第23話

砂浜では波打ち際で戯れる人もちらほらといたけれど、磯には僕らの他に人影は無かった。

広い岩礁の向こうでは、波が砕けて「ドドーン」とお腹に響く豪快な音を立てている。

規理乃ちゃんはといえば、潮溜まりの縁にしゃがみ込んで、何やら熱心に覗き込んでいる。

泳いでいる小魚、水底のナマコやウニ。

足下には小さなヤドカリが這い、岩にはフジツボが着いている。

規理乃ちゃんが僕の方を振り返るときの勢いが、「なんかいっぱいいる!」と言いたげな子供みたいで微笑ましい。

そして、子供には無い恥じらいを付け足すものだから、僕はまた、胸がいっぱいになってしまう。

「あなたは海の生き物に興味が無いの?」

やや強くて、やや冷たい口調。

どこか詰るように、自分ばかりがはしゃいで僕がそうではないことを責めるみたいに。

でもそれも、きっと照れ隠しなんだろう。

僕も生き物は好きだけど、目下のところ、いちばん惹かれる観察対象が規理乃ちゃんなのだから、なんて言えるはずもなく、曖昧な笑みを返してしまう。

「ウミウシが見たいわ」

その曖昧な笑みが不服だったのか、ちょっと意地悪を含んだような目。

「アメフラシならそこにいるけど……」

アメフラシはウミウシとは近縁だ。

ただ、色鮮やかな個体が多いウミウシに対して、アメフラシは巨大なナメクジみたいではある。

「あの子はあの子で、ちょっとつついてみたくはあるのだけど」

なんか予想外な言葉が返ってきた。

虫にしても、アメフラシのような特殊な生き物にしても、普通の女性は気持ち悪がったり悲鳴を上げたりするものだと思うけど、それを可愛らしいと感じる男性はどれくらいいるのだろう?

規理乃ちゃんは今、手の届く深さにいるヒトデをつんつんしている。

透明な水の中、その白い手が際立つ。

「ねえ」

「ん?」

「この水は、塩辛いのよね?」

至極当然なことを、真面目な顔で訊いてくる。

潮が引いて、岩の窪みに残った海水。

水溜まりじゃなく、潮溜まりというのだから、疑問を挟む余地は無いはずだけど……。

「こんなに澄んだ水は、真水の味しかしないんじゃないかって」

そう言って規理乃ちゃんは可愛らしく舌を出して、白く細い指先を舐めた。

「……しょっぱいわ」

また、僕らにとって当たり前のことが、何故か新鮮なことのように塗り替えられる。

固定観念、既成概念、そういったものを取り払えば、僕らはどれだけの感動が得られるだろうか。

規理乃ちゃんと一緒にいれば、そんな感動が当たり前のことになるような気がして僕は、かつて子供だったときの笑顔を思い出した。

いや、思い出したんじゃなくて、僕は確かに、子供みたいに笑ったんだ。


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