第27話 『人間、鍛えればバネになる。なお反動』

 なぜこんなことになっているんだ。


 郷志は今の自分の状況を鑑みて、心の底からそう思った。


 慣れない学校の先生をして明日明後日は休日という金曜の夕刻、部下から魔法に関して教えを請うために自室でトレーニングを行っていたところであったはずだ。




『自重していたからでは。さっさと押し倒してはっきりさせておけば』


「心の声を読まないでくれます?大和さん」


「何かおっしゃいましたか?鴫野従四位」


「いえなにも」


「それでは続きを、お願いします」


「は、わかりました」




 現在、郷志の憩いの場であるはずのエアランダー小型飛行揚陸艇内の私室兼リビング的な空間では、毛足の長い絨毯が敷かれている床にあぐらを組んで座り込んで魔力の鍛錬を行っている剛志本人と、彼と向かい合って座る二人の女性の姿があった。


 片や郷志の世話係として秘書的な立場にある女性軍人、高倉紀都正六位。


 もう一人は、この世界に来てから一方ならぬ迷惑とかけながらもご厚情を賜っていると郷志も自覚している、命を救った相手でもある、近衛櫻子従三位。


 その二人が、自分の目の前で、見えない角を突き合わせて対峙しているかのような雰囲気に包まれているのである。


 視線を合わせて睨み合っているわけでもなく、見た目の表情はどちらもほほ笑みを浮かべて郷志を見つめているだけだ。


 だがしかし、二人が纏う雰囲気は、戦場で相対した敵を殺さんばかりに鬼気を秘めているとしか彼には思えなかった。


 身の危険など微塵も無いはずの状態であるのに不思議と背中に刃を突きつけられている感覚。


 そんな状況で、郷志は指先に意識を集中して嫌な考えを脳内から追い出そうと努めていた。


 が、その最中。無言を貫いていた櫻子がふと口を開いたのである。




「郷志殿、今何をイメージしておられますか?」


「え、え? ……最初に『太い樹に抱きついている感じで』腕をこうしろ輪っかにって言われたのでその通りに」


 


 郷志が最初に高倉正六位に言われたとおりの事を伝えると、深々とため息を付き、櫻子はこう続けた。




「樹木に抱きついてるつもりですか……。木石には魔力はあっても魔法を使うという概念が発生しません。間違いではありませんが最適でもありませんね」


「なっ! これはきちんとした、初心者からの段階を踏んだ育成方法として確立されている手順です! 」


「ええ、存じております。ですから最適ではないと申し上げました。郷志殿、よろしいですか? これは我が家に伝わる秘伝ですが、特別に教授させていただきます」




 櫻子はそういって立ち上がると、有無を言わせず郷志の後ろに回って背中から彼の腕に沿わせるように自身の腕を伸ばした。


 そうすると当然その胸が、余人に比類ないレベルの胸が郷志の背中に押し付けられる形になったわけである。




「うぇっ!?」




 内心驚愕どころではない押し付けられた側の郷志はと言うと、突然の事にそれに反応できる状況ではなかった。


 それはどう見ても「あててんのよ」としか言いようのない状態であったが、櫻子は一欠片の感情も顔に浮かべず、郷志の肩越しに言葉を紡いだ。


 この場に居ない竹内文子がこの状況を見ていればこう言ったであろう「あ、スイッチ入った」と。




「落ち着いてください、郷志殿。よろしいですか? 私が貴方様の腕を通じて魔力を回します。それを感じてくださいませ」




 言うや、櫻子の身体から目に見えないはずの光の粒が全身からふわりと舞い上がったのだ。




「えぇ……わざわざ魔力を可視化するなんて……」




 その櫻子の行為を見て、高倉正六位は唖然とした。


 自身の魔力を可視化させるのは難しいことではない。


 ただ単に魔力を浪費するだけなので、通常行われないことだからである。


 無論、自身からの魔力放出を可視化させたからと言って、それで郷志が自分の魔力を認識できるようになるわけではない。


  それは魔力が見えているわけではなく、魔力を光らせているだけであり、言ってみれば「見えないけれどそこに透明人間が居る」のがわかるだけで、「透明人間に巻かれた包帯が見えている」だけなのである。




「最初からそこにあるのがわかっていれば、こうして……んっ――」


「っ!?」




 光る粒子を放出していた櫻子が気を込めると、周囲に散っていた魔力――輝いて見える何か――は、ゆるゆると二人の作り出す腕の円環にまとわりつき、流れを生み出し始めた。




「右手から左手に、左手から右手に。どちらからも流れて留まらない魔力の川、感じますか?」


「――あ、ああ。なんだか温かい……」




 輪を作る郷志の手の先、指先にある空間を櫻子が生み出した魔力の光が、橋を作るかのように濃密になってゆく。


 それは漠然とした感覚ではなく、はっきりとした、しかしながらこれまでに感じたことのない――視覚でも触覚でもない――五感以外の別の何かによって感じ取り始めたのである。




「見える……俺にも魔力が見えるぞ……」


「そんな、そんなあっさりと……」




 既に櫻子の手による魔力の視覚化は止められ、郷志が感じているのは自身の魔力感知を司る『魔力受容器官マジス・レセプト・オーガン』の発現によるものであった。







「フゥーハハハハ!すげえ楽しい!」




 次の日、明けて土曜日。


 自主訓練を行う生徒達のために開放されている訓練場の、アスレチック施設が設けられているグラウンドの一角では、一人走り回り跳ね回る元気な郷志の姿が。




「何あの馬鹿。子供? 」


「貴方も初めて魔力で身体強化をした時は似たようなものだったじゃない」


「――っ! そういう昔の話はやめてください、従三位」


「はぁー、なんでこんなに上達が早いんでしょうか……」




 アスレチック設備を子供のように跳ね回りクリアしていくのを、櫻子と文子、それに高倉正六位の三人は生暖かく見守っていた。




「まあ、明日――今日にも来る・・かな?」


「そうね、きちんとケアして差し上げないと」


「そっ、その辺りは私が!」




 自分達にも似たような過去があったからこその、その視線には。おそらくは初の身体強化によって調子に乗った者に訪れる、全身筋肉痛という名の悲哀までが内封されているものであったのだろう。




「今ならS◯S◯K◯も完全制覇できそうだぞ!ヒャッハー!」




 子供の頃厨二病的に夢想した、超人やサイボーグのような高速移動や、身長を遥かに超える壁を助走もなしに飛び越える事ができるようになった自身の肉体に、郷志は止めどない脳内麻薬ランナーズハイによるものか、疲れを自覚するまでその動きを緩めることはなかったのである。


 そして、彼を見守る三名の予想通り、その日の夕刻には全身に激しい痛みを訴え始め、一晩寝込むことに成るのであった。


 合掌。







「あー、酷い目にあった」


『ほぼ自業自得です。何事も腹八分と昔から戒められていますものを』


「先生が良すぎたって事だわ。ありゃ調子に乗っても仕方ない」




 普通ならば、郷志のようにいきなり魔力操作全開で全身を強化できる事など無く、徐々に自身の肉体を強化してゆく事が出来るようになっていき、長い訓練の果てに前述のような超人的な活動ができるようになるはずなのである。


 無論、何事にも例外は存在するわけだが。


 件の竹内文子正四位などは、その名に冠する「格闘妖精(物理)」の名に相応しく、教練開始直後の時点で、身体強化に特化した者達ですら凌駕する魔力操作を発現させていたという。


 こきこきと身体を解しながら自室と成り果てているエアランダーから外に出て、真っ青な空を仰いで伸びをする。




「土曜は調子に乗って1日走り回って、日曜は全部回復に努める羽目に成るとはね」


「おはようございます。まあ1日で回復するのも普通はおかしんですけどね。流石は大魔力保持者と言ったところでしょうか」


「うぉっ!? っと、高倉正六位、おはようございます」




 エアランダーの出入り口のすぐそばに、ちょうど浮揚車から降り立った高倉紀都正六位の姿があったのである。


 先日の魔法訓練以降、世話になりっぱなしの郷志である。


 流石に全身筋肉痛だの魔力疲労などのお世話などは櫻子の手を煩わせる訳にはいかないと高倉がその一切を請け負ったのである。


 まあ櫻子も何も出来はしないながらも側に侍っていたのだが。




「昨日の今日ですから、もしかしたら起きられないかと思いお迎えに上がりました」


「いや、それはどうも。でも大丈夫ですよ」


『はい、私が起こしましたから』




 郷志と高倉の会話に割り込んできたのはエアランダーの出入り口に備え付けられている開閉スイッチ横に設けられているインターホンからの声であった。




「ああ、ありがとよ大和。できればもうちょっと心臓に悪くない曲で起こしてくれ」


「ふふっ、ご苦労様です大和さん」


『リクエストは特にありませんでしたから、一番マスターに理解しやすい曲で起こしたまでです。が、次回からは考慮します』




 なにぶん音響でしか郷志を起こすすべを持たないAIの大和である。


 そのあたりは致し方ないというしか無い。


 なお流された曲は『Arrivano i Marines』と言う、知る人ぞ知る曲であった。




「耳栓して寝る事も考えとくか……」


『ならば私もそれに対応する手段を講じる事とします』


「……お手柔らかにな」




 そんなAI大和との漫才を微笑ましく見守った高倉と共に、教鞭を振るいに校舎へと赴く郷志であった。


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