第34話~貧民と皇女
あの出来事が無ければ、自分の心に深い傷を負う事も、トラウマとなった恋愛の事で悩む事も、人の事を信用できなくなることもなかった。だから自分の人生をこういう風にしたあの出来事の真相をこの耳でしっかりと聞いてみたかった。
前原は「うーん」と思い出すように考えた後、笑顔で答えた。
「面白そうだったからかな!」
「だってよ水城! 女にこうやって言われるなんてダッセーな!」
「……一番だせぇのはテメェだよ」
え……。と身動きが取れなくなる。今回は冬馬の癇に障りそうな発言は右から左に流すように心がけていたので、苛々の我慢は解かれていないし今喋ったのは自分ではない。
(今喋ったのって……)
だとしたら誰が……と声が聞こえた方に顔を向けると、ついさっき冬馬の脳内の想像の中に出現した女子が、いつの間にか冬馬の隣に立っていた。
「花園……」
「誰かを下に見ることでしか楽しさを得られない。ただのクズじゃん」
花園にダサい、ましてやクズ呼ばわりされた伊達は、今何が起こっているのか全く理解が追い付いていないと言った様子で「えっ、えっ」と狼狽え始めた。
それもそのはず、冬馬が遠くの席から二人の日常生活を見ていた感じだと、伊達は花園の近くにいる事が多く、食堂で冬馬に水をかけたときも花園の名前を出してムキになっていた。
ここまで思考を整理すれば誰でもすぐに見当はつく。要するに、伊達は花園に好意を抱いているのだ。
「でもよ香織、こいつ……」
「まだ分かんないかな。早くどっかに行ってよ」
「あ……あぁ」
散々に言われた伊達は「さ、さっさと行こうぜ」と前原の手を引いて、人波の中にそそくさと消えて行ってしまった。
何となく意地が悪いが、好意の対象に散々に言われている伊達を見て、ざまあみろと心の中で呟いてしまった。でも雲が晴れたように気持ちがすっきりとしたのは明らかだ。
「……水城、大丈夫?」
「あ、うん……大丈夫」
久しぶりに会話を交えたので、少々言葉に詰まりながらなんとか受け答えをする。
「それじゃ……模擬店のシフトあるから行くね」
「あ……」
言葉に詰まる冬馬をよそに、ぎこちなくも他人行儀に振舞うようにして花園が背中を向けた。
(花園……)
何で助けてくれたのだろう。花園にとっての自分は、一体どういう風に映っているのだろうか。
三か月たった今でも忘れたわけじゃない。冬馬に向けられた冷たく蔑んだ瞳は未だに脳裏の奥底に焼き付いている。
……その瞳の表面上の印象通りならば、冬馬を助ける理由なんてないはずなのに。でも、いざ助けられたときは伊達を見返してやった気がしてとても嬉しかった。
「花園」
自分に背を向けた花園がもう一度振り返る。
「どうしたの?」
「その……ありがとう」
「……うん」
そう適当に返事をした花園は、廊下の奥の方に歩いて行ってしまった。
「……はぁー」
花園のシルエットが小さくなっていくのを確認してから、廊下の人混みを気にせずに冬馬は一人佇んで溜め息をついた。
……まさか花園に助けられるとはこれっぽっちとも思っていなかった。もしあのまま花園が自分を無視して通り過ぎて行ったとしたら、まだしばらく遠慮のない心許ない言葉を浴びせられていただろう。
そのパターンを阻止してくれた花園には一応感謝しているが、やはり彼女のとった行動の趣旨は意味が分からない。
(……何かモヤモヤするんだよなぁ)
今から三か月前、開けていた心の扉を鉄の鎖で閉ざし、この恋は諦めると固く決意したはずなのに、少しの出来事のせいで再び彼女を求めてしまう心が揺らいでいる。
昔の伊達が言ったように、自分は彼女に釣り合う存在なんかではないはず。「星と少女」を書いた作者が手掛けたもう一つの物語で例えるならば、冬馬は町外れに暮らす貧民で、花園は地位も名誉も気高い皇女だ。その物語の結末は皇女に恋心を抱いていた貧民が思いを伝える場面もなく、片思いのまま一生を終えてしまうが、今の冬馬は正しくそれと同じだろう。
(どうすんだよこれから……)
そう自分自身に問いかけてみるが、暗中を模索しても相応しい答えが見つからない。もう次の冬を越せば最高学年に進級し、あっという間に受験勉強シーズンに突入してしまう。もしモヤモヤが晴れないままそのシーズンを迎えてしまえば勉強に集中が出来ないのは見え見えだ。
冬馬は不安の糸が絡まり合っていく脳内のまま、刹那社長の待つ三年生の教室へと向かった。
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