17/終わりの始まり
普段やらないことしたせいか眠気がひどく、部屋を出て受付まで歩くのにも足元がふらふらしてしまっていた。
「……徹、今日は本当にありがとね」
目を擦り、睡魔に抗う僕を見て、徹は肩を貸してくれた。
「だからホント気にすんなって。……俺の方こそ体調悪いのに連れ回して悪かった」
カラオケを出て、ここまで来た道を戻る。街灯すらないこの道では、誰かとすれ違ったとしても顔の確認までは出来ないだろう。
しばらく道なりに歩けば分かれ道にたどり着く。右に曲がればそれが自宅への帰り道だ。
しかし、徹は右ではなく左に曲がって進んでいった。
──これじゃ、中学校に続く道だ。
眠気で身体がいうことを聞かず、彼に寄り掛かりながら歩いていた僕は成されるがままに中学校へ進んだ。
「それにしても、よく明日って気付いたな?」
意識が遠のく中、耳のすぐ横で徹の声がする。
「明日? ……なんのこと?」
あはは、と彼は笑った。
「……しらばっくれんなよ。手紙のメッセージのことだ」
徹の声が温度を失う。
──そんな……まさか! いや、ありえない!
「──徹が……あの手紙を出したの?」
口角を上げ、彼は視線を僕に向けたまま頷いた。その姿に狂気を感じ、一瞬にして僕の身体は硬直する。
「離し……て」
徹を振り払おうとするが、まるで力が入らない。むしろ彼に身体を支えられているようだった。
「ばーか、無理すんなって。お前が食ったケーキに砕いた睡眠薬が入ってたんだ。苦すぎるチョコケーキなんて店が出すわけねーだろ」
──あのホワイトチョコパウダーか。
抵抗も虚しく、足がもつれて右足の靴が脱げてしまった。
「店員から部屋の外でケーキを受け取って、あらかじめ用意しといた睡眠薬の顆粒をふりかけてカモフラージュしたのさ。あの店のチョコケーキがパウダーでデコレーションされてんのは知ってたからな」
意識が朦朧とする。かろうじて声は聞こえるが、少しでも気を抜けば寝てしまいそうだ。
ザッザッ、と音がする。砂利の道を歩いているのがわかったのは、靴が脱げた右足から伝わる僅かな痛覚からだ。
間違いなく、徹は僕を中学校に連れて行こうとしている。
「なんで……こんなこと……」
理由を聞くと、彼は足を止めた。
「……なんで──だと?」
徹はそれまで支えていた身体を振りほどいて突き飛ばし、顔面から落ちるようにして僕は地面に倒れこんだ。
鈍く頬に痛みが走る。両手に精一杯の力を入れて四つん這いになり、目の前の男を見上げた。
しかし、その男は僕が知る友人の姿ではない。表情は憎悪そのもので、眼球は虫でも見下ろすかのように極端に下を向いていた。
それこそ〝いつでもお前を踏み潰せるぞ〟と嘲笑うかのように──。
「鈍感みたいだから教えてやるよ。伊達をヤったのは──俺だ!」
今の彼の表情なら察しはつく。しかし、認めたくはなかった。
「脳ミソお花畑のお前には理由なんてわかんねぇだろ? あのクソ野郎が今まで何をしてきたか思い出してみろよ!」
声色も僕が知るそれではない。
低く、ひどく攻撃的な口調で、慈悲の欠片もなかった。
「僕を……いじめていた──?」
「あぁ、そうだな! お前の意気地のなさはホントに天性のモンだよ! だが理由はそれじゃねぇ!」
──怖い。
あんなに僕を励ましてくれていた笑顔は〝偽物〟だったのか?
僕が被っていた〝笑顔の仮面〟のように──。
「──ッ」
涙が出た。それは恐怖からではなく、今まで信じていた人間に裏切られたかもしれないという悔しさからだ。
次の瞬間、顔に衝撃が走る。
木製バットでフルスイングされたような衝撃──気が付けば、僕は横向きで倒れていた。
おそらく、殴られたか蹴られたか──そのどちらかだろう。薬のせいで痛覚が麻痺しているのか、痛みはほとんどなかった。
ゴホッと咳き込むと、口にたまった唾液が地面に飛び散る音が聞こえた。
──いや、血か。……鉄の味がする。
腕で唇を拭うと、ひどく濡れている感覚がある。
「泣いてんじゃねぇよ! お前より──お前よりも水見の方がずっとつらかったんだぞ!」
そう──水見さんだ。
伊達が犯した最大の悪事は彼女の手に怪我を負わせたこと。僕へのいじめなんて大したことではないのだ。
徹をこんな風に変えてしまったのは──きっと僕のせいだ。
「……ガキの頃からずっと、水見がどんだけ必死こいて練習してきたか見てきたんだ。ピアノの発表会だって──何度も応援に行った」
僕はこの時初めて、水見さんがピアニストを目指していたことを知る。
そして──徹が彼女に好意を抱いていたことも。
──なるほど。たしかに大切な人があんな目に遭わされたら、犯行に及ぶのも無理ないかもしれない。
「でも! だからといって暴力は許されることじゃ──」
その言葉を聞くと、徹は僕の胸倉を掴んだ。
「黙れ!」
左下──徹の右手の辺りに閃光が走る。それと同時にどこかで聞いたような音が聞こえた。
それはまるで、ガスコンロ点火時の火花が散る音に似ていた。
──放……電──?
「──ッ!」
立ちすくむ身体を閃光が貫いた瞬間、心臓を引き裂かれるような痛みが走る。
全身の筋肉が痙攣し、僕はその場に倒れこんだ。
徹の右手で光を放つそれは──スタンガンだ。
「……許されないことなんてわかってんだ。水見の代わりに、俺が罰を与えてやったんだよ」
笑いながら徹は言う。どう見ても、今の彼は正気じゃない。
身体がいうことを聞かない。脳が筋肉に電気信号を送っても、それを何かが遮断してしまっている。
「……じゃあ……なんで僕を──?」
首だけを動かし、徹に問う。
「気に食わねぇんだよ! 水見がお前をかばって手を骨折したのに、お前は何も代償を払っていない!」
また放電音が轟く。今度は僕の右腕にスタンガンを押し付け、間髪いれずにもう片方にも電撃を放った。
──もう……ダメだ……。
既に抵抗する力が残されていない。ましてや、現状を打破できるような手段も残されていなかった。睡魔が視覚を、痛覚を、不安を、恐怖すらも飲み込んでゆく。
そして、視界が暗転する。僕はきっと──殺されるのだ。
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