第8話

 駅までは歩いて約十五分~二十分ぐらいである。いつもなら、のんびりと暖かい陽射しと心地よい風を受けながら歩くのだが今回は雛菊の為に公共の交通機関を使うことになった。

 そう。雛菊にとって、人生で初めての〝バス〟に乗るのだ。

 バス停に辿り着くと雛菊は左右気にしながら立っていた。菖蒲はそんな雛菊を見て苦笑する。



「これ雛菊、落ち着きんしゃい」

「は、はい」



 菖蒲は話題を切り替えるように態とらしく「コホンッ」と一咳する。



「雛菊、バスの乗り方は覚えているかえ?」

「はい! えっと、扉が開いたら、この〝あいしーかーど〟というのを翳して中に入ります。そして、出る時も翳して外に出ます」

「うむ、正解じゃ。そのカードの中には多めにお金が入っているから無くしてはならんえ」

「はい!」



 そんなことを話していると右方向からバスがやってきた。

 バスがバス停に停車するとバスの扉が二箇所開いた。前方側とやや中央側の扉が開き、雛菊は「えっ、えっ!?」とどこから入ればいいのかわからずその場でアタフタとする。



「たっ、大変です! 一体、どの扉に行けばよいのでしょうか!?」

「落ち着きんしゃい。ほれ、よう見てみ? あっち側から人が降りて来るじゃろう? ということは……?」



 雛菊に問題を出すように話す菖蒲に雛菊はハッとなり、やや中央側の扉へと進む。



「こっちです!」

「うむ。ほれ、この機械にカードを翳すのじゃ」

「は、はい!」



 親が子供に初めてのことを教えるように、菖蒲が雛菊に指をさし、時には質問を投げかけながら教えていく。事前に人が使う機械やマナーのことを教えたが、これは実践しつつの復習である。

 雛菊はカードを読み取り機に翳すと「ピッ」と音が鳴りバスの中に入って行く。その後に続き、真司と菖蒲もバスに入る。



「菖蒲様、できました!」

「うむ、降りる時も同じようにするのじゃぞ」

「はい!」



 初めてのバス体験が成功し喜ぶ雛菊に真司と菖蒲が微笑むと、菖蒲達はバスの一番後ろの三人座れる席へと腰掛けた。



「雛菊さん、嬉しそうですね」

「そうじゃな。後は電車やけど……まぁ、そこも問題はなかろうて」

「そうなんですか?」



 真司の質問に菖蒲が小さく頷き小さな声で話す。



「お雪と星が疑似改札口を作ったからの。タイミング諸々何度も練習したから問題無いはずじゃ」



 グッと親指を立てドヤ顔する菖蒲に真司は苦笑する。すると、雛菊が菖蒲の名前を興奮気味に何度も呼んだ。



「菖蒲様、菖蒲様! 見てください! 景色が早い速さで通り過ぎていきます!」

「そうやね。して、雛菊、お前さんは今はそのネックレスのおかげで他の人にも姿が見え声も聞こえるから、今は私のことは「菖蒲さん」と言っておくれ」



 キョトンとする雛菊は首を傾げ「なぜですか?」と菖蒲に尋ねる。菖蒲は周りに聞こえないように話を続けた。



「他の人からにすれば、私は普通の人じゃ。今は、滅多に〝様〟をつけて名前を呼ばぬからじゃ」

「そうなのですか?」



 今度は真司の方を見て首を傾げる雛菊。

 話を振られた真司は「確かに、様を付けて呼ぶことも聞くことも無いですね。聞こえたら、この人はもしかして偉い人なのかな?って思います」と雛菊に言った。

 真司の言葉に雛菊は「そうなのですか……」と納得するように呟いた。そして雛菊は菖蒲と目を合わす。



「あっ、菖蒲……さん?」



 恐る恐る菖蒲の呼び方を変えて言う雛菊に菖蒲はフワリと笑みを浮かべ返事をする。

 雛菊は胸の前で手を組み「うぅ……なんだか申し訳ない気持ちになります……」と懺悔するように言った。



「気にし過ぎじゃ」

「は、はい……」



 真司はそんな雛菊を見て自分が菖蒲のことを『菖蒲さん』と普通に言っていることを考える。



(僕、菖蒲さんのことを『菖蒲さん』って言っているけど……そうだよね。菖蒲さんは神様で商店街の皆からも敬えられてるんだよね。僕も『菖蒲様』って言った方がいいのかな……?)



 なんてことを考えているのが菖蒲には筒抜けなのか、菖蒲は徐ろに真司の方を向いて真司の額を小さくデコピンをした。



「いたっ」



 さほど痛くは無いが条件反射で痛いと言ってしまう真司に菖蒲は眉を釣り上げて真司を見ていた。



「真司。お前さんまで私のことを『菖蒲様』なんて言ったら怒るえ」

「えっ!?」



 驚く真司に菖蒲は直ぐに笑みを浮かべ「お前さんは、今までどおり私のことを呼んでおくれ」と真司に言う。真司はデコピンをされた額を押さえながら「は、はい……」と、なぜ考えていたことがわかったのだろうかと思いつつ呆然としながら返事をしたのだった。



「次は、泉ヶ丘いずみがおか駅。泉ヶ丘駅、終点です」



 バスのアナウンスに真司も菖蒲も前を向く。



「もう着くの」

「ですね」



 菖蒲達がそう言うと、今度は二人同時に雛菊の方を見る。息がピッタリ合っているのに雛菊は内心驚きつつも、それが面白くてクスリと笑った。



「む? なんじゃ? なにかおかしいかえ?」

「ん??」



 二人して今度は首を傾げるのを見て、雛菊は笑いたい気持ちを我慢して話を続ける。



「いえ、なんでもありません」

「そうかえ? ならよいが……それより、緊張の方は大丈夫かえ?」

「はい、菖蒲様……ではなく、菖蒲さん達のおかげで落ち着きました」



 雛菊の言葉に菖蒲はフッと微笑む。



「なら良かった。その調子で最後まで頑張るのじゃぞ?」

「僕達は離れたところにいますから安心してくださいね」

「はい!」



 いつもと変わらない暖かな春のような雛菊の微笑みに戻ったことに真司も菖蒲もニコリと笑う。

 そして雛菊は、菖蒲の言われたとおりにもう一度カードを読み取り機に翳すと、バスの運転手に「ありがとうございました」と一言お礼を言ってバスから降りたのだった。

 雛菊の後に続き菖蒲達もバスを降りる。バスを降りると、菖蒲達は駅へと続く階段を上り立ち止まった。



「雛菊。私達が一緒に行けるのはここまでじゃ。この先はお前さんだけで行くのじゃぞ」

「はい」

「雛菊さん、ちゃんと後ろにいますからね」

「ありがとうございます、宮前さん」



 雛菊は深呼吸を二・三度すると菖蒲達から背を向け一歩二歩と歩き始める。すると、雛菊の足がピタリと立ち止まり、雛菊は菖蒲達の方を振り返った。

 雛菊が振り返ると同時に雛菊の柔らかな髪とプリーツスカートフワリと揺れる。雛菊は、今までに無いくらいの楽しそうな笑みを浮かべると菖蒲達に「行ってきます」と言って、小走りで改札口の前で待っているだろう稔の元へと駆けて行ったのだった。

 雛菊の背を見送る真司と菖蒲。



「行ってしまいましたね」

「そうやねぇ。……なんだか、我が子を嫁に出したような気分じゃよ」



 小さくなっていく雛菊の背を見ながら呟く菖蒲に真司は「それって寂しいってことですか?」と菖蒲の方を向いて尋ねる。菖蒲は真司の方を向くと苦笑いする。



「そうかもしれぬな。しかしの、寂しいだけじゃないんやよ。お前さんにも、自ずとこの気持ちがわかる時が来るじゃろうて」

「…………」



 菖蒲の言うとおり真司は『自分にも、いつかそんな思いをする日が来るのだろうか?』と考える。近しい人や最愛の人が旅立つ姿に〝寂しい〟という気持ちと他に、なにか別の感情が湧き出ることに。



「さて、私達も雛菊の後を追おうじゃないかえ」

「そうですね」



 一度考えることをリセットし気持ちを切り替える真司。

 菖蒲は帽子を深めに被り直すと「バレぬように行動開始じゃ!」と意気揚々とした様子で言ったのだった。



(なんだか今の菖蒲さん、探偵ごっこしてる子供みたいかも)

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