まさかの遭遇

 翌日、出社した日和は、すでに席についていた松坂佳恵に手招きされ、内心ため息をつきながら笑顔でそちらへ向かった。

「高丸さん、昨日は弟に付き合ってくれたんだって? これであの子も人並みな生活ができそうね。ありがとう」

「いえ。……週末も家電選びに付き合ってほしいと頼まれたのですが、チーフは無理なんですか? ――あ、嫌だっていうわけじゃないんですけど、ご家族のほうが気楽なんじゃないかと思って」

 上司が眉を上げたので、日和は慌てて言い添えた。もう亘に付き合うのは嫌だ――というのが本心だったが、そんなことを言えば上司の不興を買うのは分かり切っている。

「ごめんなさいね。私、週末は用事があるの。それに私だといろいろ指図されるから嫌なんじゃないかしら」

「あの――本当に、弟さんには友達とかいらっしゃないんですかね?」

「最後に友達を家に連れてきたのはたぶん……高校生だったかな? あの子はあの顔と性格だし、個性が強いでしょう? だから同級生の中では浮いちゃうみたいなのね。でも珍しくあなたとは馬が合うみたいだから良かったなって思って。ちゃんとお礼はするから……お願いしてもいい?」


 あの男と馬が合うなんて、絶対にありえない。

 心の中で全力否定した日和だったが、上司が頭を下げるのを見て渋々ながらも頷いた。


「そうですか。とりあえず、週末も付き合いますので……まつざ――えーと、亘さんの連絡を待ちますね」



(透君のところへは、買い物の後に行けばいいかな)

 池袋の家電量販店なら恋人の家に近いし、何度か彼の買い物に付き合ったこともある。

上司の弟という本来なら自分とはまったく関係のない男性の買い物に付き合ってあげるのだから、場所くらいはこちらで指定させてもらおう――と頭の中で予定を組み立てていたら、

「あ、今さらだけど、彼が私の弟だっていうのはあまり周囲に言わないようにしてくれる? 苗字が一緒だから遅かれ早かれみんな気づくとは思うけど」

と佳恵が言い出した。

「あ……はい。――でもすみません。聞かれたので、飯島君には話してしまいました」

「先に言っておかなかった私が悪いんだから、それは気にしないで。彼には私から言っておく……っていうか、別にいいんだけどね。ただ周囲がその話題で浮ついた空気になったら嫌だなと思っただけで」

「飯島君、お二人を恋人と勘違いしていましたよ」

「え? そうなの? あの子と私、七つも離れているのに」

 そう言って、佳恵は照れたような顔をした。



 そして迎えた金曜日。

 日和が同僚とのランチを終えて席に戻ったとたん、内線電話が鳴った。嫌な予感を覚えながら受話器を取り上げた。

『高丸さん、昼休憩終わった?』

 開発室の中では日和と比較的仲の良い光森からだった。最近は生まれたばかりの子供の写真を日和に見せながら惚気ている、子煩悩な優しいパパだ。

「はい。ちょうどいま、戻ってきたところです。宣材の件ですよね? すみません、もう少し待ってください。たぶん週明けになるだろうって――」

 嫌な予感は気のせいだったのだと安堵した日和だったが、次の光森の言葉にがっくりと肩を落とした。


『あ、違うんだ。カラさんとこの営業さんが、君に用事があるみたいで』

(……なんでいちいち開発室経由で私が呼び出されるんだろう。私じゃなく、お姉さんに連絡すればいいじゃない)

 イライラが声に出そうになったが、光森は悪くないのだと必死に怒りを押し殺した。

「分かりました。ではロビーのソファーで待ってもらうように伝えていただけますか?」

『え? ブースは取らなくていい? 俺が使ってたブース、時間が延長できるみたいだけど』

「いえ、平気です。すぐに済む用事だと思うので」

『そう? じゃあ、下で待っててくれるように伝えておくよ』

「お願いします」

 険しい顔をして受話器を置いた日和の顔を、隣の席に座っている一年先輩の山岡が覗き込んだ。

「大丈夫? 何か問題?」

「いえ。カラさんがロビーにいらっしゃったようなので、ちょっと行ってきますね」

 日和は慌てて笑顔を取り繕った。亘と出会って以来、酷使し続けている頬の筋肉が痛い。

「はーい。いってらっしゃい」

 山岡は呑気な笑顔で手を振った。



「遅い」

 ロビーのシンプルな待合用ソファーに優雅に腰かけ、周囲の注目を当たり前のように集めながら待っていた亘の一言に、日和は人生二度目の怒りによる眩暈を覚えた。歩いている途中だったので、わずかに身体がよろめく。するとあの傲慢な亘の目に気遣うような色が浮かび、腰を上げかけた。

「あ、大丈夫です。軽い立ちくらみですから」

 亘の反応に少し驚きながら日和が言うと、何事もなかったかのように澄ました顔をして腰を下ろし、長い足を組む。

「立ちくらみっていうのは、立ち上がったときに感じるもんだろ? 今、歩いていたじゃないか」

 鬼の首を取ったような勝ち誇った顔で突っ込む亘を見て、お前のせいだとも言えず、日和は深い疲労感を覚えた。

「――立ちくらみに近いもので、別に心配するほどのものではないって意味です」

 精神的な面では心配だけど……と、心の中で付け足した。

「別に心配なんてしてない――いや、心配だ。週末も付き合ってもらう予定なんだから」

「でも、もう引っ越し先で暮らしているんですよね? とくに不自由を感じているようには見えませんし、もしかして揃える必要はないんじゃないですか? もしくは不自由を感じたら少しずつ買い足していくっていう方法もありますよね。むしろその方が無駄がなくていいかも。家電ってけっこう電気代かかるし。どうしても揃えたいっていうなら、お店に相談すれば新生活セットみたいなものを提案してくれますよ」

 感情を交えず、あくまで事務的にそう説明する。

(仕事。これは仕事だと思えばいいのかもしれない。特別手当ては出ないけど、でもこれはせめて仕事なんだと思えば多少はこのイライラも収まるかも……。これは、しご――)

 しかし亘るは日和の言葉などまったく聞いていなかった様子で、いきなり日時と場所を指定してきた。

「明日土曜日の午前十時。『新宿の目』の前で」

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