第47話 そーゆーわけで…ってどーゆーわけですか!? ④

 

 ***



 突然の結婚話にブラックアウトして、気が付いた時にはとっぷりと日が暮れていた。

 真っ暗闇に薄ぼんやりと浮き上がって見える椥の姿を見つけ、戻って来たんだとこれまたぼんやり思ったのは昨夜のこと。

 椥の姿を確認して、沙和はそのまま眠りに落ちてしまった。


 そして気が付けば、カーテンを通した陽の柔らかな光が辺りを明るくしていて、小鳥の囀りが爽やかな朝の訪れを伝えて来る。

 なのに頭が重い。躰も心なしか怠い。

 倦怠感を押してのそのそ起き上がり、ぼーっとした頭でつま先の方を眺めた。


(……なんだっけ?)


 何かを忘れているような気がする。

 いつ寝たのかすら覚えていない。

 取り敢えず椥の姿を探すが、部屋に彼の姿は見えなくて、ハッとする。昨日母に怒られて椥が飛び出したのを思い出し、咄嗟に天井を見上げて椥を呼んだものの応えはない。


 言い知れない不安が押し寄せて来る。

 母を詰って飛び出したきり、会えなくった兄の走って行く後ろ姿と、昨日の椥の姿が重なった。

 やっと会えた兄は幽霊となって現れ、今度こそ永遠の別れになるかも知れない、そう思ったら心臓が凍り付きそうなくらい、冷やりとしたものが胸を圧迫してくる。

 沙和は眉を絞って俯き、固く握った拳で胸を叩く。

 どんっ、どんっ、と嘗て兄を生かし、沙和と椥を繋ぐ心臓の上を。


『お兄ちゃん…ッ!』


 息を詰めて椥を呼んだ。

 もう二度と沙和に黙っていなくならないと約束してくれた兄を、切実な思いで。


『どうした?』


 声がして振り返ると、血相を欠いて壁を突き抜けて来た椥の姿を見つけた。


『今にも泣きそうな声出して、悪い夢でも見たか?』

「ぉ……にぃぃぃぃぃ」

『いきなり鬼とはご挨拶だな』


 椥はすぅーっと沙和によって来ると、頭を撫でながら仏頂面して見せる。けど目が笑っていて、沙和はようやく安堵した。


「また、何も言ってくれないで、どっか行っちゃったのかと思ったぁ」

『大丈夫。約束したろ? もう黙っていなくならないって』


 安心して緩みそうになる涙腺を必死に抑え込んでいるせいか、沙和の顔がくしゃくしゃになると、椥は目線を彼女に合わせ、両頬を優しく包み込んでそう言った。

 兄の薄っすらと笑みを刷いた双眸を覗き込み、こくりと頷くと『よしよしっ』と椥が破顔する。

 居なくならないで良かったと心底安堵していたら、椥の指が彼女の頬をムニッと抓んだ。


『けど何だってあんなに必死に呼んでたんだ? 俺が外フラフラしてんのなんて、今に始まったことじゃないだろ?』

「だってぇぇぇ。お母さんに打たれて、そのまま出てっちゃうからぁ」


 沙和の言わんとしたことを察し、椥は妹の頭を抱き寄せる。沙和はふわりと包み込まれる感覚に小さな息を漏らすと、椥が背中をそっと撫で摩った。


『ごめん。……沙和の、トラウマになっちゃったみたいだな』


 兄の腕の中で「トラウマ…?」と口中で反芻する。


『昨夜も同じこと言ってた』

「昨夜…?」

『目を覚ましたと思ったら、『黙っていなくならないでね』って泣きながらそのまま寝たから、寝惚けてたと思うんだけどな』

「記……憶にございません」


 でも言われてみると、椥の姿を確認して安心した気もする。


(…や、それでも、泣きながら寝るって……そんな……)


 子供の頃じゃあるまいしと否定したいけど、そうも言えない違和感が目元にある。椥がいない事にパニックになって、今まで気付かなかったけれど。

 沙和の両手が椥の躰を擦り抜け、両の掌で目元を擦るとザリッとした感触がする。乾いた涙の跡をごしごし擦って、ふと自分の手を見た。

 兄の躰から生えているようにしか見えない両手は、何度見てもシュールな光景だ。そして兄がもう生きてはいないんだと思い知らされる。


『沙和との約束、今度は絶対に守るからっ』


 嬉しいはずなのに、そう言った兄の真摯な声に寂寞感が募っていく。


(でもね、お兄ちゃん。……死んじゃう前に、こうして欲しかったよ)


 そんな事を思ったら、知らず涙が零れて来た。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る