第5話 いろいろ試してみたって、許可なしですか? ③

 


 幽さんに訊きたかったこと。

 それは “躰乗っ取り” の件である。

 躊躇うことなく沙和の中に入って来て、自分の躰のように動かされた事がどうにも釈然としない。


 もしかしたら憑依なんてそんなものなのかも知れないけど、何しろ初めての経験なのでよく分からない。けど彼女が話に聞いた憑依は完全な別人格になるもので、沙和の意識ははっきりあったのだから、憑依とも違うような気がした。

 しかし、人の躰はそんなに簡単に奪えるものなのか、そう考えたら怖くもある。

 沙和の躰の主導権は、いつだって奪えるのだと言われた気がして。


 不安を隠しもせず、息を詰めて幽さんを見据える。

 対して彼は悪びれることなく言った。


『別に沙和の躰を奪い取ったりしないし、他の人からも奪わないよ。と言うか、沙和から離れられないから無理なんだけど』

「試したんだ?」

『うん。試した。すり抜けちゃってダメだったんだけどねぇ』


 ケラケラ笑う幽さんに頭を抱えたくなる。


(ダメだったんだけどねぇ、って何それ? すり抜けなかったら乗り移ってたみたいな感じでいいわけ? じゃああたしから離れられない理由ってなんなワケ?)


 なんてライトな幽霊なんだろう。

 こんな幽霊に取り憑かれている自分が虚しくなってきた。

 ふと目をくべた幽さんは、恨みつらみとは凡そ無縁と思われる。

 恨みを買うようなことをした覚えもないし、彼は常にニコニコして沙和を見ている。彼女の見る目が狂っていないのであれば、寧ろ人が好いタイプだと思う。生前はきっと友人が多かったのでは、そう考えると胸がキュッとなった。

 尤も彼がとんでもない腹黒で、沙和をどん底まで叩き落すために、上手く隠しているなら別だけど。


(……ないな)


 幽さんが幽霊だと分かっていても、安心するのは本当だ。

 しかし。それと乗っ取りは関係ない。

 思い残したことも忘れるくらいなら、いっそそのまま軽やかに成仏してくれたら良かったのに、そう思ってしまう沙和はきっと悪くない。

 彼女の心内を読み取れると承知で悪態を吐いてみるけど、肝心の彼が意にも留めなければ無意味だった。

 敗北感たっぷりの溜息が漏れる。

 そしてふと考えた。


(このスーパーライト級のノリで、他にもやらかしてない?)


 不安が怒涛の如く押し寄せて来た。

 やりそうだ。

 彼なら悪気もなくやりそうだ。

 付き合いは短いが、確信めいたものを感じるのは何故だろう。

 何だかちょっと悲しくなってきた。




 まず初めにどう言った経緯で、沙和の躰を自由に出来ることに気が付いたのかを訊いてみたら、


『ほら。ずっと同じ姿勢で寝てると、鬱血して床擦れできるからさぁ。動かしてやれないかなと。そしたらまあ、どうでしょう。するんとね、入っちゃったんだなこれが。じゃあ物のついでだから、寝返りでも打ってみるかと。寝ている時の絶妙なポジションってあるだろ? 躰の癖っていうかさ。で、その後俺は考えた。何ができるのか。いろいろ試してみたら、ちょっとした匙加減で中から躰を動かしたり、触れたりできると分かったんだよね』


 得意満面の幽さんに、沙和の冷ややかな眼差しが注がれると、あれ? って顔になる。沙和が心を落ち着かせようと、ふーふー音を立てて呼吸を整えているのを見て、旗色が悪いことに気が付いたらしい。


「…最初は親切心からの不可抗力だったと諦めよう」


 自分でも驚くほどのくぐもった声に、幽さんも顔を強張らせる。


「その次も幽さんの優しさから、体勢を変えようと寝返りを打ってくれたんだと理解もする。けどその後は間違いなく好奇心からだよね!? 乙女の躰を弄ぶなんて酷い~ぃ」


 顔を両手で覆い隠して俯けると、幽さんは慌てた様子で『人聞き悪いこと言うなよ』と反論しつつ、頭を撫で撫でしてきた。


『沙和が起きてくれなくて暇だったとは言え、勝手にして悪かった。もうしない。……たぶん』

「たぶんって何よぉ」

『あ、や……しないからっ。だからごめんな? ごめんな?』


 泣きそうな声を上げている幽さんを、指の隙間からそっと窺う。許してあげないと右往左往しそうなほど困った表情で沙和を見下ろしている。


「幽さん……他にも、あたしに言ってない事、ない?」


 この際だからきっちり吐かせようと、泣き真似続行で訊いてみれば、幽さんはぽろぽろと喋り出した。

 基本的に物質は通り抜けてしまうらしいけど、意識を集中すると物を移動することが出来るそうだ。ただし傍目からは、今日の看護師のように心霊現象と映ることが判明したため、今後は気を付けるらしい。

 次、次と沙和が誘導すると、存外あっさりと答えてくれる。


「他の人の心も、読めるの?」

『それは無理だった。でも沙和だけは分かるんだよな。何でだ?』


 こっちが訊きたい、という言葉を飲み込み、沙和は続ける。


「プライバシーの侵害だぁ」

『そう言われても、俺も困る。聞こうと思って聞いてる訳じゃないし。……あのさ、考える時にちょっとヴォリューム下げてみるとか……?』

「何それ意味わかんなぁい。心の声のヴォリュームなんて、どー下げるってゆーのよぉ。無茶苦茶なこと言わないでよぉ」


 幽さんとは違う。

 沙和はそんな特殊技能なんて持ち合わせていないし、最近まで何処にでも居そうな普通の女子だった。

 打つ手なしと分かった途端、本当に涙が滲んでくる。幽さんなら何とかしてくれると、勝手に期待していた分だけ落胆してしまった。


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