第8話

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 やがて日は経ち、菖蒲の家から二通の手紙が届いた。差出人は、もちろん幸からだ。

 一通は菖蒲宛てに、もう一通は真司宛てに書いてくれたようだった。

 菖蒲は既に手紙を読み始め、真司もまた幸からの手紙を読み始める。真司の手紙にはこう書いてあった。



『真司さんへ。

 お久しぶりです、幸です。

 美保志の家に住み着いて数日が経ちましたが、私は美保志と共に元気にやっています。

 澄江のことについては、今もまだ悲しむことがあり夜になると泣いてしまいます。けれど、私が泣く度に美保志が何も言わずにホットミルクを淹れてくれるのです。私は美保志のその優しさに嬉しく思いました。

 真司さん、私、澄江がくれたこの名前のとおりにまた家を守り家に幸福を与え、そして自分も幸せになれるように頑張りたい思います。

 長くなってしまいましたが、この度は私のためにありがとうございました。

 幸より。』



 真司が手紙を読みえ終えると、同時に菖蒲もまた同じく手紙を読み終えた。

 菖蒲は目を閉じ「ふふっ」と笑う。



「どうやら、美保志とは上手くやっているようやね」

「みたいですね」



 お互いに微笑む真司と菖蒲。すると、隣に座っていたお雪が「良かったねー♪」と言った。

 温かいお茶を飲んでいる白雪も「そうねぇ」とお雪に賛同するように言うと、本を読んでいた星も小さく頷いたのだった。

 そして、真司は夕方頃まで商店街で過ごすと帰路へと着き橋を渡った。

『あやかし橋』を渡るといつものように文字が変わり、元の橋の名前――あかしや橋へと戻る。真司は妖怪の町から人間の街へと帰ってくると、まるで誰かを待つように橋の前で立っていた人物に目がいった。



「か、神代……」

「よぅ」



 そう。それは、遥だった。

 商店街に行き来してから、今まで不思議と人に合わなかった真司。だから、真司は今目の前に人がいること、見られたこと、それが自分の友人の一人だということに動揺が隠せないでいた。

 心拍は上昇し、息を吸うのも段々と短くなる。そんな真司の頭の中では『見られた』『どうしよう』という言葉で溢れ返っていた。

 何か言葉を発せなければと思っていても、口がパクパクと開くだけ。言葉が喉に突っかかってしまったかのように一言も発する事ができなかった。

 真司は不安と恐怖からギュッと目を閉じ俯く。そんな真司の様子を見て遥は自分の後頭部に触り「はぁ……」と、小さな溜め息を吐いた。

 真司はその遥の溜め息に怖がるように、ビクッと一瞬だけ肩を上がらせた。

 今もまだ黙っている真司に、遥は先に話を切り出した。



「本当に妖怪の町ってのがあるんやな……」

「……え?」



 遥のその言葉に真司は漸く俯いていた顔を上げた。すると、今度は遥が気まずそうな表情を浮かべながら真司から目を逸らし話を続けた。



「宮前には黙ってたけど……実は、俺も見える側の人間なんや」

「…………」



 言葉を失い立ち尽くす真司を見て遥は苦笑いをこぼす。



「まぁ、そういう反応やわな。……とりあえず、さ。あっちで話さへんか?」



 遥の問いかけに真司はハッと我に返り、慌てて「あっ、うっ、うん!」と返事を返す。真司と遥はそのまま橋の前にある美保志と話した公園へと入り、近くにあった丸い石の椅子へと腰を下ろした。

 暫しの間二人に沈黙が訪れるが、先に話しを切り出したのは又もや遥からだった。



「……俺の家は神社でさ、神社の家系には稀に〝神眼しんがん〟っていうもんが体の中に宿るんや」

「神、眼?」



 聞いたことのない言葉に真司が尋ねると、遥は小さく頷きながら話を続ける。



「神眼は神様からの贈り物でもあり、唯一、神々の姿も声も見て聞ける力のことや。自分んとこの神様の言葉を聞く……まぁ、神の話し相手みたいなもんになるっていう事かな」



 そう言って珍しく苦笑する遥は、スっとある方向を指さした。真司は遥が指した方向を見る。



「あそこに神社あるんやけど、宮前なら知ってるやろう? その神社もその神様のことも。俺は、そこの神社の跡取りやねん」



 遥から『神社』と聞いて、既に何となく多治速比売神社のことが浮かんだ真司。それは案の定その神社だった。

 すると、遥は「弟橘姫にも会ったやろう? あいつ……じゃなくて、あの方は話す度に菖蒲さんや宮前の話やらでさ」と、少々呆れながら言った。



「神社におらんと思って狛犬達に聞いたら「主様は、あやかし商店街へと行かれました」って言うし……。帰ってきたら来たでオッサンのように酔っ払って帰ってくるか、狛犬に強制的に連行されて帰ってくるかやし」



 遥が全て神様から聞いたと知って唖然となっていた。

 遥はそんな真司を見てまた苦笑した。



「けど、俺はお前みたいに妖怪もハッキリと見えるわけちゃうんや。妖怪は神聖なモノでは無いし神ではないから、見えてもぼんやりとしか見えてないねん。……でも、宮前は違うんやろう?」



 遥の問いかけに真司が目を泳がせ「あ……う、うん……」と、小さな声で返事をする。真司は少し俯き気味で自分が見える風景、この街に来てからの出来事を遥に話した。

 そして、全ての話を終えると遥はただ「そっか」と答えるだけだった。すると突然、遥が真司に向かって謝り始めた。



「宮前、ごめんな」

「え……?」



 顔を上げる真司に、遥は真司の目を見て話を続ける。



「変な時期に転校生が来たし……廊下でもいつも何かに怯えてるようやから『 もしかして、こいつ〝見える側〟なんちゃうか』ってずっと思ってたんや」

「そ、そうなんだ」



 真司は他人から見た自分の感想を改めて聞いて少しばかり恥ずかしい気持ちになる。



(僕、そんなに見るからに怯えてたのかな……?)



 そう思ったが、けれど真司はふと思ったのだ。遥の言うように確かに怯えていたかもしれない、と。

 菖蒲と出会う前、真司は教室でも廊下でも外でも人間以外のモノ達がいつどこで現れるか、又、いつ誰かを襲うかわからなくて怖かったのだ。

 その頃は靄のようにしか見えず正体がハッキリとわからないからこそ、自分が非力で何もできないから毎日怯えて警戒しながら暮らしていた。そして、そんな中で唯一安心できる場所は、自分の家と家族だけだったのだ。



「ほら、去年さ弟橘姫が学校に来たん覚えてるか?」

「う、うん……」

「海は見えへん側やけど、俺はしっかりと見えててん。あの馬――……あの方が学校に来た理由までは知らんけどな」



 途中で言いかけた言葉を又もや何事も無かったように訂正し話を続ける遥。

 真司は弟橘姫こと多治速比売命の破天荒っぷりに、遥も手を焼いているんだなと察し苦笑いを浮かべた。



「そしたら宮前は突然立ち上がって走るし。あの方は宮前を見ては焦って後を追いかけるし……。あの時の行動とその後から聞いたあの方の話で確信した。見える側やって」

「あの時は……また、僕のせいで誰かを傷つけたくないと思ったんだ……。だから、どこか人が居ない所に行かなきゃって必死になって……」

「そっか。……ありがとうな、俺らのことを想ってくれて」



 遥のお礼の言葉に真司は目を開き驚くと、遥はそのまま話を続けた。



「俺も見える側やけど宮前には言わん方がええと思ったし、怯えてるお前を見たらそういう話すら触れられたくないやろうと思ってん。やから、俺からはなんも言わんつもりやったんや……でも、気が変わった。このままやとあかんと思ったから」

「そう、なの?」

「あぁ。なんかあった時にお互い助けられへんやろ?」



 そう言うと遥は眉を寄せて自分の首に触り「恥ずいから、あんま言いたくは無いんやけど、さ……」と呟いた。



「実は、俺も昔は宮前のように怖がってた時期があったんや」

「え!?」



 イケメンで何をしても優秀な遥。海のブレーキ係として、又、躾係としていつも冷静な遥。

 だからこそ、遥に怯えていた時期があると知って真司は驚いたのだった。遥は「まぁ、そう言うても時やけどな」と、苦笑しながら言った。



「神眼がその神社の誰に宿るかはわからん。兄弟がおったら弟の方に力が宿る時もある。そういうのは全て神が決めることやからな。その力の開眼もいつ頃かは人それぞれで、俺の場合は幼稚園の頃に何となく見えるようになって、完全に開眼したのは小学生の時。……最初は、神も妖怪もボンヤリとしか見えてなかったから驚いた事があるんや」



 昔を思い出すように苦笑いを浮かべながら、真司に昔の自分のことを語る遥。



「初めて見る自分んとこの神には毎日毎日からかわれるし、妖怪は最初から今も黒くて影のようなモヤのような形でしか見えんから気持ち悪いし……けど、そんな時に海が笑って俺にこう言ったんや」



 ――俺には見えへんけど、俺が遥を守ったる!



 その言葉を口にすると遥は可笑しそうにクスクスと笑った。



「海はそいつらに怯える俺にそう言ってん」

「え、じゃぁ、荻原も知ってるの!?」



 驚く真司に遥は苦笑いをこぼしながら「まぁな」と言った。

 真司は遥の返事に唖然となりながら「そう……なんだ……」と呟いた。



「まぁ、それも昔のことやし、アイツ阿呆やから、今も覚えてるか知らんけど。……でも、あいつ、昔は俺んとこの神様に「遥に手を出すな! 俺が退治してやる!」って言ったこともあるんやで」

「そうなの!?」



 真司が驚きの声をあげると遥はまたクスクスと笑った。



「油断すると驚かしてくるから、俺がその度にビックリしてると海がそう言ったんや。あいつは見えへんから全然違う方向見て言ってたけどな」



 弟橘姫が遥を驚かす様子が目に見えて想像できることに真司は「あはは……」と苦笑する。そして、そんな遥と海のことも何となく容易に想像ができた。

 遥は自分のことを一通り話し終えると「ふぅ……」と小さく息を吐いた。



「まぁ、そういう事やな」



 真司は遥の話を聞き終えると、ふと、美保志の『この世界には、あなたのような力を持っている人が存在するという事を忘れないで』という言葉を思い出した。

 でも真司は、まさかそれがこんな近くにいるとは思わなかった。

 この街に来て出会った人々のことが頭に浮かぶ。清太郎・香夜乃・美保志、目の前にいる遥と遥の事情を知っている海のこと。そして、真司の頭の中にはある一つの言葉が浮かんだ――それは、『縁』だった。

 色んな人に出会い、接し、縁が紡がれ『今』がある。

 真司はそんな気がしたのだ。それ故に、真司は今この瞬間……菖蒲と出会ったことや今までの出会いが偶然のように思えなかった。

 まるで見えない縁という糸を手探りに辿っているような不思議な感覚が真司の心に過ぎっていたのだ。

『自分の知らない何かが変わろうとしている』

 そんな気さえした。

 真司自身も自分が変わったという自覚はある。けれど、それ以外にもこの先何かが変わろうとしている気がしたのだ。

 頭の中でグルグルと考え、ボーッとしている真司に遥は「宮前、大丈夫か?」と声を掛ける。



「あ、う、うん……ちょっと、色々考えてて……」

「そうなるわな」



 そう言うと遥はフッと笑った。

 そこで真司は、又もやある事が頭に浮かんだ。それは菖蒲のことだった。

 そう。菖蒲は多治速比売神社の神様でもある。そして、遥はその神社の息子だ。

 神様が見える遥は、つまり菖蒲のことも知っているのでは?と真司は思ったのだった。現に会話の中で、遥は『菖蒲さん』と一度口にした。



「ねぇ、神代は菖蒲さんのこと知ってるんだよね?」



 真司が遥にそう尋ねると、遥は「そりぁ、俺んとこの神様やからな」と真司に言った。



「そう言っても、菖蒲さん自体は滅多に神社に帰って来る事ないからあんまり見んけどな」

「そうなんだ」

「まぁ、あの人は特殊やからな。昔から何考えてるかわからんところもあったし」



 真司は黙ったまま地面を見る。蟻がせっせと動いて仕事をしているのを見て、真司は「菖蒲は、なぜ遥のことを教えてくれなかったのだろうか?」と疑問に思った。



(菖蒲さんのことだから、言わない理由もあるんだろうけど……)



 例えそれがどんな理由でさえ、真司には何となく菖蒲がこう言うだろうなという言葉が浮かんだ。

『私が言う前に、自ずとその時はやってくるんよ。それが〝縁〟というものやからね』

 そう言いながら、菖蒲はいつものように袖口を口元に当てクスリと笑うだろう。菖蒲のそんな姿が浮かぶと、真司の顔に自然と笑みがこぼれた。

 真司は顔を上げ直し遥を見る。



(もう、怖くない……)



「神代。僕の話も聞いてくれる……?」



 そう言って、今度は真司自身がなぜ引っ越したのか……菖蒲や遥達と出会って自分の中の変わった部分を全て遥に話したのだった。

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