第14話 秋鮭の幽庵焼
10月は秋鮭が旬。
他の鮭よりも脂身の少ない秋鮭を、幽庵焼に致します。
塩を振って、暫くしてから洗い流して水気を切った鮭に、酒・みりん・醤油、そして柚子を絞ったタレに漬け込んで焼きます。
柚子の香りが口に広がる上品なお料理です。
カチャカチャ
くつくつくつ
調理に使った食器を洗う音や、火にかけた土鍋が沸く音が、朝の静かな食堂に響きます。
ぽんすけは、店の入り口で丸くなって眠っています。
葉子さんは昨日から同窓会に出掛けており、お昼頃には戻ると仰っていました。
鰹と昆布のお出汁を入れたお湯が沸いたようです。
お鍋の火を止めて、お味噌を溶きながら入れます。
ふわぁーっとお湯にお味噌が広がりました。
煮立たせないように気を付けながら、火を点けます。
暫くしたらネギを散らして火をとめて完成です。
午前9時。
お店の前の植木鉢にお水をやっている間、ぽんすけはジョウロからキラキラと弧を描いて出る水を、じっと見つめていました。
ぽんすけと出会ってから、随分と日が経ちました。
気が付けば、村や街の方に貼ったチラシも、色が変わってきています。
「貴方の飼い主さん・・・どうしているのかしらね」
これだけ長い間一緒にいると、私にとってはもう家族です。
見つかってほしいような。ほしくないような。
そんな感情がぐるぐると回っているようです。
「おーい。ハルさん、おはよう」
「今日も良いお天気ね」
村の方から橘さんご夫婦が、ゆっくりと歩いてきました。
もう結構なお歳の筈なのに、栗原さんご夫婦同様、この村の方は本当にお元気で若々しいです。
腰も曲がらず、しゃんしゃんと歩く姿は、「おばあちゃん、おじいちゃん」などと呼ぶのは失礼ではないかと思うほどです。
「今日の仕込みはもう終わったの?」
奥様がお店の中を見ながら言います。
「えぇ、ちょうど一段落ついたところですよ。畑の手入れは朝一にやりましたし」
「ハルさんも毎日大変だねぇ」
旦那様が笑いながら、足元にすり寄るぽんすけの頭を、ちょんちょんと触っています。
「これから稲刈りに行くのよ。最近は機械があるから便利でね。暇な時間にちょこちょこやっておくの」
「まぁ、わしらみたいな年寄りは1日中暇だがなぁ」
ハッハッハと旦那様が笑い、奥さまもつられて「本当ねぇ」と、笑っていました。
「良かったら、私も手伝わせてくださいませんか?橘さんの田んぼってそこですよね?あそこならお店が見えるから、誰か来てもわかりますし」
私は橘さんご夫婦の水田の方を指差しました。
「ありがたいが、機械があるから、私らで交代でやるだけでも済んでしまうんだよ」
旦那様も流石に苦笑いです。
「実は手で刈ってみたいんですよ。邪魔にならないよう隅でやりますし。お願いします。お昼御飯はうちでご馳走しますよ」
奥様は「まぁ、それは嬉しいけれど・・」と、旦那様を横目でちらりと見ています。
「うーん。手作業はきついから、途中で適当に止めてくれて構わんからね」
「はい!ありがとうございます」
私は頭を下げて、1度着替えるためにご夫婦と別れて店に戻りました。
支度をした私は、店先の葉子さんお手製スタンド看板に貼り紙をしました。
【お隣の田んぼで稲刈りをしています。御用の方は呼んでください。 店主・桜井 ハル】
「よし、じゃあ行ってくるわね」
ぽんすけにそう言って、橘さんご夫婦の元へ急ぎました。
「お待たせしました」
水を抜いたカラカラの田んぼに入っていきます。
「殆どの稲はもう刈ってあるんだがね。ああして干しておくんだよ。コンバインで刈って乾燥機に放り込むから他所はもうやらないらしいが、うちはまだああして掛け干ししてるんだ」
旦那様が指差す先には、刈り取った稲が竿に掛けられていました。
「お二人でもうあれだけの量をやったのですか。凄いですね。お日様のぽかぽかを沢山吸って、とても美味しいお米になりそうですね」
「まぁ、ふふふ。確かにそうね。とても美味しいのよ。新米が出来たら分けてあげるわよ」
「じゃあ始めるか。はいよ。本当に鎌で良いのか?」
旦那様が使い古した鎌を渡してくださいました。
「えぇ。お米を作る苦労も、ほんの少しでもわかっていたいんです。私はあちらでやりますね。頑張ってきます」
ご夫婦から離れ、私はまだ手の付けられていない端の方から地道に刈っていくことにしました。
遠くの方では、旦那様がバインダーという稲刈り機で狩り始めていました。
ザクッ
ザクッ
ザクッ
地道に刈り始めて、まだ大して時間は経っていませんが、かなりの重労働。
季節は随分と涼しくなっている筈なのに、額から滲む汗が止まりません。
首から掛けたタオルで拭いては、稲を狩り、いくつか刈っては腰を伸ばしてストレッチしていました。
「ハルさん、大丈夫?主人はバインダーがあるから、私はハルさんを手伝うわ」
奥様が鎌を手にして、やって来ました。
「あ、大丈夫ですよ。大変ですけど、初めての経験でとても楽しいです」
そう言って、タオルで首もとの汗を拭きます。
「良いのよ、バインダーは1つしか無くて暇だから。あら。もうそんなに刈ってくれたのね。1度束にしましょうか」
奥さまは私の側にまとめて置いてあった刈ったばかりの稲を抱えあげます。
「ほら、ここをね。こうして・・・よいしょっと。バインダーだとこの作業もやってくれるのよ。便利よね」
そう言いながら、馴れた手つきで稲を纏めて紐で縛りました。
「これをあそこの竿に掛けてきてもらえる?」
「はい!」
受け取った束を抱えて、既に沢山の稲が干されている場所へ向かいました。
「よいっしょ・・・っと。よし」
竿に掛けた私の稲の束は、他の物より小さく見えます。
量が少ないのでしょう。
「昔の人はこれを手作業でやったのよね。凄いわ」
ふぅ・・・と掛け干しされた稲を眺め、それから再び稲刈りへと戻ります。
奥様が既に鎌でザクザクと狩り始めていました。
「いっぱい頑張ってお腹を空かせたら、お昼御飯も美味しく頂けるわね」
よしっと気合いを入れ直し、鎌を握って狩り始めました。
時刻は12時になろうとしていました。
「よーし。これくらいにして休憩するか」
旦那様がバインダーを倉庫に戻します。
「久し振りに鎌で刈ったら、お腹ぺこぺこだわ」
「では、お店に戻りましょうか。お昼にしましょう」
3時間程で4束が限界でした。
午後の稲刈りで全て終わるらしく、そちらも良かったら是非と誘われ、喜んで引き受けました。
「今日は、鮭の幽庵焼をご用意しているんですよ」
「まぁ、柚子で?」
奥様がワクワクしたような表情で尋ねます。
「はい。柚子を絞って漬け込んであります。もう焼けますので、お待ちくださいね」
そう言って、旦那様のご注文のおかかをおにぎりに包みます。
あとは、奥様の分で梅干しのおにぎりを作れば完成です。
お漬け物は、旬のかぶで甘酢漬けを作りました。
赤唐辛子を散らしてあるので、少しピリッとした甘酢漬けです。
「はい、お待たせしました」
「ほぅー。旨そうだなぁ。いただきます」
旦那様と一緒に、奥様も手を揃えてからお味噌汁をひとくち。
「相変わらず、すごく美味しい」と仰り、鮭もひとくち召し上がりました。
旦那様も丁度鮭を食べておりました。
「これは旨い。稲刈りの後に贅沢できたなぁ」
もうひとくち食べて「旨い旨い」とどんどん食べ進めておられました。
「柚子もとても良いわね。幽庵焼なんて中々作らないから新鮮ねぇ」
お二人はあっという間に全てを召し上がってくださいました。
「いやぁ、腹一杯!ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
奥様と旦那様がそう言って、「ふぅ」とお茶を飲んで一息ついたときでした。
「ハルさん!ただいま戻りました!」
元気の良い声の主は、店の入り口に立つ葉子さんでした。
「あら、おかえりなさい」
橘さんご夫婦も「おかえり」と笑顔で迎えてくださいました。
「丁度お昼御飯の時に帰ってこれたんですね。ご用意しますね」
「わぁ!ありがとうございます!何も食べてなくて良かったですー」
葉子さんは私が食事の用意をしている間に、部屋に荷物を置きに戻りました。
「はい、どうぞ」
席についた葉子さんの分と、私の分とをテーブルに並べます。
「鮭!良いですねぇ、秋ですねぇ。もうハルさんの料理が恋しくて飛んで帰ってきましたよーっ」
「いただきます!」と元気よく食べ始めました。
「葉子さん、私この後、橘さん達と稲刈りに行ってくるのでお店お願いしても良いですか?」
私も食事の席について言いました。
「え!稲刈りですか!私も行きたいです」
「でも流石にお疲れではないですか?ここでゆっくりしてくださって良いんですよ」
橘さんご夫婦も「その方が良いよ」と言いましたが、葉子さんはもう行く気満々の様です。
「はははっ。じゃあ皆で稲刈り頑張ろうか」
旦那様がそう言い、奥様も隣でニコニコと頷かれました。
こうして、午後も橘さんご夫婦にお世話になって稲刈りをさせて頂きました。
そうそう。
葉子さんは、あんなに張り切っていたのに、あっという間に「もうダメ!」とへたり込んでしまいました。
それでも、私たちにとっては、とても楽しい日となりました。
お店の前の土手には、鮮やかなピンクや白のコスモスが咲いています。
私たちが稲刈りに励んでいる間、ゆらゆらと風に揺れるコスモスを、ぽんすけはくんくんと匂ってみたり、草むらで寝てみたりしていました。
遠くから時々こちらを見つめるぽんすけが、可愛くてたまりません。
こうして今日もまた、私たちもぽんすけも、季節をからだ一杯に感じていました。
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