第21話~宙と重力


 足首を冷やしていたアイッシングがぬるさを帯びている。

 怪我した直後に比べて腫れは良くなってきており、これならなんとか歩いて帰れそうだというところまで回復していた。


 (……みんな勝ったのかな)


 あれから二時間くらいが経ち、すでに時刻は四時を回っていて球技大会で疲労を溜めた生徒たちが帰宅を始める頃に差し掛かっていた。

 椅子から腰を上げてその場で軽く足踏みをしてみる。

 

 (……頑張れば帰れそうだな)


 少しズキンと痛むくらいだが、右足を気遣って歩くことが出来れば帰れそうだと判断した冬馬は、保健室の先生に挨拶をして学校を出た。

 

 「あ……水城!」


 声を聞いて振り返ると、冬馬より少し遅れて玄関から出てきた花園が近づいてきていた。


 「足は大丈夫なの?」

 「うん、少し痛むけど帰るくらいなら大丈夫だと思う」

 「そっか、良かった」

 

 校門を左に曲がって駅までの帰路を辿り始める。

 玄関を出るまでに同じクラスの生徒は見かけなかった。それは多分、球技大会の最中に放課後に球技大会のお疲れさまでした会をやると誰かが言っていたので、その会場に向かったからだと考えられるが、何故クラスの花ともいえる存在が学校に残っていたのだろう。

 素朴な疑問を浮かべていると、隣を歩いていた花園がブスッとした声で呟いた。


 「なんで私たちの試合見に来てくれなかったの?」

 「あ……」


 そういえば、バスケットボールの試合が終わってエントランスで花園と話している時、「次の試合終わったら応援に行くね」と言っていたが、怪我の治療をしていたのと正常に歩くことがままならなかったために、花園との約束を守る事が出来ないでいた。

 仕方がないと思いながら保健室で過ごしていたが、花園がわざわざ口にするほど気にしているとは思いもしなかった。


 「……ごめん」

 「いいって! ちょっとからかってみたくなっただけ」

 

 なんだ、良かった。とホッと胸を撫でおろす。冬馬は今まで約束は破らないようにしていたので、今回の件については少し胸が痛む思いをしていた。

 

 「花園ってクラス会行かないの?」

 「うん、今日バイトと重なっちゃってて行けないんだ」

 

 それは花園も気の毒だが、クラスメイトにとっても悲報だろう。この知らせを聞いたクラスの男子たちは今頃がっくりと肩を落としているのではないだろうか。

 

 (……てか、バイトしてるんだ)


 高校生でアルバイトをしているという生徒は良く聞くが、勉強も大変なのに何時間も働く時間を取っていて凄いなと感心する。

 春の季節に愛想の悪い女子から、勉強を教えただけでお礼と称して菓子折りをくれる礼儀正しい女子に見方が変わったが、今日の球技大会でもまた少し印象が変化した。

 

 「花園って部活はいってないの?」

 「帰宅部だよ?」

 「え……マネージャーとかやってんのかと思った」

 「何でさ、私そんなキャラじゃないでしょ」


 笑いを溢しながら花園が言った。

 確かに花園の性格からみたらそう思えるかもしれない。


 「でもマネージャーって可愛い人がやってるイメージなんだけどなぁ」

 「え……」

 

 どこの運動部の選手も花園から応援されるとなれば、恐らく大会などで全道出場は確実だろう。何故ならば、現に今日の球技大会で花園に激励を受けた冬馬のチームメイトたちが、サッカー初心者にもかかわらず経験者と対を張るくらいに覚醒していた。

 それだけ花園パワーは絶大で、誰しもがこんな美人に応援されたいと思っていること間違いなしだ。


 「ま……まあバイトで忙しいからね」

 「そうだよね。頑張ってて凄いと思う」


 見かけによらない花園のこういった内面は本当に尊敬する。

 それと今一緒にいてふと思ったが、入学式の日に芽生えた苦手感情はいつの間にか消えていた。

 その後もサッカーの決勝で純たちは頑張っていたが負けたこと、花園たちも決勝で三年生に負けたがスリーポイントを決める事が出来たことなど、球技大会で起こった事などを話しているうちに青葉駅が見えてきた。


 「もうそろそろで駅に着くね」


 目の前の信号を渡れば何分もかからない内に駅の中に入る事が出来る。これなら遅く無い時間の汽車に乗って帰る事が出来そうだ。

 

 (……帰って時間があったら病院行ってみるか)


 そんなことを考えていると、目の前で信号待ちをしている女の子たちの会話が耳に流れ込んできた。


 「駅前に出来たパンケーキ屋さんってあそこだよね!」


 なにやら青葉駅正面の向かい側に出来たパンケーキ屋の話題で盛り上がっているようだ。「maple」と大きな看板を飾った洋風のお店は、冬馬が最近耳にした情報だと「ふわふわした三段のパンケーキタワー」が美味しいと聞いたことがある。

 隣に立ち止まった花園も興味津々な様子で「まだ行った事がないんだよね」と前の女子の話題につられて目を輝かせていた。


 「一回は食べてみたいよね」

 

 分厚い三段のパンケーキにバターを乗っけて蜂蜜をたっぷりと垂れ流した写真は誰しもが見たことがあるだろう。冬馬もそんなイメージ画を見るたびに口元を綻ばせてはいるが、なにせ一人なのであんなお洒落な店に入るのは気が引ける。

 だったら純を連れて行けばいいのではという思考回路も存在していたが、その時に冷静になって考えてみた。

 女子高生の溜まり場とされる店内で、クラスの地味男子が二人でパンケーキを食べているのは、周りの女子からしてみれば絶好の笑いのカモとなり、客観的に見てみれば単なる地獄絵図でしかないと。


 「うーん、中々都合が合わないんだよなぁ」


 花園が腑に落ちなさそうな言葉を口にしたところで信号が青に変わる。そして「あ……渡らないと」と自然本能が働いた時に、冬馬は別の違和感を感じた。


 (あ……あの車)


 普段の癖で無意識に左を確認した時、横断歩道に近づいてくる軽自動車に目が留まった。一般常識の車に関する知識なら停止線の少し前から速度を緩めるが、その車は不自然にも速度を一向に落とす気配がなく、横断歩道へと着実に近づいてきているようだった。


 (やばい……信号無視だ!)


 冬馬たちの前を歩く女の子二人組はパンケーキ屋に夢中で、横断歩道に接近している車には目にも止めていないといった様子だ。しかもそのうちの一人は片方の女子よりも少し前に進んでいて、このままでは軽自動車に衝突してしまう。


 「危ない!」


 咄嗟に前を歩いていた女の子の腕を掴んで歩道側に引き戻す。が……無意識ながらも軸となってしまった冬馬の右足に稲妻がほとばしるような痛みが襲い掛かった。

 

 「……水城!」


 女の子と場所を立ち替わるように冬馬の身体が車道に投げ出される。


 (……あ)


 次の瞬間、全身に酷い激痛を残して、けたたましいブレーキの音と共に冬馬の意識が宙に舞った。

 断末魔の叫びが鼠色のアスファルトに鳴り渡る。だんだんと意識が朦朧としていく中、誰かが自分の名前を叫んで駆け寄ってくるのを感じた。

 そしてぼやけていく視界に最後に映ったのは、赤褐色の小さな水溜まりだった。

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