第26話 年越しそば

皆様、いかがお過ごしでしょうか?


寒い冬の朝。


今日で今年もおしまいです。



そんな年末の朝6時。


私はいつものように部屋の窓を開け、外の空気を取り込みます。


昨夜から大変冷え込んでいたのでもしかしてと思ってはいましたが、窓には霜が降りていました。


まだ薄暗いですが、屋根の上には鳥がいるようで、チチチッと可愛らしく鳴く声がします。


冷たい空気に、思わず震えてしまいそうな朝ですが、今朝もまずは畑の様子を見に行こうと思います。


「あら、これはこれは」


ザクッ


ザクッ


霜柱です。


寒さが厳しい季節でも、霜柱を踏みしめるだけで少し胸が踊りますね。


今、食堂の裏の畑で育てているのは菜の花。


黄色い花が咲き乱れ、風にゆらゆらと揺れる菜の花畑は、とても美しいですよね。


でも、私が育てている菜の花はお料理用。


お花が咲く前の、蕾の時には収穫しなければなりません。


せっかくの風味が落ちてしまうのです。


害虫避けのネットをめくって菜の花畑の前に腰を下ろしました。


土はひんやりと、少し乾いてきています。


今日はお昼に雨が降るとのこと。


空を見上げると、確かに厚い雲があちらこちらに浮かんでいます。


「今日の水やりは、雨に任せた方が良さそうね」


すくすくと育つ菜の花を一つ一つ見ていきます。


蕾が無いかどうかの確認です。


蕾があるとあっという間に数日で花が開いてしまうのです。


「お正月には、お雑煮に菜の花を添えられそうね」


持ってきたハサミで、小さな枝を切っていきます。


チョキン


チョキン


丁寧に手入れした菜の花たちは、葉もとても柔らかく美味しそう。


収穫が楽しみですね。


視線を感じて振り返ると、少し開いた裏口の隙間からぽんすけが覗いていました。


「あら、ふふふっ。お腹が空いたのかしら?」


私は「よいしょ」と立ち上がり、ぽんすけの元へ戻りました。


「ご飯にしましょうね」


ぽんすけは嬉しそうに尻尾をぶんぶんと振っていました。


「おはようございます、仕込みですか?」


午前8時。


キッチンで鰹だしをとっていると、葉子さんが起きてきました。


「おはようございます。えぇ、今日はお昼に栗原さん達がいらっしゃいますから」


「そうなんですか!それはすみません、手伝いますっ」


葉子さんが慌ててエプロンを着けました。


「ではこの鰹だしをお任せして良いですか?灰汁が出てきたら取っておいてください。その後はこの布でろ過をお願いします」


清潔な布を指差して言いました。


「はい、了解です」


手を洗った葉子さんに場所を変わり、私は小さな片手鍋を出しました。


「わぁ、お魚!」


葉子さんが私の手元にあるお魚を覗きこみます。


「にしんですよ。縁起も良いのでにしん蕎麦にしようと思いまして」


「良いですねーっ」


「ふふっ。私たちの分も作っておいて、夜にでもゆっくりいただきましょうね」


私がそう言うと、葉子さんは「やったー!」と大変喜んでおられました。


身欠きにしんという、にしんの干物を使います。


下処理をして、番茶で下茹でしておいたものです。


お鍋ににしんを並べ、黒糖やお醤油、お酒を加え、お水を入れてコトコト煮ていきます。


次第に甘辛い香りがしてきて、食欲をそそります。


しばらく煮ていくと、濃く色づいた艶のある甘露煮の完成。


柔らかく煮たにしんはタレが絡んで、お蕎麦に乗せるのは勿論、そのままで食べてもとても美味しいですよ。


一通り準備を終え、エプロンを外します。


「ぽんすけをお散歩に連れていってきますね」


ぽんすけの首輪にリードを着け、お散歩用具の入った小さな鞄を持って店を出ました。


ぽんすけと土手を歩きながら空を眺めると、朝見たときよりも雲の範囲が広くなってきています。


「今年最後の日は雨みたいね」


ぽんすけは私の声を聞いているのか、歩きながら耳をピクピクっと動かしていました。


葉が落ちた木々は少し寂しげにも見えましたが、蕾をつけた桜の木を見ていると、春が待ち遠しくなります。


満開の桜


元気いっぱいに伸びる鮮やかな草花たち。


楽しそうに舞う蝶々。


きっと昔の人たちも、うつろう日本の四季をこうして楽しんでいたのでしょう。


「ぽんすけ、見てごらん」


その場にしゃがみこみ、土手の上から広がる田園風景を見渡します。


あんなに青々としていた田んぼも、今は薄茶色。


田んぼを焼いていた時期は、独特の匂いが食堂にも届いていました。


すっかり茶色になったオギというススキのそっくりさんが風に吹かれて揺れています。


ぽんすけも時折私を見ながら、その風景を一緒に眺めてくれていました。


「まぁ。ぽんすけ、ちょっと待って」


帰り道、木に白い花が咲いているのを見つけました。


「山茶花かしら。綺麗ねぇ」


こんな所に山茶花があるなんて気が付きませんでした。


可憐で幻想的な美しい花です。


山茶花は最後、その花びらを散らして地面を美しく彩るのです。


「さざんか さざんか 帰り道。たき火だ たき火だ 落ち葉たき あーたろうか あたろうよ。霜焼けお手てがもうかゆい・・・ふふっ。そう言えば今年はまだ霜焼けになっていないわねぇ」


子供のように思わず口ずさみ、手袋を外して手を空にかざしました。


子供の頃は、手袋もせずに平気で遊んでいました。


なったら痒くて辛いですが、霜焼けも冬の風物詩ですね。


楽しい冬のお散歩。


ぽんすけと共に、のんびり楽しむことができました。


「ただいま。ぽんすけ、足を拭きましょうね」


店の外から葉子さんに帰ったことを知らせ、置いておいたタオルでぽんすけの足を綺麗にしてやりました。


パチパチッ


店の真ん中にある、だるまストーブに手をかざします。


柔らかな薪の火で、冷えた手がじんわりと暖まり、とても心地よいのですよ。


「はい、どうぞ」


テーブルに、葉子さんが湯気の立つ湯飲みを置いてくださいました。


席に座ってお茶をいただき、時計を見るともうすぐ10時になろうとしています。


「ハルさん、あとはご飯だけですか?」


「えぇ」


「じゃあ、お米洗っておきますね」


葉子さんはそう言って土鍋と炭をを用意してから、お米を研ぎ始めました。


シャカ シャカ と他人がお米を研ぐ音を聞いていると、何だか懐かしい気持ちになります。


子供の頃に、お世話になった近所のおばあちゃんがお米を研ぐ姿を思い出します。


「葉子さん」


暫く物思いに耽った私は、葉子さんに声を掛けました。


「はい?」


「他人の作るお料理って、何だか特別な感じがしませんか?」


「しますね。同じレシピで作っても、やっぱり違います。心がこもるからですかね?私は、ハルさんのお料理を食べれて毎日幸せですよっ」


「まぁ、それは嬉しいですね。来年も宜しくお願いしますね」


「勿論です!こちらこそ、宜しくお願いしますっ」


食べてくれる人のことを想って、心を込めて作ったお料理は、どんなに簡単なものでも特別なのかもしれません。


『食べてくれる人が笑顔になりますようにって願いながら作ると美味しくなるんだよ』


おばあちゃんの言葉を思い出しました。


「ハルさん、こんにちは」


12時ちょうど。


栗原さんご夫婦に連れられて、白井さんや橘さんご夫婦が食堂にいらっしゃいました。


「お席にどうぞ。お茶をお出ししますね」


皆さんを中へ招き入れ、葉子さんにお茶の準備をお願いしました。


私はその間に、お蕎麦を用意しました。


1週間前から仕込んで寝かせておいた『かえし』を、お出汁と共にお蕎麦を盛った器に入れます。


お醤油やお砂糖、みりんを加熱して作った本かえしは、寝かせることで角も取れ、とてもまろやか。


にしんの甘露煮と、小口切りにしておいたお葱を乗せます。


今年一年の厄を切ると言われるお蕎麦。


子孫繁栄の縁起物であるにしん。


1年を労うという意味を持つ葱。


炊きたてご飯に、梅干しや鮭、おかか、昆布と、皆様の好きな具を詰めたおにぎりと、大根のお漬け物を添えて。


年越しそば定食の完成です。


楽しく談笑して待ってくださる皆様のテーブルにお料理をお運びしようとしたその時でした。


「こんにちはー!」


大きな声を食堂に響かせて入ってきてのは、写真家のゲンさんです。


「まぁ!いらっしゃいませ。お久しぶりです・・・ってあら?」


ゲンさんの大きな体で気が付きませんでした。


その後ろには、栗原さんのお孫さんであるまどかさんがいらっしゃいました。


「そこで会ったんですよ」


「どうもどうも!えへへ、来ちゃいました」


「まどか!こっちへおいで、一緒に座ろう」


栗原さんの旦那様が、まどかさんに手招きしました。


「私がこの前、電話でここに来ることを話したからかしら?元気そうで良かったわ」


栗原さんの奥様もとても嬉しそうです。


私は、追加でお二人のお蕎麦も用意し始めました。


「沢山用意しておいて良かったですねっ」


葉子さんがお蕎麦を器に盛りながら言いました。


「あ、ハルさん!」


「はい?」


ぽんすけを突っついて遊んでいたゲンさんが、大きな声で私を呼びました。


ゲンさんが「ほれほれ」と指差す玄関には、北原さんと佐野さんがいらっしゃいました。


パタパタと急いでお料理をしていたので、気が付かなかった様です。


「今日は凄く賑やかですね」


北原さんは食堂を見渡して笑っています。


「僕たちも大丈夫ですか?」


佐野さんは苦笑いして尋ねました。


「もちろんですよ。来てくださってありがとうございます。空いてるお席にどうぞ」


お二人はゲンさんと同じテーブルにつきました。


ゲンさんの豪快さに、最初はお二人とも驚いている様子でしたが、あっという間に仲良くお話をされていました。


今年の半ばにオープンしたおにぎり食堂『そよかぜ』。


気が付けば、沢山の人が足を運んでくださるお店になっていました。


「はい、お待たせしました」


「わぁあ!美味しそうっ」


「良いわねぇ。一年の締め括りに文句なしだわ」


温かいお蕎麦をお出しすると、皆様が笑顔になってくださいます。


心を込めて作ったお料理を喜んでくださる。


これ程に幸せなことはあるでしょうか。


いつの間にか、窓には雨粒が。


ようやく雨が降り始めたようです。


笑い声の響く食堂は、幸せに溢れています。


優しい春の風が、店にやって来る日を心待にして。


皆さんの幸せな表情を見て、私も自然に顔がほころびます。


来年の幸せを願いながら


食材を与えてくれる自然や農家の方々、ここを愛してくださる皆様に心から感謝しました。


皆様、良い年の瀬をお過ごし下さいね。


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