第20話 茶碗蒸し

土手沿いに立つ桜の葉も落ち、来年の春に向けて付けた蕾が姿を現しました。


食堂の扉や窓を開けて深呼吸して、ひんやりと澄んだ空気を身体中に取り込むのがとても気持ちいいのです。


今日は雲が厚く、お日様の姿を見ることは出来なさそうです。


さて、本日は銀杏を白井さんに分けて頂いたので、茶碗蒸しを作ろうと思います。


銀杏の殻を割って茹でたら、塩を降ります。


溶いた卵に出汁を入れて、丁寧に裏ごしします。


器に、銀杏、鶏もも肉、椎茸、ワタを取って酒を振ったエビ、三つ葉を入れ、静かに卵液を流し入れます。


時折、火加減を調節しながら蒸し器で蒸していきます。


竹串を刺して、透明な液が引き上げられたら完成。


お好みで柚子の皮を細く切ったものを乗せて、茶碗蒸しの出来上がりです。



銀杏は栄養たっぷりですが、中毒症状を起こす事があるので、幼い子供は食べない方が良いのだそう。


大人は勿論、ある程度大きな子供でも5粒以下にするなど、食べ過ぎに注意して下さいね。


午前10時。


「ハルさん、これヨモギですか?」


「えぇ、今朝摘んできたんですよ」


葉子さんは興味津々で、竹かごのヨモギを見ていました。


さて、今日はどんなお客様がいらっしゃるでしょうか?




「結構、寒くなってきましたねぇ」


「えぇ。もう空気の入れ換え以外は、窓も開けられなくなってきましたね」


開け放っていた窓を閉めながら、そう言いました。


ここは夏場は涼しくて過ごしやすいのですが、この時期はかなり冷え込みます。


「お客さん来ますかねぇ・・・茶碗蒸し、美味しそうなのに」


「どうでしょうね。銀杏余りそうなんですけど塩振って食べます?」


「おお!良いですねぇ!食べましょ食べましょっ」


「ふふっ。用意しますね」


そう言って、私は茶碗蒸し用とは別の、余った銀杏を茶封筒に入れ、レンジにセットしました。


スイッチを入れて暫くすると、パンッ パンッと、殻が弾ける音がします。


ぽんすけは突然の大きな音に驚いて、店の外に避難してしまいました。


「ひゃー!こんなことになるんですねっ。あははっ!ぽんすけ、ドアからちょこっとだけ顔出して覗いてる!可愛いっ」


ぽんすけの様子に、私も葉子さんにつられて笑ってしまいました。


レンジにかけてた銀杏の殻を外して塩を振ります。


シンプルですが、銀杏のぷりぷりとした食感と香りが楽しめて、とても美味しいのです。


「うーん!おいしっ」


葉子さんはパクパクと食べています。


「食べ過ぎないようにしてくださいね。あと2・3粒で終わりにした方がいいですよ」


「はーい!うっかり食べ過ぎちゃいますねぇ。秋、最高!」


そんな事を言っていると、栗原さんのお孫さん、栗原まどかさんがお店にやって来ました。


「こんにちはぁ」


まどかさんの隣には、俯いたままの大人しそうな女の子が一緒に居ました。


中学生。いや、高校生くらいでしょうか?


「あら、いらっしゃい。どうぞ」


私がそう言うと、ふたりは私達が座っていた隣のテーブルに着きました。


「何か食べたいものはあります?」


茶碗蒸しはご用意していますが、基本的にはお客様が食べたいものをお出しするスタイルですので、一応聞いておきます。


「んー。満希ちゃん、何かある?」


そう呼ばれた女の子は下を向いたまま、首だけを横に振りました。


「ハルさんのおすすめで良いです。私のおにぎりは梅干しで!満希ちゃんは・・・」


「・・・」


満希さんは、だんまりです。


「あ、ツナマヨ?好きだったよねあれ。ハルさん、ツナマヨって出来ます?」


「はい、ツナマヨも出来ますよ。ご用意しますね。葉子さん、お皿をお願いします」


「はい!お皿、お皿っ」


そうして私がツナ缶を開ける傍で、葉子さんもお料理の準備を手伝いました。


「妹さんですか?」


茶碗蒸しを蒸し器にセットして落ち着いたところで、葉子さんが尋ねました。


「いえ、従姉妹ですよ。高校に入ってからずっと元気がなくて」


まどかさんは、困ったように笑って言いました。


「へぇ。高校ねぇ・・・もう随分前の話で覚えてないです、あははっ。青春なんて懐かしいなぁ」


「・・・葉子さん。そろそろ茶碗蒸しを取り出して貰えますか?」


「あ、はい!」


私はおにぎりを作っていたので、葉子さんにそう声を掛けると、葉子さんは、慌てて蒸し器の火を止めました。


葉子さんは楽しそうに話していましたが、どう見ても満希さんの雰囲気はそんな感じではありません。


少なくとも、青春を楽しむ女の子には見えなかったのです。


「満希さんはツナマヨが好きなのですね。お客様に注文された事がなかったから。上手に出来ていると良いのですけれど」


お盆にお料理を乗せて、テーブルへと運びました。


ツナマヨのおにぎり


銀杏や、秋の味覚たっぷりの茶碗蒸し


寒空の下を歩いて冷えた身体に染み渡る、田舎味噌のお味噌汁。


シャキシャキの野沢菜をわさび醤油に漬けたものを添えました。


少し甘味のあるお醤油の後に、ピリっとしたわさびの刺激と香りが楽しめる物です。


「いただきます」


満希さんは静かにお味噌汁から口をつけました。


隣でまどかさんは様子を見て、「美味しい?」と尋ねると、満希さんは「すごく」と答えて頷きました。


それを見て、葉子さんは嬉しそうニコニコとしています。


「ごゆっくりどうぞ」


私はそう言って、キッチンに戻りました。


二人が静かに食事をする様子を時々見ながら、葉子さんと一緒に後片付けをしていることにしました。


ぽんすけは、店先の方でお座りしてこちらを見ています。



もうすぐ12時。


外はまだまだ灰色の空でした。


「ハルさん!茶碗蒸し、美味しいですねっ。今年、初ぎんなんですよ」


静かな空気を破ったのは、まどかさんでした。


「あら、そうでしたか。秋ならではですからね。満希さんも、ぎんなん食べられるかしら?満希さんくらいの若い方は苦手でも仕方無いですから」


「・・・食べれます。とても美味しいです」


満希さんは、静かなトーンで答えました。


相変わらず顔を上げる様子はありません。


うつむいたままだと、長い前髪で顔のほとんどか見えず、表情がわかりません。


「す、すみません。何か。あははははっ。満希ちゃんもここに来たら元気になるかなーと思ったんですけど」


「大丈夫ですよ。初めての場所ですから緊張くらいしますよ」


私がそう言ったとき、ぽんすけが突然立ち上がり、満希さんの傍にやって来ました。


「ぽんすけ、お食事中はいけませんよ。ごめんなさいね。ほら、おいで」


いつもは、お客様が食事をする時は入らないように言い聞かせているので、こんなことはありませんでした。


それに、私が離れるように言っても言うことを聞きません。


一向に満希さんの足元で、お尻が床にくっついてるみたいに頑として動こうとしないのです。


「賢いわんちゃんには、隠してもバレるのかな」


満希さんが、ぽんすけを見下ろして言いました。


ぽんすけは満希さんの左腕をじっと見上げていました。


「あー・・・えっと」


まどかさんは完全に困惑しています。


満希さんが、左の袖を少しだけ捲し上げると真新しい白い包帯が巻かれているのが見えました。


「クラスの皆に陰気だって虐められてるんです。高校に入ってから半年ずっと」


満希さんは教えてくれました。


友達だった筈の人も、一緒になって虐めてくる。


本当に辛い毎日で、気付けば自らを傷付けてしまっていたことを。


包帯は、まどかさんが巻いてくれたばかりのものらしいです。


ぽんすけはどうして気づいたのでしょう。


「毎日、苦しさから逃げたくて。そればかり考えてこんな事してたんです。でもこれ以上は怖くて出来なかった」


消えてしまいそうな声でそう言いました。


「満希さん。私は初対面なのに、見せてくれてありがとうございます。と言うより、ぽんすけが見せざるを得ない状況にしてしまったのよね、ごめんなさいね」


私はそう言って、満希さんの隣に近くの椅子を寄せて座りました。


「いえ。母にもバレてるし、まどかお姉ちゃんにも見られたし。今更なので。寧ろこんなの見せちゃってごめんなさい。引きますよね」


そう言うと、満希さんは袖を下ろしました。


「満希って名前、どんな漢字書くの?」


私は彼女に尋ねました。


「満月の満に、希望の希」


「希望に満ちるってとても素敵な名前ね。お母さんがそれを見たとき、どんな風にしてた?」


「驚いて、それから物凄く怒って、顔も見てくれなくなった」


「そう。さっき、悲しくて逃げたくて傷付けてしまったと言ったけど、おばさんはそうは思わないの」


満希さんは、黙ったまま下を向いていました。


「それは、満希さんが苦しみに耐える為に、立ち向かった証に見えるのよ。でもね、人はどれだけ無理をしても、体が疲れたらご飯を食べたり眠ったりするように、心が疲れたら休まなきゃいけないのよ」


「・・・うん」



「立ち向かう勇気も素晴らしいけれど、それで壊れそうになるのなら、その時は逃げる勇気を持たなきゃいけない。ここに来た時どう思った?」


私は満希さんに尋ねると、初めて顔をあげてくれました。


「こんなに静かで、綺麗な場所があるんだって思った」


それを聞いて、私はとても安心しました。


「ふふっ。そうでしょ?学校とお家を行き来するだけじゃわからないけれど、世界は貴方が居る場所だけじゃないの。それにね、学校は必ず卒業する場所でしょ?学校を辞めれば良いなんて無責任な事は言わないけれど、そういう選択肢を持つことも必要な時はあるのよ」


「・・・でもまたお母さんに怒られる」


そう言うと、表情が曇りました。


「おばさんの勝手な想像だけど、お母さんは満希さんが苦しんでいることに気付けなかった、相談して貰えるくらいの存在じゃ無かった自分に対して悔しかったんじゃないかしら。普通の親なら、子供が命を削ってまで学校に行ってるなんて思わないし、そんな事して欲しくないもの」


「そうなのかな」


「満希なんて、素晴らしい名前を付けた親御さんだもの。おばさんはそう思うわ」


「うん・・・」


「それに、お母さんだって完璧じゃないもの。我が子よりも子供みたいな部分もあるし、弱味を見せたくないと虚勢を張ることもあるのよ。例外はあるのかもしれないけれど、人は本当にどうでも良い相手なら、どうなろうと興味を持たないのよ。怒るなんて疲れるだけですからね」


「・・・そっか」


満希さんは、私の目をじっと見つめて、話を聞いてくれていました。


「綺麗事に聞こえちゃったらごめんなさいね。おばさん、独りになってから、人と話していない期間が長くて、言葉選びも下手になっちゃったかもしれなくて。余計なこと言ってなかったかしら」


「そんな事無いです。・・・おばさん、家族いないの?子供は?」


「子供も夫も天国にいるのよ。もう何年も前に」


満希さんは、驚いたような表情でこちらを見ていました。


「おばさんは優しいから子供も幸せだっただろうね」


「ふふっ。そう見える?でもね、すっごく沢山叱ったわよ。つい感情的になって怒っちゃって、泣かせた事もあったわ」


「そうなの?・・・子供さんが居なくなって、悲しかった?」


満希さんは静かに、まっすぐに私を見つめて聞きました。


まどかさんも、葉子さんも、ぽんすけも、黙って私達の様子を見ています。


「凄く凄く、悲しかった。沢山叱ったり怒ったりもしたけれど、それ以上に愛していたんだもの」


「・・・そっか」


「おばさんも、悲しくて悲しくて、後を追いかけようとしたけどね。支えてくれる人が言ってくれたのよ。『悲しさと苦しさに立ち向かい過ぎて壊れるなら、一度逃げなさい。後は、その先で頑張れば意外と何とかなるから』って。それで逃げた結果がこれ。ここで食堂を始めたのよ」


「そうなんだ。でも、おばさんが食堂やってくれてて良かった。お姉ちゃんも連れてきてくれてありがとう」


「へ!?あぁ、うん!」


満希さんに突然そう言われ、明らかにまどかさんは動揺していました。


「帰ったら、お母さんと話してみる」


初めて、ほんの少しですが満希さんの顔に笑顔が見られました。


それからの満希さんとまどかさんは、この辺りの山の色付きがとても綺麗だとか、これからの時期の旬の食べ物の話をしながら、食事をされていました。


「ごちそうさまでした、そろそろ帰ります」


お二人は手を揃えてから、そう言って席を立ちました。


「色々とありがとうございました」


満希さんは、そう言って丁寧に頭を下げられました。


「いえ、寧ろこんなおばさんの説教臭い事を聞いてくれて、ありがとうございました」


私がそう言うと、満希さんは髪を耳に懸けて、まだ少し幼さの残る可愛らしいお顔を見せてくれました。


「学校やめられなかったとしても、明日やめる、明後日やめるって思いながら頑張ります。卒業までのカウントダウンでもしてみようかな」


「ふふっ。それも良いかもしれませんね」


私が笑うと、つられるように満希さんも「あははっ」と笑いました。


お二人は店の外に出てからも、もう一度「ありがとうございました」と私たちに頭を下げました。


「またいつでも来てくださいね。御待ちしていますから」


私がそう言うと、満希さんも「はい。お姉ちゃんと来ます」と仰いました。


「晴れてるときに来たら、この辺りの景色はもっと綺麗ですからねっ」


葉子さんはニコニコとそう言いました。


「そうだよー!晴れてると、もっともーっとのどかで、人生何とかなるさー!って気持ちになるんだよっ」


と、まどかさんも満希さんに仰いました。


そうして、お二人は帰っていかれました。


「満希さん、元気になって良かったですねぇ!本当、私は空気読めてなさすぎて反省します」


葉子さんは落ち込みぎみで、ぽんすけを撫でながら言いました。


「私も、つい感情的に話してしまって。説教臭かったんじゃないかと心配しました。綺麗事に思われて、余計に傷付ける事にもなっていたかもしれません」


私はテーブルを拭きながらため息をつきました。


「確かに何も言わない優しさってのもありますから、難しいですよね」


葉子さんはいつになく真面目な雰囲気で言いました。


「でも、言わなきゃ伝わらない事も沢山ありますから。満希さんはわかってくれたじゃないですか。あれで良かったんだと思いますよ」


葉子さんはそう言うと突然「ヨモギ団子作りましょ!」と、大きな声で言いました。


「今ですか?」


「あははっ、お腹空いちゃいましたっ」


そう言うと、鼻唄混じりで奥の部屋に行ってしまいました。



まだおやつの用意には早すぎる時間のような気がしますが。


葉子さんのご要望にお応えして、もちもちの美味しいヨモギ団子を作りましょう。



先立った我が子を思い出しながら、お若いお客様の、明るい未来を願いました。


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