第22話
「砂浜と磯、どっちが好みかな?」
松林の中を歩きながら訊ねる。
林を抜ければすぐに砂浜が広がっているのに、浜に沿って続く公園を歩いているのは、規理乃ちゃんがきっと、「磯」と答えるだろうから。
「磯、かしら」
やっぱり。
規理乃ちゃんは多分、動物だけじゃなく、生き物全般が好きなのだ。
生命だとか、生きる物の造形だとか、その営みに、慈しみと好奇心を持っている人だと思う。
生き物を見るなら、砂浜よりも磯の方がいい。
「虫は平気なの?」
山間部にある根古畑は虫が多いから、そんな疑問も当然ある。
生き物全般の中に昆虫が入らない可能性は、女の子だったら高いのではないだろうか。
「今のところは」
「え?」
「東京にいるときは、虫を見ることが殆ど無かったから、今は物珍しさが勝ってるかなって」
何事にも冷めた反応をするのに、実は好奇心旺盛だったりするところに、僕は惹かれる。
「ファーブル昆虫記を読んだことはある?」
「恥ずかしながら、全然。シートン動物記なら子供の頃に大体は読んだのだけど……」
規理乃ちゃんらしい。
「でも、野山を歩いていて、ハンミョウとかオオセンチコガネを見かけたりすると、ちょっと嬉しくなったりするわ。あ、そういえば先日の夜、寮の窓にオオミズアオがとまっていたの」
虫が平気というより、もはや好きなのでは?
「陳腐な表現かも知れないけれど、月の精って感じがして……もしかして、私って変?」
「学名にアルテミスって付いていたこともあるくらいだから、その感性は陳腐でも変でもないと思うよ」
「そうよね! 私、研究家や学者って、ロマンチストだと思うわ」
何だか満足そうで、ただそれだけのことが、僕にかけがえのない喜びをもたらす。
「その色彩はたしかに日の光によって生まれたものではない。月や星の光、いや、それはやはり幽界の水のいろなのであろうか」
「それって……?」
「作家の北杜夫が、オオミズアオの色彩について表現した言葉」
規理乃ちゃんは、ゆっくりと目を伏せてから、不思議な色彩を湛えた瞳を僕に向けた。
「私、こっちに住むようになってから、何度も感動しているの」
「感動?」
「ええ。あなたは馬鹿みたいって思うかも知れないけれど、毎日が発見の連続。初めて見た木造校舎に、そこに通う自分。次々と現れる見慣れない昆虫達や、聞き慣れない鳥の囀り。唖然とするくらい大きな木と、晴れた日の青空のビックリするくらいに深い色。流れる川の水はあくまでも澄んでいて……そして、ゴロー達」
胸が、いっぱいになる。
僕らにとっては当たり前のことであっても、それらは、一度は僕らの中で、きらきらと輝いたのだ。
規理乃ちゃんの言葉で、胸の奥に眠っていたきらきらが輝きを蘇らせる。
「磯に行けば、そのきらきらは、また増えるのかな?」
「きらきら?」
「うん。きらきら」
「きらきら……そうね、確かにきらきらだわ」
その言葉と同じように輝く規理乃ちゃんの目。
僕にとって規理乃ちゃんが、何より一番の「きらきら」だった。
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