第36話 失くしたくないから…ですか? ②
「あのぉ。ちょっとお伺いしても良いですか?」
「なんです?」
可愛らしく笑ったオバさんに、沙和は幽さんの特徴を上げて知らないか訊いてみた。すると彼女は「ああっ! あのお兄ちゃんかな?」と思い出してくれたようだ。
後ろから幽さんが沙和の袖をツンツン引っ張る。目をチラリとやると、なんだか眩しいくらい表情が輝いていた。
(うん。分かるよ、幽さんの気持ち)
珍しく歓喜する心の声がダダ洩れの幽さん。
特徴を言っただけで思い出してくれる存在は、幽さんでなくても素直に嬉しいと思うだろう。
「最近見かけないね、そう言えば。お姉ちゃんは、お兄ちゃんの妹さん?」
聞かれて一瞬言葉に詰まった。けどここは怪しまれないようにと、頷いた沙和を見てオバさんが鷹揚に頷き返した。
「お兄ちゃんは元気?」
「あ…兄は、その……亡くなりました」
沙和がそう言うとひどく驚いた顔になり、「それは、ご愁傷さまでした」と消沈した声が返って来た。
空気が重くなり、沈鬱そうな表情を見せるオバさんに、沙和は敢えて元気な声で話しかける。
「それでなんですけど、いま兄の足跡を辿っていて、知っている事何でも構わないので、聞かせて頂けないですか!?」
ショーケースに身を乗り出した沙和を見て、オバさんは面食らった顔をしたものの「そうねぇ」と思案する。
束の間の沈黙が途轍もなく長いものに感じていた沙和に向かって、「そうそう」と彼女はやんわり微笑む。
「子供の頃は『妹と食べるんだ』って良く買いに来てたわねぇ。あなたがその妹さんなんでしょ?」
そう聞かれて戸惑った。
兄の
「けど何年か来なくなって、久し振りに会ったら見違えるほどいい男に育っていたんで、ビックリしたのを覚えてるわ」
「あはは」
乾いた笑い声を立てながら、幽さんも子供の頃この近所に住んでいたんだと、内心では結構驚いている。
オバさんは「これサービスね」と小袋をビニール袋に詰め込み、お礼を言う沙和に笑みを見せ、
「この数年は、彼女かしらね? よく一緒に買いに来てくれてたんだけど……まさか、亡くなっていたなんて。まだ若いのに」
残念そうに吐息を漏らし、買い物袋を差し出してくる。それを受け取ってお金を払うと、沙和は礼を言ってその場から離れた。
徐にビニールの袋からコロッケを取り出し、齧りつく。
歩きながら黙々と食べ、あっという間に胃袋に収まった。沙和は「はあ」と声を漏らして溜息を吐く。
『幽さんには、妹と彼女がいたようですね?』
『そのようで……てか。沙和ちゃん、少しばかり冷たくないですかね? 声に棘も感じるような』
『そう? ……そうかもね。“彼女や家族を忘れちゃうなんて” と思ったら、ちょっとやるせないと言うか、憤りと言うか……胸ン中がモヤモヤする』
原因は死んだ時のショックのせいかも知れないけど、何だか釈然としない。
自分の事のように、嫌だと駄々を捏ねている沙和がいる。
今の幽さんは記憶を取り戻したいようだけど、亡くなる前の幽さんは果たして何を想っていたのだろう。
それとも、忘れたい過去だったのだろうか?
真相は霧の中だ。
(名前、聞き出せなかったなぁ)
知っているかどうかは別として、妹の名乗りを上げてしまったら訊けなかった。
沙和はムスッとしたまま今度はメンチを掴んだ。
大きく口を開けて齧りつこうとしたその時、幽さんがふらぁっと離れて行く。
『え? ちょっと幽さん!?』
こんな事が前にもあったと既視感を覚えながら、メンチを袋に戻して沙和は幽さんを追った。
幽さんに追いついた沙和は、僅かに宙を移動する彼から前方を歩いて行く女性に目を遣った。
(この間の人、かな?)
幽さんがモロ好みだと言った女性の姿を、沙和は前回見ていない。
長い髪をゆるく編み込んで後ろに纏めている。
温かくなって町にはいろんな色が花を咲かせているのに、彼女は黒一色のシンプルなワンピース。
(あれって……喪服?)
そう思ってよくよく見てみれば、持っているバックもフォーマルっぽい。
これから葬儀にでも行くのだろうか?
そんな人の後を追っていくのは如何なものかと思わなくもないけど、またいつ遭遇するか分からない。第一幽さんの耳に、沙和の声は届いていないようだ。
呼びかけても視線すら合わせてくれない。
ひたすら黒服の彼女を見つめ、幽さんが後を追っていく。その彼の後ろを沙和が追っている訳だけど、幽さんの姿は黒服の彼女に見えないにも拘わらず、一定の距離を保ったままなのはどうしてだ? と首を傾げてしまう。
さっさと前に回り込んで顔を確認すればいいのにと、沙和などは思うのだけど。
幽さんの心情は、沙和ほど単純ではないから、全く以て読み辛い。それでも意識を凝らしてみれば、幽さんの感情が揺れているのが分かった。
何と言って表現したら良いのだろうか?
懐かしさ、憧憬、不安、高揚感……?
他にも一言では表せない複雑めいた感情が、綯交ぜになって沙和に重く圧し掛かり、呼吸することも辛く感じる。
引き摺られそうになって、沙和は意識を逸らした。
軽く頭を振って幽さんの背中を見つめる。
怖いもの知らずだとばかり思っていた幽さんが、確認するのを躊躇う相手とは一体どんな人だろうか?
予感はある。
多分、そうなんだろう。
(けどさ。これって、ストーキングっぽくない?)
姿が見えないのをいいことに、堂々と
沙和は半泣きのような情けない表情になって、「なんだかなあ」と呟き溜息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます