第9話

 子供のように楽しそうにする菖蒲に真司がクスッと笑うと、菖蒲と真司は雛菊との距離を一定に保ちつつ自分達もまた改札口へと向かった。

 そして、改札口の前にある新設されたお店の角で菖蒲達は雛菊の様子をコッソリと覗き込むように窺っていた。

 どうやら雛菊は無事に稔と合流出来たらしい。稔はグレンチェックのテーラードジャケットにグレーのボーダーカットソー・スリムデニムを着ていた。

 いつもはボサボサの髪に髭も伸び、シャツはボタンを開けて気だるそうな雰囲気だが今回は髪も髭も整えてきているため、いつもに比べるとかなり清楚感ある雰囲気に変わっていた。



「え……あれが先生!?」

「ほぉ〜。花見の時より断然男前に変わったじゃないかえ」



 驚く真司と感心する菖蒲。

 稔があそこまで身なりを整えてくる時は始業式等の式典ぐらいだ。その時も生徒全員稔の変わり様にかなり驚いていたが、真司もまた稔が身なりを整える姿を全然見慣れていないため驚くしかなかった。

 それは雛菊も同じなようだ。雛菊もまた、稔の変わり様に目を見開き驚いていたからだ。

 稔は恥ずかしそうに苦笑いをしながら雛菊と話す。何を話しているのかはわからないが稔も雛菊もお互いに照れ気味で少し話し、そのまま改札を通ったのだった。

 お雪と星との練習の成果もあって、難無く改札を通れた雛菊に菖蒲も真司も安堵の息を吐く。



「ふぅ、行きましたね」

「行ったの。にしても、初々しいのぉ。……さて、私達も後を追うぞ」

「はい」



 菖蒲と真司もバッグからICカードを取り出し、改札を通り雛菊の後を追う。稔にバレないように俯き気味で階段を降りホームへと向かうと丁度電車がやって来た。



「わわっ! 菖蒲さん、早く行かないとっ!」

「うむ!」



 慌てて電車に乗る真司と菖蒲。丁度、雛菊達とは隣同士の車両で稔にもバレず真司は「よかったぁ……」と息を吐きながら呟いた。



「雛菊さん達の姿もここから見えますし、間に合って良かったですね」

「そうやね。どれどれ……ほぉ、お互いが緊張してるのが丸わかりじゃな」



 隣の車両の窓から雛菊達の様子を覗き込む真司と菖蒲。

 真司は「ほんとだ」と呟くと俯いていた雛菊の顔がパッと前を向いた。そして、まるで子供が電車から見る景色に興奮するかのように雛菊は楽しそうな表情で外の景色を見ていたのだった。

 緊張はもうどこかに消えたおかげか、それとも忘れてしまったのか、雛菊は稔の方を向いてまた窓の景色を見る。



「はしゃいでおるのぉ」

「ですね。でも、緊張しないよりかは良いですよね」

「そうやね」



 雛菊が楽しそうに景色を見る中、稔もそんな雛菊の姿を見て嬉しいのかフッと笑みを浮かべていた。

 泉ヶ丘駅から目的地である水族館へと行くためには二回乗り換えしなければいけない。堺市は南側にあるが水族館はその真反対である北側にあるので、電車でも一時間は掛かってしまうのだ。

 真司は雛菊が電車での乗り継ぎや人混みでしんどくならないか心配だったが、その一時間後、水族館へと着いた後も雛菊は初めて見る建物や街並みに好奇心旺盛だった。



「見てください、稔さん! 海が見えますよ! 私、久しぶりに海を見ました、ふふっ」

「俺も久しぶりです」



 潮の風を受け心地よさそうに目を閉じる雛菊。稔はそんな雛菊に半場見惚れていた。



「あっ、あの雛菊さん。ここ船にも乗ることができるんですが……水族館に行く前に乗りますか?」

「そうなんですか!? 私、船が出来てからは一度も乗ったことがないので楽しみです!」



 雛菊のある言葉に稔が「……ん?」と少々首を傾げるが、稔は気のせいかと思い話を続けた。



「じゃぁ、あっちに行きましょう。俺もこの観光船には乗ったことが無いので楽しみです」

「はい♪」



 稔と雛菊が観光船のチケット売り場でチケットを買うと船の中へと入って行った。真司と菖蒲も稔にバレない距離を保ちつつチケットを買い船の中へと入る。



「まさか、観光船に乗るなんて思わなかった……」



 小さく溜め息を吐く真司に菖蒲が首を傾げる。



「なんじゃ、お前さん船が苦手なのかえ?」

「……少しだけですけど。その……僕、船酔いするんで」

「なんと、そうなのかえ。それはすまないことをしたの……」



 落ち込む菖蒲に真司は慌てて手を振る。



「気にしないでください! 船酔いをしたのも小学生の時ですし、若しかしたら今はもう大丈夫かもしれません!」



 そう言ってみたはものの、いざ出航するとなると真司は十分ぐらいで既に気持ち悪くなってしまったのだった。

 真司は船にある腰掛け椅子に横たわる。



「うぅ……気持ち悪い……」

「大丈夫かえ、真司」



 菖蒲が心配そうな顔で真司を見下ろす。すると、菖蒲が真司の頭を浮かせ、自分の膝の上にゆっくりと乗せた。

 真司は驚き起き上がろうとするが、菖蒲がそれを許さず起き上がろうする真司の額をグッと押し戻す。



「これ真司、まだ寝ときんさい。まだ三十分は船におらんといかんし」

「さ、三十分も……」



 考えただけで気持ち悪くなり胃を摩る真司に菖蒲は苦笑する。



「少し眠るとええ。なに、雛菊と先生なら大丈夫じゃ。二人して海を見て、ええ雰囲気になっとるえ」

「は、はい……菖蒲さん、ありがとうございます……」

「うむ」



 真司は目を閉じる。菖蒲は帽子を取って眠る真司の髪を梳くように撫でると小さく笑った。



「ちゃんと起こしてあげるから、今はお休み」



 その言葉を最後に真司の意識は段々微睡みの中へと入って行ったのだった。

 夢と現実の狭間で、完全に意識が落ちる前に真司はふとこんな事を思った。



『なんだか、この感じ前にもあったような……』



 それがいつ、どこで起こったことなのかはわからない。けれど、何となくこの感じが『懐かしい』と真司は思っていた。

 だが、それはどこで起こったことだっただろうか?と考える前に真司の意識は完全に落ちたのだった。

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