切に想っていらっしゃいます。私だって同じですよ。佃煮のレシピだって、奥様の佃煮に似ているからみたいですよ」
「そうでしたか・・・まぁ、奥様を大事にしそうな方ですもんねぇ。そりゃそうか」
納得した葉子さんは、冷蔵庫からトマトが入ったゼリーを出してきました。
先日、葉子さんが街へお出掛けに行ったのですが、その際に西本タツ子さんのカフェで買ってきて下さった物です。
「これ、食べましょ!すみません、変なこと言っちゃって」
「大丈夫ですよ。はい、スプーンどうぞ」
戸棚からスプーンを出して渡し、ふたり並んでゼリーを楽しみました。
「ハルさんが居ない間、お客様が来たらどうしようかと凄くあれこれとシミュレーションしてました」
そう困ったように笑いながら言いました。
「あら、私は安心してお任せしていましたよ。一度に何人もの方がいらっしゃったら大変かもという心配はありましたけどね」
「もっとしっかりしないと・・・!」
そう意気込む葉子さんですが、きっと大丈夫。
もうずっとここで一緒にお料理をしてきてるんですから。
私は、自身に万が一の事があったら店は畳むつもりでいましたが、今なら彼女がやりたいと思ってくださるのならお願いしても良いと思っているくらいです。
家族を亡くしてからずっと、寂しいながらもタツ子さんのように支えてくださる方がいました。
今はこうして、葉子さんとぽんすけがいます。 私にとって、かけがえのない大切な家族。
日下部さんも村の方々も、佐野雅紀さんの様に遠くから来てくださる皆様も大切なお客様です。
「私は本当に幸せ者ですね」
ぽつりと呟いた私の声には、葉子さんは気づいていらっしゃらないようです。
ぽんすけは、耳をピクリと動かしていました。
あとどれだけの間、皆様とこうしていられるかはわかりませんが、一日一日を大切にして過ごしていきたいですね。
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