第8話 花火
皆様、如何お過ごしでしょうか?
私は、少し体調が悪かったのですが、ぽんすけがずっと私のそばにくっついておりました。
言葉は通じない筈なのに、この小さな体で私の表情や雰囲気を感じ取っているのかもしれないと思うと、とても愛しく感じますね。
さて。8月もそろそろ終わりを迎えようとしています。
それでも、まだ日中は暑い日々が続いており、朝と夕は店の前で打ち水をします。
夏らしくて、毎日の日課となっています。
それでは、本日のメニューをご紹介致しましょう。
この時期は、オクラやモロヘイヤといった、トロトロ野菜がとても美味しく感じます。
栗原さんがモロヘイヤをお持ちになり、何かおかずを作って欲しいとご注文を頂きました。
モロヘイヤを茹でて、水を絞ります。
出汁・お醤油・みりんを混ぜた調味料に数十分ほど浸けます。
鰹節をかけていただきます。
トロトロのモロヘイヤが、夏バテ防止にも役立ちます。
今日は、栗原さんと橘さんのご夫婦をお呼びして、ささやかながら花火大会をします。
ほかほか、ふっくらの土鍋ごはんをおにぎりにして。
今日は珍しく海の幸。しじみのお味噌汁を作りました。
ミョウガの甘酢漬けも添えて。
ぽんすけと一緒に、お待ちしております。
「さぁ。準備完了ね」
バケツに水を溜めて、お店の前に置いておきます。
ぽんすけは興味津々で、バケツの中を覗き込んでいます。
今夜は花火大会。
後は、皆が揃うのを待つだけです。
「こんばんは」
18時。栗原さんの旦那様を先頭にして、皆さんが訪ねて来ました。
「まぁ。良い匂いね」
奥様も、橘さんご夫婦も、店の中に漂う出来立ての夕飯の匂いを嗅ぎます。
その後ろに、白井さんが立っていました。
「ハルさん、私も混ぜてもらって良いかね」
少し申し訳なさそうに言います。
「もちろんですよ。夕飯も沢山ありますし、遠慮せずに召し上がってくださいね」
ぽんすけも歓迎するかのように、白井さんの足元で尻尾をふりふりしていました。
皆さんが席に着いたところで、お食事をテーブルに運びます。
涼しい夏の夜風が窓から店内に入ってきて、風鈴をチリンチリンと優しく鳴らしました。
「うーん!やっぱりうちの野菜は美味い!」
栗原さんの旦那様が、モロヘイヤのお浸しを一口食べて言いました。
「上手に調理してくださるから、野菜の味が生きるのよ。本当に美味しいわ。作り甲斐があるわねぇ」
奥様も喜んでくださいました。
「しじみの味噌汁なんて久しぶりで新鮮ですよ。良い出汁が出てるなぁ」
橘さんのご夫婦はお味噌汁を飲んで、幸せそうな顔をされています。
白井さんはパリパリとミョウガを頬張って、小さな声で「うん。香りも良い」と頷いておられました。
「そう言えば、ぽんすけの飼い主は見つかりそうなのか?」
栗原さんの旦那様がおにぎりを頬張りながら言いました。
「いえ、チラシはあちこちに貼りましたが連絡は無しですね 」
「でも、ぽんすけちゃんは貴女と居ると幸せそうよ」
橘さんの奥様がそう言いながら、「ねぇ」とぽんすけに微笑んでいます。
ぽんすけはお座りして、尻尾でパタパタと床を叩いています。
「でも飼い主さんも心配しているんじゃないかと思うと、早く見つかってほしいし。でもぽんすけが居なくなると思うと寂しい気持ちがあって、複雑です」
この店は、ぽんすけと二人三脚でやっていると思っていますから、大切なパートナーが居なくなるかと思うと、寂しい思いも生まれてしまいます。
「そりゃあそうよね。きっと、ぽんすけがここへ来たのも運命なのよ。飼い主さんが見付かるかもわからないけど、ここへ来たのも縁があったからなのよね。それまで、ふたりで沢山想い出を作る事が大切なのだと思うわよ」
栗原さんの奥様が、にっこりと笑ってそう言ってくださいました。
ぽんすけは私の所へやって来て、足に体を擦り付ける仕草をしています。
「ふふっ。そうですね。毎日を大切にして、彼女との想い出を作っていこうと思います」
私は、丸い瞳でこちらを見上げるぽんすけの頭を優しく撫でてやりました。
「はぁ。本当に美味しかった。ごちそうさま」
白井さんがに続いて皆さんも「ごちそうさま」と言いました。
「さて!花火大会といきますかな!」
栗原さんの旦那様が張り切ってそう言い、立ち上がりました。
「大会だなんて。手持ち花火なのにねぇ」
ふふふっと、奥様も笑っています。
この村も、昔は夏祭りがありました。
子供も居なくなり、お年寄りばかりになってからはそれも無くなってしまいました。
せっかくの夏です。
美味しい旬の食材を楽しみ、そして花火をしてこそ、夏を堪能したと胸を張って言えると私は勝手ながら思っております。
「それでは、外に行きましょうか」
辺りはすっかり暗くなり、街頭も無いこの道は、店の明かりだけが頼りです。
リーン リーン リーン
リィリィリィ・・・
静かな田舎町に、虫の声が心地よい音色を響かせています。
シュボッ
シューーー
花火の先から、勢い良く光が飛び出します。
これは植物のすすきの様に花火が出ることから、すすき花火と呼ばれているそうです。
「まぁ!」
橘さんの奥様は一瞬驚いていましたが、コロコロと色が変わる様子を見ると「綺麗ねぇっ」と、喜んでおられました。
ぽんすけは、怖がるどころか大はしゃぎです。
皆さんの顔が、花火の灯りに照らされてキラキラと輝いており、年老いたしわくちゃの顔も、とても生き生きとして見えました。
「何年ぶりだろうなぁ」
白井さんは手に持った線香花火を見つめて言います。
「若い頃に、死んだばあさんともやったもんです。子供も一緒にね」
懐かしむように目を細めて、パチパチと弾ける火花を見ていました。
「白井さん、最近は前よりも顔色が良くなったんじゃないか?」
橘さんの旦那様が、花火に照らされた白井さんの顔を見て言いました。
「はははっ。そうかもしれんね。独りになって、寂しさをまぎらわす為に必死で畑仕事をしていた疲れがドッと出てしまっていたんだと思う」
ジジジッと、花火の先に火の玉が溜まり始めると、白井さんは動かないようにして言いました。
皆さんとバケツを囲むようにして座って花火を楽しみ、ぽんすけはその私たちの周りをくるくると走り回っていたときでした。
「あのっ!」
突然、後ろから女性が声を掛けてきました。
店の明かりで顔がはっきり見えたとき、すぐにわかりました。
「あらっ。松本葉子さん?」
「はい!帰ってきちゃいました!あははっ」
以前より、表情が晴れ晴れしている様に見えました。
旦那さんとの離婚が成立したのでしょう。葉子さんの表情でわかったような気がしました。
「おかえりなさい。良かったら花火、やりませんか?」
そう言って私たちの作る小さな輪に招待すると、葉子さんは嬉しそうに「ありがとうございます!」と、入ってきました。
「ほれ、花火沢山あるよ」
栗原さんの旦那様が、花火の入った袋を差し出します。
「これ、凄く綺麗だったわよ」
橘さんの奥様が、オススメの花火を教えています。
皆さんが、にこやかに葉子さんを迎え入れてくださり、葉子さんも安心したかの様にニコニコとしておりました。
ぽんすけは、葉子さんの頬をペロペロと舐めて歓迎しています。
「葉子さん」
「はい?」
私の呼び掛けに、橘さんの奥様がお勧めした花火を持った葉子さんが振り返ります。
「うちで良ければ、一緒に住みますか?」
「い、良いんですか?」
「えぇ。お店のお手伝いをしてくださると助かります」
「もちろんです!ありがとうございます!」
慌てて葉子さんは立ち上がり、深々と頭を下げました。
「ふふふっ。そんな大層な事じゃないですよ。これから宜しくお願いしますね」
「はいっ!こちらこそ宜しくお願いします!」
「良かったわねぇ」
栗原さんの奥様も、嬉しそうに葉子さんの背中をポンポンと叩きました。
こうして、我がおにぎり食堂「そよかぜ」には、新たな家族が増えたのでした。
もうすぐ夏も終わります。
見上げた空には、キラキラと星が輝いており、フワッと涼しい風が頬を撫でました。
秋になったら、どんなお食事を作りましょうか。
どんな人との出会いがあるでしょうか。
ここでは大きな出来事も、刺激的な事も起こらないかもしれません。
ですが、季節を感じ、出会えた人との時間を大切にして、のんびり過ごす。
ここへ辿り着く方の、美味しそうな顔と、幸せな笑顔を見ることを考えるだけで、私はどんな事よりもワクワクします。
貴方との出会いを、心より御待ちしております。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます