第40話 白菜と油揚げの煮物

「味見お願いします」


煮汁を小皿に移した美香さんが、少し緊張した表情で私に手渡します。


「うん、うん。とっても美味しいですよ」


「良かったぁ!ハルさんのお陰です、ありがとうございます」


北原 美香さんがお料理を教えて欲しいとのことで、朝から食堂にいらしています。


あ、ご結婚されたので佐野 美香さんですね。


白菜と油揚げの煮物。

お砂糖・醤油・みりん・お出汁とで炊いてあります。

くったりと煮た白菜と油揚げは、ジュワリと口いっぱいにお出汁が染み出します。


あとは、鯖のみりん焼き。


みりんに漬け込んだ鯖をじっくり焼き、仕上げにもう一度みりんを塗って、胡麻をかけてから焼き上げます。


皮はこんがり焼き色がつき、芳ばしい胡麻の風味と、みりんの優しい甘さ。


鯖から出る程よい脂と相まって、とても美味しいですよ。


「ふぅ・・・お味噌汁も出来たわ」


「旦那さんのためにお料理を勉強したいなんて素敵ですよねぇっ」


葉子さんがはしゃぐ姿に、美香さんは少し恥ずかしそうに笑っていました。


「私は病気の事もあって、子供は持てないそうで。仕事もしていないし、時間も沢山あるから・・・少しでも苦手なお料理が上手になれば良いなって」


そう言って、食堂の真ん中のだるまストーブを見つめました。


今朝、佐野さんが出すのを手伝ってくださったものです。


「喜んでくれるといいな」


美香さんが微笑んで言いました。



「戻りましたぁ!お、良い匂いがするっ。うぉ!?ぽんすけ、わかった!わかったからっ」


ぽんすけが佐野さんに飛び付いて出迎えます。


「こらこら、ぽんすけやめなさい。ごめんなさいね」


急いでぽんすけを引き離すと「あはは、大丈夫ですよ。こんなに歓迎されて嬉しいくらいですから」と、興奮して暴れるぽんすけを制止しながら言いました。


「お仕事、お疲れ様。お料理出来てるわよ」


美香さんがお味噌汁をよそう姿を、佐野さんが嬉しそうに見ています。


「お!きたきたっ」


美香さんが運んできたお料理を、わくわくした様子で覗き込みました。


「お米も私が土鍋で炊いたのよ」


お米の一粒一粒がふっくらと輝く、とても美味しそうなご飯は、梅干しを入れたおにぎりに。


綺麗に焼き色の付いた鯖は、見ているだけでもお腹が空いてきます。


くたくたに煮た白菜と油揚げの煮物は、どこか懐かしい味。

お出汁のたっぷり染みた煮物は、心もほっと落ち着きますね。


麦のほのかな甘味が広がるお味噌汁は、身体も心もぽかぽかになります。

具はおネギと豆腐のお味噌汁。

美香さんが一からお出汁を取って丁寧に作りました。


「凄いね!いただきまーす」


佐野さんは、きちんと両手を揃えて言いました。


「鯖って、普通に焼くか味噌煮しか知らなかったけど、これも良いね!煮物も、凄く美味しいよ。家でも作って欲しいな」


「もちろん!喜んでもらえて良かったぁ」


美香さんは嬉しそうにそう言って「ハルさん、ありがとうございました」と仰いました。


「作ったものを、こうして嬉しそうに食べて貰えるのがこんなに幸せな気持ちになれるって事、結婚してからわかったの。雅紀君は、いつも美味しいって食べてくれるけど、私はお料理が得意じゃ無かったから・・・。こんな風に喜んで貰えて、頑張って良かった」


美香さんは、自分の分のお料理を運んで、佐野さんの隣の席に着きます。


「良いご夫婦ですよねぇ」


美香さんと佐野さんを見ていた葉子さんが、羨ましそうにそう言いました。


「私の元夫なんて、手間かけて作った物ですら、無言でテレビ見ながら食べて終わりでしたよ。それが当たり前みたいになって麻痺してたけど・・・こうやって喜んで食べてくれてたら、私ももう少し余裕持てたのかなぁ。あ、すみません。ありがとうございます」


葉子さんは、私が手渡した珈琲を一口飲み、「良いなぁ」と呟きました。


私と葉子さんは、キッチンの椅子に座ってお二人の昼食風景を眺め、ぽんすけは入り口に置いてある毛布の上で丸まってお昼寝をしています。


窓の外は秋雲が漂い、もうそろそろ散ろうとしている紅葉が、乾いた風にゆられています。


パチパチと暖炉の火が立てる音と、美香さんと佐野さんの楽しそうな声で、静かな食堂に幸せな空気に包まれます。


そんな、ゆったりとした時間が過ぎていきました。



「ハルさん、葉子さん、ありがとうございました」


美香さんが丁寧に頭を下げ、佐野さんも「ぽんすけも、また遊ぼうな」と、寄ってきたぽんすけの頭を撫でて言いました。


「佐野さんもストーブを出してくださって本当にありがとうございました。この歳になったら大変で・・・でもあの温もりが大好きで止められないのよね」


「あんなストーブ、中々御目にかかれないので僕も楽しみにしてるんですよ。毎年手伝いに来ますから、遠慮せず言ってくださね!」


佐野さんの隣で、美香さんも笑顔で頷いてくださいました。



美香さんたちが帰った後、少し雨が降りました。


雨上がりの外を眺めていると、ぽんすけがお散歩に行きたいのかソワソワしだしたので、葉子さんにお店をお願いして散歩に出かけることにしました。


午後4時。


ぽんすけのリードを持って、のんびりと刈り取りの終わった田んぼを見ながらお散歩です。


ぽんすけは、あちこちの草を匂ったり、葉についた雨粒に鼻を付けてみたりと楽しそう。


そんな小さなぽんすけの姿を見ていると、こちらまで楽しい気持ちになります。


「ハルさーん」


私を呼ぶ声がして振り返ると、こちらに手を振りながら足早にやって来たのは、日下部 修司さんです。


「お散歩ですか。ご一緒して良いですか?」


「えぇ、ただ歩いてるだけですけれど」


思わず私が笑ってそう言うと、日下部さんは「僕も散歩しようとしてたので」と仰いました。



「ハルさん、何してるんですか?」


土手を歩いている最中、私が立ち止まって深呼吸したのを見て、日下部さんが不思議そうに尋ねました。


「雨上がりの土や草木の匂いが大好きなんですよ。ふふっ、変ですか?」


「いえ、確かに・・・晴れてる時とは違う匂いがしますね」


日下部さんもゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐いてそう言いました。


「ほら、どこかで鈴虫も鳴いているでしょう?鈴虫は曇りの時は昼間でも鳴くそうですよ」


草むらの何処かから、リーン・・・リーンと鳴く鈴虫の声が聞こえています。


「本当だ。夜に鳴くものだと思ってましたよ。へぇ・・・」


日下部さんは目を閉じて、鈴虫の鳴き声に耳を傾けます。


私と日下部さんは、少しの間そうして静かに過ごしました。



「ハルさんは、お散歩をしてるだけでも色んな事に気付かせてくれますね」


帰り道、日下部さんは嬉しそうに言いました。


「まぁ、そんな。私との散歩なんて退屈なだけだと思っていましたよ」


ふふっ。喜んでくれるのは、ぽんすけだけだと思っていましたからね。


食堂の前で日下部さんと別れ、ぽんすけとお店に戻りました。



季節には、それぞれの匂いがある気がします。


風の匂いや草木、土の匂いも春夏秋冬で違うように感じます。


食堂に戻ってからそんな話をしたら、葉子さんは「あぁ!秋はお腹が空く匂いがいっぱいですよね!」と言っていました。


ふふっ。葉子さんらしいですね。

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