第19話 古き友。古民家カフェ

灰色の空から落ちる雨粒が、電車の窓を濡らしています。


ガタンゴトンと、誰も乗っていない電車に座っていると、貸しきりのような特別気分でちょっぴり得した気分。


山や田園風景が続く景色から、次第にぽつりぽつりと新しい家や、大型のスーパーなどに変わっていきます。


向かっているのは、山を越えた先にある観光地にもなっている街。


山を隔てただけで、こんなにも世界が変わるなんて、街に居る人たちは気付いているでしょうか?


目的の駅が近付く事を知らせる、車掌さんのアナウンスが流れてきました。


今日は、私の古い友人が経営している、古民家カフェに行こうと思います。



ピッピッ ピッピッ


信号が変わったことを知らせる音が鳴り、私は人々が行き交う間を歩いていきます。


観光地のこの街は本当に人が多いのです。


傘を差していると、隣をすれ違う人に当たらないようにするだけで一苦労。


普段生活している場所からは、考えられないほどの人の数です。


楽しげに騒ぐ若い人たち。


キョロキョロと辺りを見ながら歩く外国人。


スマートフォンを見たり、かざして写真を撮っている様な人。


今はやりのSNSとやらに載せるのでしょうか?


・・・私がこんな言葉を知っているのも、葉子さんに教えて頂いたからですけれどね。


誰かと電話しながら、難しい顔をするスーツ姿の男性。


無表情でただただ前を見て歩く女性。


下を向いてばかりの若い男性。


何だか、心に余裕がないのが滲み出ているように感じるのは私の勝手な偏見でしょうか。


雨の匂いが心地良いとか


風が昨日よりも柔らかいとか


聞こえてくる虫の鳴き声が、今までと変わったとか


小さな草花を見て、芽吹いた木々の蕾を見て、命を感じる。


少し立ち止まって感じてみたら、きっと見えてくる世界も変わるように思うのです。



そこの山を越えた世界には、そういったことが溢れています。


慌ただしい日々、毎日頑張っている人達。


ほんの少しでも安らげる場所が見付かると良いのに。


そんな事を考えながら歩いていました。



目的のお店は、2つ先の信号を左に曲がり、住宅街を進んだ場所にあります。



傘を軽く振り、雨粒を払います。


傘立てに入れて、店の扉を開けると、カランカランと優しい鈴の音が店内に響き渡りました。


「いらっしゃい。あらぁ、ハルちゃん!」


【おばぁの野菜カフェ】という店の店主。


谷本 タツ子さん。68歳。


おばぁと呼ぶにはまだまだ若く、元気な方です。


彼女は、私が主人と娘を亡くしたときにずっと傍に居て助けてくれた人でした。


今は息子さんにすすめられて、知り合いの農家さんから送ってもらった新鮮野菜を使った料理を提供するカフェを営んでいます。


「ハルちゃん、寒かったでしょ。ほら入って入って!」


いわゆる古民家カフェです。


観光地のお洒落な住宅街に佇む、日本家屋。


かなり目立ちますし、浮いていますが、そこだけタイムスリップしたかのような、面白いお店です。


そして、玄関で靴を脱いで入る、本当におばあちゃんの家に帰ったかのような感覚になるカフェなのです。


案内されたのは、掘りごたつになっている席。


こたつの中はホカホカに暖められていました。


「はいよ。熱いから気を付けるんだよ。あと、これ食べて」


温かいほうじ茶の入った湯呑みと、野菜チップスが盛られた器が出されました。


オクラやレンコン、じゃがいも、ニンジン、ゴボウが色とりどりのチップスになっています。


レンコンを食べてみると、カリッと音が立ち、素材の優しい味と、ほんのり塩味が効いていてとても美味しいものでした。


この野菜チップスは、お客さんに注文の料理を出すまで食べてもらう、サービスのものなのです。


おばぁの優しさですね。


そんな、おばぁの暖かい心遣いをたっぷり感じながら、香ばしいほうじ茶を飲んでいました。


「はい、遅くなってごめんね。これメニューだよ」


時刻はまだ2時ですが、この時間からカフェは混むらしく、雨の日なのにも関わらずお客さんが5組程入っていました。


この店としては、満席なのです。


「御忙しいときにすみません」


「今日はもう少しでお客さんも減っちゃうと思うよ。今は満席だけど、朝から雨のせいでお客さんは少ない方だからね」


そう言ってタツ子さんは、笑っています。


濃げ茶色の和風なメニューを開くと、ひとつひとつ筆を使って手書きで書かれていました。


カボチャのプリンや、カボチャのケーキ。


栗をたっぷり使ったどらやき。


色鮮やかなトマトを使ったゼリーもあります。


甘味の強いさつま芋を使った水羊羹。


大きな濃い黄色の栗と、あずきが乗った抹茶パフェなんてものもありました。


その時々でメニューは変わるそうです。


「さつま芋の水羊羹とトマトのゼリーにします」


「はいよ。ちょっと待っててね」


タツ子さんは頭を下げると、キッチンの方へと入っていきました。


再びほうじ茶を一口飲みながら、オクラのチップスに手を伸ばします。


あちらこちらから話声や、笑い声なんかも聞こえてきます。


タツ子さんはキッチンで他のスタッフと用意をしながら、そんなお客さんの笑顔を見て嬉しそうにしていました。


お料理は、タツ子さんのレシピで、彼女自身が小まめに味見をしながらスタッフと作っているそうです。


冷えた足が、掘りごたつのお陰ですっかり温もった頃、タツ子さんがお盆にゼリーと羊羮を乗せて運んできました。


「はい。ハルちゃんは変わらずこれが好きなんだねぇ」


そう言って、さつま芋の水羊羹を置きました。


続けて隣に、赤や黄色のまんまるトマトが可愛らしいゼリーが並びます。


「えぇ。さつま芋の水羊羹は、タツ子さんがよく家に持ってきてくれてましたから。私の元気の源ですよ」


「それは嬉しいねぇ。ハルちゃんも大変だったけど、今はお店やってるんだろう?私も今度遊びにいかなきゃいけないね」


目尻にシワを寄せて笑顔でそう言った時、「すみません、お会計お願いします」と、レジの方から声がしました。


「ごめんね、ちょっと行ってくるよ」


「大丈夫ですよ、私は勝手にゆっくり楽しませて貰いますから」


私がそういうと、タツ子さんは頭を下げてからレジの方に向かいました。



懐かしい、さつま芋の水羊羹を最初にいただきました。


丁寧に裏ごしされた舌触りの滑らかな水羊羹は、さつま芋の柔らかな甘さが口いっぱいに広がります。


悲しみに暮れていた日々に、タツ子さんの優しさを感じたあの味です。


時折、温かいほうじ茶を飲みながら、ゆっくりゆっくりと味わいました。



次は、私も初めてのトマトゼリー。


透明でキラキラとしたゼリーに、瑞々しい赤や黄色のトマトが入っている珍しいそのゼリーを、暫く眺めてしまいました。


スプーンでゼリーをすくって一口食べてみます。


ゼリーの甘さの中に、爽やかな酸味のトマトが弾けます。


あっという間に虜になってしまいました。


涼しげなそれらのデザートを、ほっこりと暖かいこたつに入りながら食べるなんて、何だかとても贅沢な時間ですね。


畳や木の匂いが何だかほっとする中、おばあちゃんの美味しいデザートを堪能していました。


次第にお客さんも減っていき、また少しずつ雨足も強くなり始めたからか、新しいお客さんが入ってくる様子はありません。


タツ子さんが「落ち着いたから」と、私の席にやって来てくれたので、昔話や、今の生活の話をしながら楽しいひとときを過ごしました。


時刻は3時。


「タツ子さん、私が食べたものと同じものは持ち帰りできますか?」


「あぁ、出来るよ。ちょっと待っててね」


タツ子さんは席を立ち、ショーケースから持ち帰り用に作られた羊羮とゼリーを出して、可愛らしいフクロウが描かれた紙袋に入れて持ってきてくれました。


「もう帰るのかい?」


「えぇ、お留守番してくれている人がいるので。とても美味しかったです、ありがとうございました」


そうして紙袋を持ってレジの方に移動し、お会計を済ませました。


「また、いつでもおいでね。私もハルちゃんのお店に行かせてもらうよ」


「はい、また来ます。私も楽しみにしていますね」


そうして、自分の青い傘を開き、店の外へ出ました。


タツ子さんは私が住宅街を歩いていく後ろ姿に向かって、見えなくなるまでずっと手を振ってくれました。


そんなタツ子さんに、私も2度、3度と振り返り頭を下げました。


道中、おばぁの野菜カフェで食べた、愛情溢れるお菓子の味を思い出していました。


街の喧騒の中に佇む、おばぁの営む古民家カフェ。


お洒落なカフェも素敵ですが、また違ったぬくもりのあるお店でした。


そうそう。


家に帰ってから、葉子さんはお土産をとても喜んでおられました。


『ハルさん、作り方教わってください!いつでも食べれたら素敵です!』との事です。


全く同じものが出来るなら私も嬉しいですが、そう簡単にはいかないでしょう。


レシピ通りに作っても、おそらく味見をしているタツ子さんの舌の感覚で微妙にお砂糖の差し引き等があるからです。


ですが、いつか近い味を再現できると素敵ですね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る