第42話 失くしたくないから…ですか? ⑧

 

 ***



 長時間座り込んでいたせいか、冷えた沙和の躰がくしゃみした。

 風邪をひかせたら大変と、碧が沙和を引っ張って霊園を後にし、最寄り駅近くのカフェにいる。

 それまでの間に沙和の躰を開放した椥は、二人から離れた所で背中を向け、ふよふよと宙に胡坐を掻いていた。


 椥が凹んでいる。

 項垂れて丸まった背中から自責と悲哀が漂い、彼の真下にいるお客がまるでお通夜のような表情になっているのは、どうしたものだろうか。

 椥は沙和を正面から見られないらしく、いくら呼んでも無言で頭をぶんぶん横に振るばかりで、その所為で影響を受けている無関係の人には、本当に申し訳ない。


(まあそうねぇ……一気に色んなこと思い出して、実はテンパってたみたいだし? 無意識だったとは言え、未練たらたらであたしから躰を乗っ取りかけ、剰え碧さんへの慕情を妹の前に晒した訳だし……うん。冷静になったら、堪んないよね。いろいろと)


 死して尚、碧への変わらぬ愛がダダ洩れの兄に、沙和は赤面させられた。耳に届く声ではないから、塞いだところで意味がなく、退場することも出来ない沙和は、身内のイチャラヴを存分に味わい、身悶えさせて貰った訳で。


 沙和の物理的なくしゃみで我に返った椥は、困った笑顔を向ける妹に気付くや、羞恥のあまり『消えたい』と珍しくも弱気発言をすると、すっと躰から抜け出した。それからずっと背中を見せて自己嫌悪に陥っているのだ。

 沙和から距離を取っているものの、それでもまだ椥は傍に居る。

 それが嬉しくもあり、悲しくもあった。


 束の間の逢瀬では払拭しきれないほど、碧への未練が兄にはあるのだと、沙和への思慕など取るに足らないのだと、寂しく遣る瀬無さを感じてしまう。

 そんな心情を沙和が吐露すると、碧はくすくす笑って「そんなことないわよ」と言った。




「最初はホント偶然だったのよ」


 そう言って碧が白状した話は、ある休日の出来事から始まった。

 まったく予定がなかったその日は暇を持て余していて、気晴らしに映画でも観ようかと街に繰り出した。そこで偶々不穏な行動を見せる椥と出会ったそうだ。

 中学生三人組の後をコソコソと追いかける椥の姿が、異様なものに見えたらしい。そんな人に関わらない方が身のためだと思いつつ、何故だか椥の後を付いて行ってしまったと、碧は破顔した。


「その中学生三人組って……」

「沙和ちゃんとお友達の二人」


 テーブルに頬杖を付いて碧がニコニコと頷いた。


「最初はストーカーだと思っちゃって…あ、やってる事はストーキングなんだけどね。犯罪になるから止めた方が良いって忠告したのよ? そしたら彼、離れて暮らしている妹だって教えてくれてね、『だったらコソコソ後を着けないで、声を掛けたらいいんじゃない?』って言ったの。そしたら椥、『約束を破ったから会せる顔ない』って今にも泣きそうな顔して言ったの。不覚にもその顔にキュンとしちゃってね、『一人で付け回して歩いてたら怪しまれるから、あたしもお供するわ』って勝手に口が動いちゃってて、それからよく二人で沙和ちゃんのストーキングしてました』


 沙和が口を挟む間もないまま碧は一気に捲し立て、カフェマキアートで口を潤す。その様子を唖然とした沙和が眺めていると、碧がてへっと悪戯を誤魔化すように笑った。


「だからね、付き合いだしてもデートは専ら、沙和ちゃんの尾行でくっ付いっていた所が殆どなのよね」

「……お兄ちゃん、サイテー。碧さん、文句言わなかったんですか?」

「文句ないもの。だって見てて面白かったんですもん。沙和ちゃんの行動に一喜一憂する椥。それに、彼と秘密を共有しているみたいで、クラス女子に優越感持ってたしね」


 可愛く微笑んだ瞳の中に、女の強かさが見え隠れしている。沙和にはとんと縁のない恋情。けど、恐らく見間違いではない。

 沙和は思わず喉を鳴らして息を呑んでいた。




 碧の話を聞くうちに “幽さん” が何故、篤志や奈々美に異常なほどの敵愾心を持っていたのかも明らかになった。

 篤志は沙和の近くにいる男であるが故に警戒し、奈々美は椥の後釜に座り、沙和を妹として愛でている嫉妬故に嫌悪していた。


 ならば何故、沙和の元に戻ってくれなかったのか。

 疑問を口にすると、椥は両親の再婚の望みが費え、居場所を奪われてしまったと感じ、恨めしく思う母に近付きたくなかったようだ。沙和に接触すれば必然的に母との距離も近くなる。だから沙和にも会えなくなったと、当時を振り返った椥が漏らしていたそうだ。

 子供だった椥がそう思い詰め、母を恨めしく思ったとしても仕方ない。


 そう言えば、と沙和は思う。

 母が近付いてくる気配を感じると、椥はいつも適当な理由をつけてどこかへ姿を隠していた。記憶を失くしても忘れない、染みついた行動だったのだと思うと、酷く兄が切なく思えた。


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