③
そのカフェの中でも、亘はひときわ目立っていた。
注目されることに慣れきっているのか、亘に視線を気にする様子はない。
しかし、日和は違った。
亘と一緒にいることでいらぬ嫉妬を浴び、ひどく落ち着きない気持ちになる。買い物に付き合うだけなのだから――と、あえて化粧は薄めで、服装もジーンズに地味な黒のアンサンブルを合わせてきたのだが、それが逆に恋人同士の休日のように見えているのかもしれない。
(なんであんな普通の子と一緒なんだろ?)
(あの程度の女の子でいいの?)
女性たちの値踏みする目が、そう言っているような気がする。だったらむしろ、もっとビジネスライクな服装にすればよかったのかと少し後悔し始めていた。
「そろそろ行きませんか?」
急いでカフェモカを飲み干した日和は、落ち着きなくバッグに手をかけた。
「俺はまだ半分しか飲んでない」
「早く飲んでくださいよ。テイク用のカップなんだから、そのまま持っていけばいんだし」
「歩きながら飲むのは苦手だから、嫌だ」
そう言って、亘はカップをテーブルに戻す。自分が頼めば頼むほどこの男はわざとゆっくりするのだろうと思い、日和はせかすのを諦めた。
「まつ――亘さんて、いつもそんな感じなんですか?」
苗字で呼ぶと上司とごっちゃになるので、名前で呼んだ。
「そんな感じって?」
「マイペースってことです」
「そんなことないよ。こう見えて、けっこう気配りやさんなんだ」
(どこが!)
日和は心の中で激しく突っ込む。
「出身は東京なんですよね? どうしてチーフも亘さんも一人暮らしなんですか? 生活の基盤が整うまで、実家に戻ろうとは考えなかったんですか?」
上司とはプライベートな話をしたことはなかったし、地元なのに一人暮らしをしているのは、社会人になって独り立ちしたからなのだろうくらいに考えていた。
しかし亘は海外から帰ったばかり、しかも家具や家電などを一から揃えなくてはならない状態なのに、なぜ実家に戻らないのかが不思議だった。
普段の日和なら他人のことにここまで突っ込んで聞いたりはしないのだが、なぜ姉は溺愛しているらしい弟を、赤の他人である部下に押し付けるのかと不思議で仕方がない。無理やり巻き込まれた身としては、ぜひ理由を知りたかった。
日和の問いに、亘は軽く首を捻って答える。
「実家はもうないよ。両親が死んだとき、売ってしまったから」
「あ……そうだったんですね。ごめんなさい」
「日和は知らなかったんだから、謝ることないよ。姉さんは同情を嫌うから、そのことについてはあまり話さないだろうし。それに、ずいぶん前の話だしね」
「でも……本当に、ごめんなさい」
先ほどまでは強気だったのに、とたんにしょんぼり項垂れた日和を見て、亘はくすりと笑った。その邪気のない笑顔に、日和は気づいていない。
「悪いと思うなら、今日はきっちり付き合ってもらおうか」
しかし日和が顔を上げたとたん、亘はまた皮肉めいた表情に戻る。
――まるで条件反射のように。
「とことん、ですか? 家電選びにそんなに気合いを入れてるんですか?」
「一度買えば、長く使うことになる物だしね。……なんか騒がしいな。出るか」
五人の学生らしき男性のグループが隣の席で盛り上がり始め、亘は軽く眉を寄せて立ち上がった。日和もなんとなく彼は背が高いなと思っていたが、こういった狭い店内で見ると、さらに大きく感じる。178の弟と並んだときより亘の肩は高い位置にあるから、185程度はあるだろう。
高身長に加えて、上から目線。
(だからよけいに見降ろされると腹がたつのかも)
妙に納得しながら、店を出た日和だったが、いきなり目的地とは逆方向に向かおうとした亘に気づき、慌てて呼び止めた。
「ちょ……! そっちじゃないですよ! もう……営業なのに、そんな方向音痴で大丈夫なんですか?」
「失礼な奴だな。ちょっとぼーっとしてただけだ」
しかし亘自身はプライドが許さないのか、方向音痴であることを認めようとしない。
その後も勝手に別の方向に進もうとする彼をいちいち引き留めるうち、店に到着する前に日和は心身ともに深い疲労を感じた。
(家電さえ揃えればもうこんなこともないんだろうし)
萎えるたびにそう考えて気力を奮い起こし、人でごった返している一つめのビルへと足を踏み入れた。
それから一時間も過ぎた頃。まだ一件目の家電量販店で、日和は疲労困憊していた。
「あのですね……亘さんが払うんですし、これから長年使っていく物なんですから、『どれでもいいから決めて』は止めてください」
すると亘はとぼけた表情で、肩をすくめる。
「だって本当に、どれでもいいんだ。みんな同じように見えるし」
しかも飽きてきたのか、あくびをかみ殺しながら投げやりに答える。
「だから! 店員さんの説明を聞いていなかったんですか? 機能が違うんですよ、機能が!」
「――冷蔵庫なんて、冷やせればそれでいいんじゃないかな。いろいろボタンが付いていても、結局使わないんだろうし」
「じゃあ、一人暮らし用のコンパクトなものにしますか? それとも今後結婚することを考えて大きめのものを?」
「そりゃあ、やっぱり……大きめのもの?」
答えながら、亘は照れた表情を浮かべた。
(ええ? ここ、照れるところ?)
予想外の反応に若干ひきながら、日和は目の前にそびえたつ冷蔵庫を見上げた。
「良いものを買っても、使いこなせないなら宝の持ち腐れですしねー。しばらく結婚の予定がないなら、コンパクトなもののほうがいいかもしれないし。冷蔵庫って、けっこう電気代かかりますしね。一人暮らし用の小さなものだったら、あっちにありますよ」
「俺の計画としては、一年以内に結婚する予定だ。だから大きいほうがいい」
「え? そうなんですか? じゃあ、その彼女と一緒に選んだほうがいいじゃないですか。家電を一番使うのは奥さんなんだから」
自分が選んだあとに、その恋人に文句を言われたらたまったものではない。それに自分だって、別の女性が選んだ家電なんて嫌だ――と思う。
「恋人はまだいない。だから日和の基準で決めてくれればいい」
そしてここではいきなり不機嫌な顔になった亘に、日和は深いため息をついた。単純な弟たちと違って、彼の感情の切り替えスイッチがいまひとつ把握しきれない。
「……あ、そうですか。とにかく、結婚したあとも使えるようなものがいいってことですね。それなら……」
大量に並んでいる冷蔵庫の中からいくつかピックアップし、
「じゃあ、この三つの中ではどれがいいですか? 機能は同じで、価格もほとんど一緒ですから。あとは亘さんの好みで決めてもらえれば。ほら、男性ってメーカーにこだわりがあったりするじゃないですか」
「ない。日和が決めて」
ここでも丸投げされて面倒になった日和は、一番近くにあった冷蔵庫を指さした。色は自分好みのものを指定する。
「……なら、このメーカーで。色はこのロゼがかわいいと思います」
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