恋が始まらない

北斗 白

プロローグ・第一話~高嶺の花

 「好きです。初めて会った時から、ずっと好きでした」


 波のように不規則に揺れるカーテンの隙間から、橙を帯びた光が二人を照らす。

 頬を赤らめた彼が、ひと時の沈黙に耐えるように、汗ばむ両手を握りしめた。

 放課後を告げるチャイムが過ぎ、二人以外に人影がなくなった校舎の中で、橙色の教室には唯一二人だけの時間が流れていた。

 やがて、窓側のスロープに寄りかかっていた女子中学生が、美しく整った顔を崩して彼に近づくと、汚物を見るような目付きでゆっくりと口を開けた。


 「え、、キモイんだけど」


 次の日、学校から彼の居場所が消えた。



***



 まだ冷たさが残る春の風が、完全に締め切られていない窓の隙間から、そよ風となって彼の髪を揺らす。

 

 「……もう、ここの高校に来て一年が経ったか」


 新学期の初日、帰りのホームルームを終えた彼は、クラスメイトが帰宅を始める中、配布された新しい教科書などの荷物を鞄に詰め込んでいた。

 彼が通う青葉高校は、県内では並くらいの偏差値を持つ高校で、特に厳しい勉強をしなくても入れる高校であり、勉強をおろそかにしては入学が厳しくなるといった、普通という単語を絵に描いたような学校だ。

 そういった中で、彼こと水城みずき冬馬とうまは学年全体の学力のトップ10に手を掛けるほどの高い学力を持っていた。それは、校内の生徒が勉強に力を入れておらず、時間をかけて勉強すれば、大抵の順位は取れるというのもあるが、もう一つ冬馬にはトップ10に入らなければならない大事な理由があった。

 冬馬は白系で統一された制服のえりをなぞり、金属の感触を指でしっかりと確かめた。襟につけているのは。学食が無料で食べれるという権利を象徴するゴールドピンだ。

 自分の家は他の家庭と比べて裕福ではない。それに冬馬には現在中学二年生の双子の妹たちがいるので、自分の事なんかより妹たちにお金をかけてあげて欲しいというのが一番の理由だった。

 高校生ライフを満喫するのにはとにかくお金が必要で、友人と帰りにご飯に行ったり、映画やレジャー施設などで遊んだり、一ミリ財布のチャックが緩めば雪崩のようにお金が無くなっていく。

 冬馬は昨年この県に引っ越してきたばかりなので、最初から親しい友人はおらず、その分出費を抑える事ができた。だが、入学から一年が経ち、友達が少なく、クラスでもあまり口を開かない冬馬は、見事にスクールカーストの最下層グループに君臨していた。

 

 「冬馬、一緒に帰ろうぜ」


 「最下層」グループに入ったのはこの男の存在も関係している。

 冬馬が顔を上げると、目の前にじゅんが立っていた。

 ポッコリとしたお腹がトレードマークで、女子からしてみれば典型的なオタク体質な純。苗字が松田まつだなので、一部の親しい友人からは「マツボン」と呼ばれている。

 入学早々、あまり口を開こうとしなかった冬馬の前にオタクの知識を持って現れたのが純だった。偶然帰る方向も一緒だったりして、毎日登下校を繰り返していると、いつの間にか冬馬もオタクとして見られ、純と一緒に最下層グループに入れられてしまった。


 「窓閉めるからちょっと待ってて」

 「僕も手伝うよ」


 純は根っからの優しい人間で、女子やスクールカーストの最高ランクに位置している人間から罵倒されたり、侮辱されたりしても、決してその人たちの悪口を言わず、むしろその言葉を聞き流して、自分の好きな「二次元」とやらの情報収集に駆け回っている。

 純粋に純のこういった男前? な性格には尊敬するし、自分にとっての一番の友人として学ぶものも何個もあるので、一緒に居て不満に思ったことは全然ない。


 「なんでみんなマツボンって呼ぶんだろうな。俺だったらマツポンっていうあだ名をつけるんだけどな」

 「な、なに! それはこのお腹の事を見て言っているのか! ……何かこのお腹見てるとプリン食べたくなってきたな」

 「じゃあ帰りによって帰ろうか」


 気のせいか、自分で自分の事を軽蔑したように思えたが、冬馬と純はすぐに窓を閉めて、玄関の方に向かって行った。

 

 自分達の教室がある三階フロアから階段を降りていき、一階の玄関があるフロアにさしかかった時、冬馬の横を通り過ぎる影と共に、ふんわりとした甘ったるい感じの香水の香りが鼻孔を刺激した。

 ふわふわにカールをかけた明るくて長い髪。モデル体型でいて、キリッとした目元などの完璧に整った顔のパーツからは、天は二物を与えずと言うことわざを軽く翻している様だった。

 

 --花園(はなぞの)だ。


 「えぇ! 香織(かおり)勉強合宿出るの?」

 「うん、一応そこそこの学力持っておかないと」

 「へぇー見かけによらず色々考えてるんだねー」

 「見かけによらずは余計なお世話!」


 冬馬と純の横を通り過ぎていったのは、同じクラスの花園香織と、いつも香織の隣にいる望月もちづき綾乃あやのだ。男子高生からの評判では、二人共この学校内で1、2を争うほどの美貌びぼうの持ち主で、特に花園は昨年、先輩同年代問わずに二十人以上もの男子生徒から告白されたという噂をよく聞く。

 しかも全員を玉砕したという伝説を持ち、今では男子生徒の手が届かない「断崖だんがいに君臨する高嶺たかねの花」としてスクールカーストの頂点に立っている。

 要するに、底辺に根を張っている冬馬達からしてみれば、今後一切関わる事のないであろう異次元の存在だった。

 

 「花園さん、相変わらず香水きついね」

 「まあ、あと二年もすればあんな奴の顔も見なくて済むんだ」

 「あんな奴ってひどいな、あ、冬馬入学式の日に嫌な思い出があったんだっけ」


 そう、いまだに心に焼き付いている嫌な思い出。それは入学式当日の話だ。

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