第9話 松茸のホイル焼き
8月の終わり頃から暫く悪天候が続いており、漸く太陽が顔を見せてくれたかと思うと、アブラゼミの大合唱は終わり、ツクツクボウシが鳴くようになっています。
日中はまだまだ暑いですが、朝晩はすっかり気温が下がり、少しずつ秋の訪れを感じております。
白井さんに松茸を頂きました。
我がおにぎり食堂にも秋の味覚が仲間入りです。
今日は贅沢にホイル焼きにしようと思っています。
心を込めて握ったおにぎりと、ほっと心が安らぐお味噌汁。
とても美味しい里芋もあるので煮物を作って御待ちしております。
「ハルさぁん!見てください!」
午前8時。
里芋がほっくり煮えた頃、入り口の方から松本葉子さんに呼ばれました。
鍋を火から下ろし、冷ますために窓際の日の当たらない場所に置きます。
エプロンの紐を外しながら、玄関へ向かいました。
「じゃーん!」
木の板を組み合わせて作った、スタンド看板がありました。
手書きで【おにぎり食堂 そよかぜ】と書かれており、お花や小鳥の絵が、とても上手に可愛く描いてあります。
「まぁっ。素敵ですねぇ!葉子さんは絵がとてもお上手なんですね」
お店の雰囲気にもピッタリのその看板をとても嬉しく思い、葉子さんの意外な才能にもとても驚きました。
「趣味ですけどね。絵画教室に通っていたこともあったので」
葉子さんは少し誇らしげに言います。
「あ。お店に何か音楽かけません?カフェだとクラシックとかかかってるじゃないですか。ヒーリングミュージックとかも、癒し系で良いかなと思うんですけど」
葉子さんは、この店をより良くしていこうと色々考えてくださっているようでした。
「そうですねぇ。確かに、私もそういうのは好きなんですけど・・・このお店はこのままで良いかなと思うんですよ。季節によって、時間によって鳴く虫が変わる。静かだからこそ、柔らかい風の音や、風鈴の音なんかにも耳を澄ませようって思えるんです」
それだけでなく、私がお料理する時に響く、お鍋がコトコトいう音も、何ならぽんすけの歩く音さえも、ここではどんなBGMよりも、この店にピッタリだと思っています。
「ここはね、独りを満喫する所というよりも、人を感じ、自然を感じ、季節を感じる。常に何かに寄り添って、命を感じられる。ほっと出来る場所でありたいと思っているんですよ」
私の思いを伝えると、葉子さんは納得してくださったようで「そうですね・・・!わかりました!」と、笑顔を見せてくださいました。
「おにぎり食堂・・・」
いつの間にか、私のそばに一人の男性が立っていました。
「いらっしゃいませ」
私が微笑んでそう言うと、彼は頭を下げました。
「あの・・・ごはん、食べさせてください」
彼はまだ20歳くらいでしょうか。
大人しそうで、好青年という言葉が頭に浮かぶような男性でした。
「もちろんですよ、こちらへどうぞ」
葉子さんと一緒に、青年をご案内いたしました。
「今日はとても立派な松茸があるので、オススメは松茸ですけれど、おかずはお客様の好きなものをお作りしますよ」
私がキッチンから青年に話しかけると、彼はちょうどリュックを下ろして足元に置いたところでした。
葉子さんは、お茶を運んでくれています。
「松茸って高いんですよね?僕、あまりお金持ってなくて・・・」
「あら、良いんですよ。金額は変わりませんから。せっかくの秋の味覚ですもの。召し上がってみてください」
そう言うと、青年は驚いた顔をして「ありがとうございます!」と言いました。
おにぎりは梅干しが良いとのことで、自家製の梅を使ったおにぎりを2つ、お皿に乗せました。
今日のお味噌汁も、田舎味噌の甘味と、鰹節と昆布からとったお出汁が効いています。
煮た里芋は、1度強火にかけて味をしっかり含ませてから再び少し冷まして、お皿に盛ります。
そうしているうちに、オーブンでは松茸のホイル焼きが完成したようです。
「はい、どうぞ」
葉子さんがテーブルにお運びすると、彼は身を乗り出して、お皿に乗ったお料理を覗き込みました。
「ハルさんのお料理は絶品ですよ!」
葉子さんは自慢げに言います。
「いただきます!」
彼は早速、松茸を包んでいるホイルを破ります。
途端にふわりと広がる、秋の香りが食堂の中を漂い、ぽんすけも興味津々で彼の足元にやって来ました。
「僕、松茸なんて初めてです!・・・おぉ!美味しいっ」
ここへやって来たときより、明らかに声が元気になったように思いました。
おにぎりにかぶりつくと、思わず笑顔になっています。
「里芋、凄く柔らかくてホクホクしてて美味しいですっ」
里芋もとても気に入ってくださり、あっという間に無くなったので「良かったらおかわりしますか?勿論サービスですよ」と言うと「いいんですか?!」と、とても嬉しそうにしてくださいました。
最後のお味噌汁を飲んでから、彼は「ふぅ。ごちそうさまでした」と、丁寧に両手を合わせます。
「わぁ、偉いわねぇ。最近は、そんなにきちんと『ごちそうさま』する子は少ないと思っていたのに」
葉子さんが、目を丸くして言いました。
「別れた旦那なんて『いただきます』すら言わなかったのに」
と、呆れたように笑っています。
「ご両親の教育もきちんとされていたんでしょうね。貴方を見ていれば、ご両親も素晴らしいって感じますもの。食材を育てて、お料理をする立場として、とても嬉しいものですよ」
私がそう言うと、彼は照れていました。
「僕、佐野 雅紀って言います。高卒で会社員してたんですけど、もう休みも殆ど取れなくて、上司の嫌がらせかと思うほどサービス残業ばかりで。今日はかなり久しぶりの休みで、東京からふらふら出てきたんです。ネットで、この辺は凄く自然が溢れてるって見たから」
佐野さんは、窓から見える秋の青空とゆっくり流れる雲、風に揺れる木々を見て「本当に良いところですね」と仰いました。
耳を澄ませば、そよぐ風で葉が擦れる音と、どこかで鳴く鳥の声が聞こえてきます。
ここでは、時の流れがとてもゆっくりに感じられます。
「僕ね。しんどくて、しんどくて。何のために生きてるのか、仕事のために生きてるのかってくらいで。何度か線路に飛び込もうとしたこともあったんです」
私はキッチンの丸椅子に座って、葉子さんは食器を下げながら静かに彼の話を聞きます。
優しい日の差し込む静かな店内に、佐野さんの声が響きます。
「どこか人の少ない所へ行って、そのまま消えてしまえれば楽なのにって思ってたんです。この店に来るまでは」
彼は窓の前に立ち、外の空気を胸いっぱいに吸い込みます。
「このお店の不思議な雰囲気と、懐かしくて優しい味がするお料理と、あたたかい皆さんの人柄に触れたら、消えちゃうなんて勿体無いなって思いました」
「私は佐野さんにお会いできてとても嬉しいんですよ。私はこのお店に来てくれる人とはご縁があって、意味のある出会いだと思っています。佐野さんがここに来て元気が出たなら、私は心から嬉しく思います」
そう言うと、佐野さんはとても嬉しそうに「本当にありがとうございます!」と仰いました。
「あ、あのっ・・・!」
店の入り口に、若い女性が立っていました。
「あら、いらっしゃいませ」
「わぁ!二人目のお客様!」
葉子さんは喜んで女性の元に駆け寄りました。
佐野さんは席に座って、彼女の方を見ています。
彼女の名前は、藍原 由梨さん。
25歳の女性です。
次は、彼女とのお話です。
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