第17話
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香夜乃達と別れた真司は、稔に渡された物を雛菊に渡すため学校へと向かっていた。
「自分のことも何とかしないといけないけど……雛菊と先生のことも何とかしないと」
学校が休みのため私服姿のまま校内に入り、そのまま雛菊の場所へと向かうといつものように窓を見上げて立っている雛菊の姿がそこにあった。
「雛菊さん」
名前を呼ばれ振り向く雛菊。
「宮前さん、こんにちは」
「こんにちは」
花のように柔らかな笑みを浮かべ挨拶をする雛菊。
真司は雛菊の傍に寄り、先程雛菊が見上げていた窓を見た。
「今日は先生いないのかな?」
「そうですねぇ。こちらにはまだ来ていませんね」
「そうですか」
雛菊は、ふと真司の方を見るとコクリと首を傾けた。
「ところで、今日はどうしたんですか? 確か、今日は学生の皆さんはお休みのはずじゃ……?」
「はい。実は、これを雛菊さんに渡しに来たんです」
そう言って真司はボディバッグから稔から預かったチケットと手紙を雛菊に手渡した。
雛菊は真司から受け取ると不思議そうにチケットをジッと見ていた。
「これは?」
「それは、水族館に入る為の入場券です」
しかし、どうやら雛菊には『水族館』というのがどういうものかよくわかっていないらしい。雛菊は、また首を傾げ「水族館、ですか?」と真司に言った。
真司は雛菊が水族館について知らないとわかると、簡単に水族館の説明を雛菊にする。
「何種類もの魚がいて凄く綺麗な建物のことですよ」
「それを皆さんで食べるのですか?」
「えぇ!?」
突拍子の無い雛菊の言葉に真司はビックリすると「たっ、食べませんよ!」と雛菊に言った。
雛菊も真司の言葉に驚いたのか、手を口元に当て「まぁ、食べないのですか?」と真司に言ったのだった。
真司はそんな雛菊に苦笑する。
「あ、あはは……えっと、水族館っていうのは色んな人に海にいる生き物のことや生体を知ってほしくて作られた施設です。た、多分……。だから食べなくて鑑賞するんです」
「そうなんですか。……違う種族なのに学ぼうとする人のその心……すごく素敵ですね。ふふっ」
「そうですね」
雛菊と真司は微笑み合うと、雛菊は木を背もたれにしてその場に座り込んだ。真司も雛菊の隣に座り話を続ける。
「そっちの紙は、先生からの手紙です」
「え……こ、これが?」
雛菊は小さく折られた紙を見て驚くと、ゆっくりと中を開き読み始めた。
『拝啓、雛菊様。
突然のお手紙失礼致します。以前、花見の時に会った宮前君の担任の白石稔です。覚えていらっしゃいますでしょうか? こんなこと急に言われると驚くかもしれませんが、もし宜しければ、雛菊さんの空いている日でよろしいので一緒に水族館に行きませんか? お嫌でなければ、下記の番号まで連絡ください。
白石稔。』
読み終えた雛菊は、顔を真っ赤にさせて手紙を閉じると、涙目になりながらぎこちない動きで真司の方を見た。
「み、宮前、さん……どっ、どうしましょう、私! わっ、私……私……」
両手で顔を覆う雛菊に真司は慌てて「え、え!? どっ、どどどうしたんですか!?」と雛菊に言った。
あまりの雛菊のその様子に真司は不安を覚え、雛菊に手紙を読んでいいのかを尋ねる。
「あ、あの……手紙、僕も読んで大丈夫ですか?」
顔を手で隠す雛菊は、無言で何度も頷く。
真司は「一体何を書いているんだろう?」と思い手紙を読むが、その内容は至って普通のデートの誘いの手紙だった。
真司は雛菊の肩を震わせながら泣く姿に困惑を覚える。
「雛菊さん……どうしたんですか? もっ、もしかして嫌だったんですか?」
「……違います」
雛菊は顔から手をゆっくりと離し、伏せ目がちに答える。
「嬉しいんです……まさか、あの人が私のことを覚えてくれていたことに……」
雛菊は真司から手紙を受け取ると、優しい手つきでそっと手紙を撫でる。
『嬉しい』と言葉にしているのに、その表情はどこか悲しげで真司はなぜそんな表情をするのか気になった。
すると、その真司の気持ちに答えるように雛菊は話を続けた。
「私は、とても貪欲になってしまいました……。最初は見ているだけで充分だと思っていたのに、あの人の目に留まりたい……あの人と話をしたい……あの人の隣に居続けたいと欲がどんどん溢れ出て来るんです。でも――」
雛菊は、ふと顔を上げ今は閉まっている窓を見る。
「私は、その反面怖いんです……」
「怖い、ですか?」
真司の質問に雛菊は黙ったまま小さく頷き、そのまま俯いて話を続けた。
「菖蒲様や神様のお力で私はあの人の目に留まり、話もできるようになりました。なのに私は、そのご好意を無駄にするように一歩二歩とあの人から距離を取ってしまった。……人と妖怪は生きる時間も違います。ふと、私は思ったのです……もし、あの人が私の前から居なくなってしまったら私はどうなってしまうのだろうか、と……」
雛菊の言葉に真司の胸がチクリと痛くなるを感じた。
真司は無意識のうちに手をギュッと握り雛菊の話に耳を傾ける。
「あの人は、私のことを人間と思っているはず……本当のことを言えば、あの人は私のことをどう思うだろうか……危惧の眼差しを向けられたら私は……」
悲痛の痛みに耐えるような表情で胸の前でギュッと手を握る雛菊。
「あの人に触れたい、話したい……でも、怖いっ……」
「雛菊さん……」
今の雛菊の気持ちは真司にも少しだけわかるような気がした。真司の立場で言えば、それは友達である遥と海のことだからだ。
最近の真司は、海と遥に自分のことを話そうか何度も何度も迷っていた。けれど、中々行動に移せないでいたのだ。
雛菊と同じく『怖い』からだ。
自分のことを話して、またあの目で見られたら……また、自分から離れてしまったらと思うと雛菊同様に心が一歩二歩と下がってしまっていた。
真司は海と遥の顔が脳裏に過ぎると、先日、菖蒲の問い掛けに答えられなかったことも海達のことも雛菊に話した。
「僕も雛菊さんと同じです。怖くて中々言えなかったりしています。友達に自分のこの目のこと話すことも、菖蒲さんに……怖くないって言うことも」
菖蒲の名前が出て雛菊は顔を上げ真司の方を向く。
「菖蒲様となにかあったのですか……?」
「はい」
真司は香夜乃と送り狼のこと、菖蒲の本当の姿を見てしまったこと、それにたいして「怖くない」と言えず仕舞いに終わってしまったことを雛菊に話した。
全ての話し聞いた雛菊はまさか近くでそんなことが起きていたとは知らずに驚くと、送り狼が女性と一緒にいたことを思い出した。
「そう言えば、朝に送り狼を連れた人が通ったような……でも、宮前さんにも色々あったんですね」
「……友達にも菖蒲さんにも言えない僕は臆病者ですよね」
自嘲気味に笑う真司に雛菊は首を横に小さく振る。
「臆病者ではありません。宮前さんは、異形なものである私達にも人と同じように隔てなく接してくれます。普通なら怖がるはずなのに、あなたは私達のことをこうやって心配し、共感してくれます。何よりも、あなたは私を助けてくれた……もう一人の雛菊を救ってくれた……そんな人が臆病者とは私は思いません」
雛菊の言葉に真司は呆然とすると雛菊はニコリと微笑んだ。
「宮前さんなら、きっと菖蒲様に言えます」
「そう、思いますか……?」
「はい」
雛菊のその自信ある笑みに真司の心は少し軽くなった気がした。
真司は、そんな雛菊を見て「雛菊さん」と雛菊の名前を呼ぶ。
「僕も、雛菊さんなら先生の誘いを受けると思っています」
「……え?」
今度は雛菊がポカンと口を開け瞬きすると、真司は先程の雛菊のように笑みを浮かべた。
「雛菊さんが先生のことを強く想っていることは凄く伝わってきます。雛菊さん……本当は、もう返事は決まってるんじゃないですか?」
「それ、は……」
目を伏せる雛菊は手をギュッと握る。
「……でも、私は……」
「雛菊さん、会いたいなら会うべきです。会わないときっと後悔します」
雛菊は顔を上げ自嘲気味に笑う。
「そう、ですね……ふふっ、やっぱり私って貪欲ですね」
そう言うと、雛菊は小指を真司の前に差し出した。
「宮前さんも菖蒲様にきちんと言ってください。お友達にまだ言えなくても、菖蒲様にだけは早く伝えてください。あの方は表に出さなくても心の中ではきっと気にとめていると思いますから。私も、あの人に会うこと……お返事を受けることを約束します」
真司は差し出された小指に自分の小指を絡める。
雛菊は微笑みながら手をゆっくりと動かす。
「ゆーびきーりげーんまん、嘘ついたら針千本飲〜ます、ゆーびきった♪」
そう言うと雛菊は真司の小指から指を離した。
雛菊はまるで吹っ切れたように「ふふっ」と笑う。
「私達、似てますね。不安に思うこと、その反面もっと傍にいたいと思うこととか」
「そうですね」
「あ、でも、あの人にどうやってお返事をすれば……私、電話は持っていませんし……」
シュンと落ち込む雛菊に真司はニコリと微笑む。
「菖蒲さんのお店の電話を借りればいいんですよ」
「……失礼ではないでしょうか?」
「菖蒲さんならいいよって言うと思います」
「…………」
雛菊はまたポカンと口を開けると、ふっと小花が咲くような柔らかくて温かな笑みをこぼす。
「そうですね。菖蒲様は、そういうお方……駄目ね、私ったら。またマイナスに考えてしまいます」
「それわかります。僕もですから」
「ふふっ」
「あはは」
クスクスと笑い合う雛菊と真司。
雛菊はすっと立ち上がると見上げて窓を見た。
稔が学校にいれば、その窓は開かれている。けれど、雛菊は稔が学校に居ても居なくても、窓が開いてても閉じてても想い人のことを想っていつも窓を見ていた。
雛菊は真司から手渡された一枚のチケットを見る。
「水族館……魚が沢山いる建物」
目を伏せ微笑む雛菊。
おそらく、雛菊の心にはまだ不安があるだろう。けれど、雛菊もまた変わろうしていていた。
この不安を除き、前へ進もうとしていたのだ。
嬉しそうな表情で水族館のチケットを握る雛菊を見て、真司は雛菊と約束を交わした小指を見る。
(菖蒲さんに言う……。菖蒲さんの正体のことも、僕は多治速比売命様から聞いて知ってしまった……その事も僕は菖蒲さんに全然言えなかった。だから、今度こそ絶対に言うんだ)
菖蒲の口からではなく他の人から正体を聞いてしまったことに、真司は少し申し訳なくなってしまっていた。と言っても、菖蒲は大晦日の時『お主のその耳と目で色々な妖怪達と交流し、私の情報を得て知ればよい』と言っていた。
だから他の人から正体を聞いても何ら問題は無い。けれど、真司はそうはわかってはいても、少しだけ罪悪感があったのだ。
そして、菖蒲の正体を知った後もそれを中々菖蒲に報告することができないでいた。
言わなきゃと思っていても、真司は頭の片隅では「もし言って、何かが変わったら?」という小さな小さな不安があった。何が変わるのか、どう変わるのかは真司にもわからない。なぜそんな不安が生まれたのかもわからない。
ただ、真司は恐れていたのだ。
菖蒲にそれを伝えて、その何かが変わってしまうことに。
相手に伝えるということ――それは、真司にとってはとても勇気がいる行動だった。
今まで自分が見てきたものを伝えて、相手は真司から離れて行ってしまったからだ。
それがトラウマとなり、無意識のうちに『伝える』ということに躊躇っていたのかもしれない。
だが、今は違う。
真司は変わろうとしている雛菊を見て、自分も見習わなければと思ったのだった。
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