ラミア
男と女は似て非なる者。似ているなどと思わない方が良い。考え方の根本がそもそも違うのだ。だからこそ、互いに理解できない部分があっても不思議ではない。そう、不思議ではないのだ。
「もう信じられないわ……」
俯く彼女にこそ、その事を理解して欲しい。欲しいのだが、難しそうだ。
「まだ新婚三ヶ月ですよ? なのにこんな本を隠し持ってるなんて……」
ふるふると尾の先を奮わせ、持参した本を俺達の前に広げた。その本は水着姿やそれ以上に露出した女性達が、メイド服やらネコミミやらを着た、ちょっと趣味の偏った写真集(コスプレ同人誌)だった。
「あんなに愛してると言ってくれたのに、三ヶ月でこんな本を見始めるなんて信じられません!」
興奮気味の新妻は一通り不満をぶちまけると、今度は手で顔を覆い泣き始めてしまった。
「やはり人間の男性は人間の女性が好きなんですか? 下半身が蛇では愛してくれないのですか? 血を吸う女は嫌いなのですか?」
一般的には嫌いと言うより怖いと思うだろうが……むろんそれを口にすることはない。
彼女は自身が語るように、三ヶ月前に結婚したばかり。相手は人間の男性で、もちろん新郎も彼女が人間ではないことをよく知った上で結婚に至った。そんな旦那さんが、下半身が七色に輝く鱗で覆われていることとか、食事の代わりにちょっと血を分けて貰うこととか、その程度で美しき新婦を嫌うわけがない。その事を俺と、たまたま遊びに来ていたスキュラとで説明し納得して貰おうと懸命になっている。
「それにね、奥さん。男っていうのは、その……ちゃんと愛している女性がいても、それはそれとして、こういう本を見たくなるモンなんですよ。なんていうかな……ほら、女性が「甘い物は別腹」っていうじゃないですか。ああいった感覚ですよ」
言葉を間違えたつもりはなかったが、新妻は覆っていた手を放し、怒鳴るように俺へ意見してくる。
「浮気と食事は違うでしょ! それとも、私はあの人にとって食べ物程度の女なんですか!」
いや、そういう極論でもないし、そもそも写真集を見るくらいは浮気にならないと思うが……うーむ、一度思いこむとなかなかその捕らわれた考え方から抜け出せないものか。俺はどうしたら納得して貰えるのかと思案しながら、心中で大きく溜息をつく。
「なら、同じ格好をしてみたらどう?」
隣にいたスキュラが、突然妙なことを提案してきた。
「旦那さん、こういう格好が好きなんでしょ? なら、その格好を奥さんがすれば、もうメロメロなんじゃない?」
それは確かに。特にこの手の趣味に走る男は衣装そのものに弱い。それを愛する妻が着てくれるなら、これ以上の至福はないだろう。だが問題は、この手の衣装は着る側にそれなりの「勇気」というか、恥じらいを越える勢いがいる事にあるし、それが解るだけに、安易に着てくれとは頼み辛い。頼み辛いから写真集に手を出したんだろうという所まで同じ男として予測出来るわけなのだが……その結果がこの騒動なのだと考えると、なんとも言い難い気持ちになる。
「えっ、でもちょっとそれは……」
案の定、新妻はとても恥ずかしそうだ。
「大丈夫だって。私なんかここに来ると毎日着てるよ?」
時折遊びに来ては何故かシルキーの手伝いをしに来るスキュラは、来るたびにメイド服に着替えている。それだけメイド服がお気に入りのようなのだが……この場合、自ら気に入って着慣れているスキュラと恥じらいがありつつ初めて着る新妻……趣味で着るのと旦那を誘惑するために着るのとでは恥ずかしさの度合いがまるで違うと思うのだが……。
「ネコミミのカチューシャもアルケニーに作って貰ったのがあるから、着てみようよ。ほら、衣装部屋まで案内してあげるから」
「あの、いやでも私には似合わないと思っ、その、ちょっとそんなに引っ張らないで……」
戸惑う新妻の手をスキュラが引っ張り、二人は部屋を出て行ってしまった。人の上半身以上に長い蛇の下半身を持つ新妻でさえも、同じく上半身より下半身に多くのウエイトを占めるスキュラの強引な引き込みには耐えきれなかったか……元々スキュラは「引き込む」事に長けていたな。
異種族だからこそ、浮気に対して敏感になりやすい新妻。愛するが故に心配は尽きないのだろう。それは旦那も解っているのだろうが、この程度であそこまで激怒するとは思わないだろう。これは人間同士でも言えることだ。まあそもそも……「この程度(これくらい)」と軽んじている段階で、男と女の価値観に違いが出ていると言えるのだろうか。写真集を見たり夜の繁華街に通ったりするのはごく当たり前に考えがちだが、自分達が思っている以上に女性は寛大ではないことを悟るべきなのか。そして女性は、男というのは色香に弱い生き物だということをもっと知って欲しい。そして、欲望のはけ口にする視覚的な者と、心から愛せる心理的な者は全く別なのだと……などと言ったところで、説得力に欠けるか。価値観の違いはそう簡単に理解される物では無いのだ。
それはそれとして……残された俺は、これが解決になるかどうか不安を感じつつも、ひとまず去った危機に安堵の息を深く漏らす。そして残された写真集(コスプレ同人誌)をなんとなしに開いてみたが……旦那さん、相当マニアックだな。今度一緒にお酒でも飲みたいところだ。
後日談だが、俺はかの旦那さんと実際飲むことになったが、「恥じらいモジモジしながらメイド服姿で出迎える新妻(ラミア)」「顔を真っ赤にしながらロングスカートを軽くつまんで持ち上げ、そこから見える鱗の美しさ」「猫耳カチューシャを付けながらチロチロと蛇の下を出し入れして頬を紅色に染める女性の可愛らしさ」を切々と惚(のろ)気(け)られて……いっそ君ら夫婦で写真集(コスプレ同人誌)を出したらどうかと嫉妬心をひた隠しに提案するに至り、かの新郎新婦(色ぼけ夫婦)はそれを現在計画中である事まで記載し留めておく……。
【解説】
ギリシャ神話に登場する、上半身は美しい女性だが下半身は蛇という怪物。諸説色々あるのだが、主に単独で遭遇するケースが多いものの、群れを成して現れることもある。住処は砂漠のオアシスや洞窟、あるいは人里離れた森やジャングルとされている。
元々はリビアの女王だったという説があり、この場合彼女はゼウスとの間に何人かの子供を授かることになるのだが、ゼウスの妻ヘラの嫉妬により子供達は全員殺されてしまいます(この時、一人だけ娘が生き残り、後のスキュラになったという説やリビアの女予言者シュビラだとする話もあります)。ラミアはこの惨劇に気が狂い、その復讐心を他人の子供を惨殺することで晴らした。そして徐々にその狂気が彼女の姿を怪物へと変えていき、若い男達と一夜を共にし生き血を啜る吸血鬼(エムプーサ)になったとされています。
また同じギリシャ神話では、かの英雄ヘラクレスの話に登場しています。ヘラクレスが掴まえたゲリュオンの牛を逃がしてしまった際、それを追って砂漠まで来たところでラミアと出会います。ラミアはヘラクレスに、自分の情夫(愛人)になれば牛を返すと交渉を始めます。これを了解したヘラクレスとラミアとの間には三人の子供が授けられ、そのうち三番目の子供スキュティスは後のスキタイ族の子孫になったとされています。
スキタイ族(人)は後にケンタウロスのモデルになったとされる騎馬民族で、そもそもラミアはスキタイに伝わった戦いの女神だったという説もあります。
このように諸説色々あるラミアですが、元々はリビアにおける愛と戦いの女神だったという説もある。その場合、アテナと起源は同一だとされています。そのラミアが怪物になったのは、神話が作られた時の時代背景にあると思われます。つまり元々女神だったラミアを信仰していた民が攻め込まれ、ギリシャ(神話)に取り入れられた時に怪物にされた、というものです。ゼウスの愛人だったりスキタイ族との繋がりが深かったりするのはそのあたりの名残と思われます。
そもそもラミアは「貪欲な」という意味の言葉「ラミュロス」を語源にされているとも言われていますし、「レスボス島に現れるゲローという悪霊の別名」だとか、「デルポイに住む怪物シュバリスの別名」だとか、能力面では「子供を虐殺され不眠症になったのでゼウスから目を自由に外せる能力を授かった」とか、色々な話が幅広く伝わっています。そもそもギリシャ神話だけを見ればラミアは一人しかいないはずですが、様々な伝承に枝分かれしたり取り込んだりした結果、今では「種族」としてラミアの名が使われるケースが多くなっています。民話としては「聞き分けのない子供をラミアの名前を出して脅し躾る」という話もありますのし、近年ではゲームや漫画などのサブカルチャーで「種族としてのラミア」を頻繁に見かけるようになっています。
とりあえずどの伝承でも、ラミアは「美しい女性」「男を誘惑する」「下半身が蛇」「血を吸う」の4点は共通しているようです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます